CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

お布施の嵐

スノードロップのことを書いたら、東京にも雪のしずくが落ちてきましたよ。牡丹雪が。

世の中どんどん殺伐としてきておりますが、CHAZEN界隈は心あたたまる善意にあふれておりまして、先日はエタノールをたっぷりお布施いただきました。なくても困らないのですが、お布施と言われては断るわけにはいかないのです。それで、CHAZENのスプレーにはいつものようにエタノールが入っております。ティーツリー &ユーカリも入っていますので、消毒にお使いください。

マスクは電車に乗る時だけ手拭いで代用していたのですが、こちらも救世主が現れました。マグもっちの姉妹品「マスクもっち」。

じゃん。

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楽しい柄もの


さっそくパイナップリン柄のマスクを頂戴した私です。おでかけがちょっと楽しみ。実用品ですが、なにせ仕上がりが美しすぎて使うのがもったいのうござります。

製作者が「こんなときだからお代はなしで」などと言われるので、お布施ボックスを置いておきました。

マスクのお布施に対してお金のお布施をする。善意の交換、「受け取っていただく」という姿勢、贈与の連鎖がこの空間をより浄化して、ウイルスも入り込めないような気さえしてきます。

手を洗ったり、うがいをする、よい眠りと適切な食事、運動を行うという物理的な予防に加えて、ストレスを和らげること、リラックスしてゆとりをもち、心をきれいにすることが身を守るのではないかと、かなり本気で思っている私です。

太陽礼拝という祈りを世界中の人たちに捧げましょう。

雪のしずくお持ち帰り

ムーンデイと代休による連休が明けた昨日、マイソールクラスは人があふれ、いつもと変わらないCHAZENの風景です。是非はともかく、練習がまぎれもなくCHAZEN生の日常になっていることを感じました。クローズしなければならないときが来るかもしれませんが、今は開けておくことを大事にしたいと思います。

明後日のスートラクラスは、少し迷ったのですができるだけの配慮をして予定どおり開講します。マスクの着用は参加者にお任せします。瞑想実修を多めにしようかと思っております。

そして今月中は満員電車を避けるための土曜クラスを行います(21日をのぞく)。休日のスタート時刻は30分早めて7時となっております。休日が不規則となることでしばしご不便をおかけしますが、なにとぞよろしくお願いします。


さて、お山ではスノードロップがあちこちで咲いていました。

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花壇風に囲ってみた


暗杉くん跡地の周辺にも。

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お花に囲まれる元暗杉くん


「私好み」なんて言ったから、サービス精神を発揮してくれたのでしょうか?
ますますかわいくてたまりません。

なので、通り道に咲いていた子たちを移植ついでに東京に連れて帰ることにしました。
ホームシックにならずに、神楽坂に馴染んでくれるといいのですが......。

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やっぱりお山が恋しいか?


春ですが、スノードロップは咲き乱れ、浅間山もうっすらと雪化粧して、おまけに新規開拓で立ち寄ったお蕎麦屋さんで頼んだのが「淡雪そば」。

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蕎麦が一本も見えませんが


今度は田舎そばを頼んでみよう。

リトリートは今のところ5月から始まる予定です。

9度目の3.11がめぐってきた

昨日、多くの人が黙祷を捧げていた時間に出発して、めずらしくお山でもクリアに受信できているJ-WAVEを聴いていたら、クリス智子さんが詩を朗読していた。図らずも震災の記憶が蘇ることになって考えていること、ここでも書いていることに重なったので紹介します。

空の下

黙る。そして、静けさを集める。
こころの籠を、静けさで一杯にする。
そうやって、時間をきれいにする。
独りでいることができなくてはできない。
静けさのなかには、ひとの
語ることのできない意味がある。
言葉をもたないものらが語る言葉がある。
独りでいることができなくてはいけない。
草の実が語る。樫の木の幹が語る。
曲がってゆく小道が語る。
真昼の影が語る。ジョウビタキが語る。
独りでいることができなくてはいけない。
時間の速度をゆっくりにするのだ。
考えるとは、ゆっくりした時間を
いま、ここにつくりだすということだ。
独りでいることができなくてはできない。
空の青さが語る。賢いクモが語る。
記憶が語る。懐かしい死者たちが語る。
何物もけっして無くなってしまわない。
独りでいることができなくてはいけない。
この世はうつくしいと言えないかもしれない。
幼いときは、しかしわからなかった。
この世には、独りでいることができて、
初めてできることがある。ひとは
祈ることができるのだ。


