CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

プレミアムマイソールへようこそ

昨日のマイソール、再開と再会の喜びはひとしおでしたが、ハグやおしゃべりを避けたこともあり、淡々としていて、ふつうに先週からの続きくらいな感じでした。

でもそれがいいのですよ。
大喜びしなくても、私も練習生も「そこはかとなく」嬉しげで、いつもの場所でいつもの練習が戻っただけ。

いつもと違うのは......、

最大同時練習生を6名とし、隣の人との間隔を広くとっているプレミアムなスペース。ビニールはビニールでも、飛沫防止の役目はまったく果たさない部長室のビニールプールが余裕で置けるスペース。

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ほどよい距離感


久しぶりの本校に「ここはどこ?」な部長は、はじめ部長室でおやすみになられていたのですが、そのうち難なくプールを脱出して散策を始め、いつものように可愛がられておりました。

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ちょっと思い出してきたかな


季節は初夏。
心地よいプレミアムなスペースで、いつもの練習を楽しんでください。

CHAZENマイソール、明日から再開

ごきげんよう
......って山籠もり終わってもクセがぬけきらないですが、与作が上京して都会にまぎれております。

ヨガスタジオ(スタジオじゃなくて道場ですが)は都の緩和ロードマップでステップ1に該当すると判明したので、急遽というか突然、明日からマイソールクラスを再開することになりました。

そのために31日に予定していたオンラインでの呼吸のクラスは中止とさせていただきました。予定していた方、申し訳ありません。またの機会をつくりたいと考えておりますので少しお待ちくださいませ。

ウェブページの更新がまだできておりませんが、当面は感染防止の対策をしながら最大人数6名での完全予約制マイソールクラスとなります。受講を希望される場合はお問い合わせください。

chazenyoga.com


2カ月ぶりの本校にとまどい、徘徊する部長。

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めっちゃ明るくて落ち着かないな

のびろ のびろ だいすきな木

ごきげんよう
いよいよこれが最終回。59日目の山籠もり日記です。

お山生活ともお別れか思うと、鳥たちの声も木々の緑も、なおさらに、ことさらに、愛おしくてなりません。みんなみんな分校のCHAZEN生なのです。

先日アン・サリーの曲を聴いていて、突然ハッとその歌詞に打たれ、もう一度最初から聴いてみました。

のびろ のびろ だいすきな木
みんな みんなが すきだから
ひとり ひとり そらにむかって いきをしているよ

なんてピュアな詩......。
もうずいぶん昔にダウンロードしたアルバムに入っているのですが、長いプレイリストの末尾に追いやられていてあまり聴いていませんでした。たぶんこの詩に気づいたのは、お山の生活で心の垢が取れたから。

さらには心境の変化も。
山籠もり生活の初めは、負けないぞ、泣かないぞという「山の子は山の子は♪」だったのが、東京に帰るのを目前にした今は「のびろ のびろ だいすきな木♪」というのは、緊張がとれてのびやかな気持ちになったことを象徴しています。

聴けば聴くほどCHAZENの歌のような気がして、本校のCHAZEN生や分校のCHAZEN生を思って毎日ずっとこの歌を歌っているのです。


のびろ のびろ だいすきな木♪

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モミジ


みんなみんながすきだから♪

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カエデ


ひとりひとりがそらにむかって

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ヤマ


いきをしてるから♪

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イヌ


山籠もり日記にお付き合いくださり、感謝申し上げます。
それではまた近いうちに。今度は神楽坂から。

無人島に持っていく一冊

ごきげんよう
自分の体ほどの虫を運んでいるアリを見ると、お手伝