長田弘『一日の終わりの詩集』より


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お山パワーでどんとこい

東京にいると、コロナコロナと四六時中脅されている感じだけれど、お山じゃあ、うっかりそれを忘れそうになる。というか、忘れてた。

咳をしても一人  by 尾崎放哉


8時に寝て、猛烈に熟睡してアラームなしで3時に起床。そして、果てしのない肉体労働......。
ああ、健康すぎるお山の生活よ。

雨が上がった今朝、シューさんのうんだけのつもりで出たところ......

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あれに見えるは!


うっすら雪をまとった浅間山にモルゲンロートが。

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神々しい......


軽装で出てきたから寒いけど、これはサンデーパークまで行かねばならぬ。

5分で景色は変わってしまうのだ。シューよ、急げ〜〜!

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小走り感出てる?


のろのろだったら抱っこして走ろうかと思ったけれど、おじいちゃん大健闘なり。急坂もぐいぐい登ったど。

陽の射し方はもう変わっていたけれど、裾野の雲海というか雲河がおみごと。

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あっぱれ


お山パワーで免疫も最強になった気がする。

よし!

汚いから掃除するのではない

非常時には特に極端に走らないことが肝要である。パニックになって必要以上に怖がることも、世の中騒ぎすぎといって軽視することも避けるべき。どうしたらいいのかわからないときは、まず落ち着くために呼吸を調えて、アシュタンガの練習なり瞑想や坐禅なりで頭の中を断捨離するのがいい。余計なものがなくなると、肝心なものが見えてくる(ハズ)。

今月は20日が金曜日で祝日のため、久しぶりに2部制のレッドクラスwithミニワークショップをやるつもりでいた。それできょうサインナップの紙を出しておきながら、考え直して撤回した。すでにサインナップした人ごめんなさい。

その日の光景を想像したのだった。
前半後半の入れ替え時のごった返しや、狭い空間に大勢が集まるところを......。

「濃厚」だよ。

ということで、20日(金・祝)はマイソールクラスになりました。今月はレッドクラスなしです。


さて、「特定少数」の練習生しか来ないCHAZENなので、ここで感染防止対策をアピールする必要はないが、できることはやっておこうと掃除をしっかりやることにした。消毒液エタノールが貴重品になったのでエッセンシャルオイルに比重を移し、殺菌・抗ウイルスに効果が高いと言われているティーツリーやユーカリのスプレーを空間や雑巾にシュッシュ。実際の効果がいかほどかは定かではないが、アロマ効果で気分もすっきりする。

あえて床掃除の雑巾を両手を並べた幅の小さなものにして、しっかりと圧がかかるようにした。これだと往復する回数が増えるのでトレーニングとして負荷もかかり一石二鳥。裸足になってタッタッターと一休さん掛けするのもまた気持ちがいい。

......などと自己満足していた私の脳裏に、永平寺に参禅したとき、修行僧が言った言葉が響いてきた。


「掃除は汚れたからするものではありません」


俊隆老師も言われていた。

トイレは汚いのではありません。たとえ掃除をしなくてもそれはきれいなのです。いや、きれいである以上です。だからこそ、汚いからではなく、修行としてそれをきれいにするのです。それが汚いからきれいにするのだとすれば、それはわれわれの道ではありません。

鈴木俊隆『禅マインド ビギナーズ・マインド 2』藤田一照訳 サンガ刊より


はいっ! 改めます。

それにしても汚い・きれいという二元的な、相対的なものから離れるのは至難のワザだ。無意識のうちに、オートマティカルに二元化しているのだから。


明日はいつもの茶禅会。「修行として」の掃除をしてから坐ります。どなたも歓迎いたします。

www.chazenyoga.com


業者さんに頼んでエアコンの掃除もしたばかり。

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これは毎日できないけどね

沈黙がもたらすもの

マイソールクラスは沈黙の中で行われる。
聞こえるのは呼吸の音だけ。
言葉を交わさなくてもエネルギーは交換し合っている。
言葉を交わさないのに連帯感が生まれている。
いや、言葉を交わさないゆえに生まれているというべきか。

ひとりでもできるアシュタンガのプラクティスや坐禅を、わざわざ集まって行うのには意味がある。

接心の目的は、修行を安定したものへと発達させることにあります。接心では言葉によるコミュニケーションを行いません。しかし、他の人々と一緒にいることは大きな励ましになります。言語的なコミュニケーションはともすると表面的なものになりがちです。しかし、言葉を発しないでいると、あなたたちの間で深いコミュニケーションが促され、心がとても繊細になっていきます。沈黙を守ることで直観が開かれるのです。
鈴木俊隆『禅マインド ビギナーズ・マインド 2』藤田一照訳 サンガ刊 より


すれ違う人には無関心でも、人が集まるところでは「沈黙ほど気まずいものはない」と感じる人がほとんどだ。そういうときの言語はやはり表面的にならざるを得ない。心から話したいことを話しているわけではなく、その場を取り繕うためにだけ交わされる会話のなんと多いことか。テレビをつければ、そういう会話ばかりが聞こえてくる。

おしゃべりをやめたとき、深いところにあるものが語り始める。見えなかったものが見えてくる。沈黙があるからこそ、大事なことが浮かび上がってくる。人との語らいがいっそう楽しく意義のあるものになる。

ヨガや禅に言葉を介在させる必要はほとんどない。むしろ、沈黙から得られるものこそがヨガであり、禅である。

練習の間、ただ自分の呼吸の音だけを聞くというアシュタンガの沈黙に慣れたら、何か手仕事をしたり、散歩をしながら沈黙の時間を味わってみるといい。たぶん、その沈黙を心地いいと感じているだろう。

沈黙がこわくて交わす会話は、まだ家にあるのに品薄だからと買うトイレットペーパーと同じ。
会話の多くは「不要不急」のものだ。
もちろん不要不急の会話のなかに大事なことがたくさん含まれていることは確かだけれど。

考えてみれば不思議なことではあるが、集会やイベントが中止になるなかCHAZENでは沈黙のために人が集まってくる。集まらなくても可能なことではあるが、わざわざ集まっている。

人から見たら不要不急に見えるかもしれないけれど、決して不要不急ではないと思っている。ただし、それに固執してはいけない。状況を見て必要とあらば柔軟に対応する準備はできている。

次に何が来ても大丈夫。
何が来ても来なくても、すべてはなるようになるのだから、心配する必要はない。

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噴火しても大丈夫

確かなことなどないのさ

3.11の震災でごく当たり前の活動が制限されるような危機を生まれて初めて経験したと思ったら、10年もたたないうちに二度目がきた。ドミニクパパがよく言っていた "insecure"って言葉を思い出す。

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何しろ先のことがわからない。
今回の感染がうまく収まったとしても、きっとまた似たような脅威は現れるだろうし、そうこうしているうちに巨大地震に襲われる確率だって高い。平和な世の中がずっと続くというのはありえないという前提で生きていく必要があるだろう。

家賃が払えなくなったら......って、最初から今にいたるまでそればっかり言ってるわ、私。

chayoga.exblog.jp


こういうことがあると経済活動は大打撃を受ける。やっぱり食べるものを作る自給自足的な生活がいちばん確かなのかもと思えてくる。田んぼやっておいてよかった。いざとなったら米を作る自信はある。いや自信なんてなくても誰でも作れる。

今後リモートワークが普及するのは明らかだろうし、都市に密集するのはナンセンスだ。

いずれにしても、これを機に潮目が変わる。
結果は誰にもわからない。
われわれは24時間のプラクティスを粛々と行うのみ。


昨日散歩の帰りにシューが小走りに走った。
のろのろ歩きしかできなかったのに。
おじいちゃん、がんばれ!

うれしくて、記念にブレブレの写真を撮ってみた。

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部屋の中だと滑ってよく走れなかったけれど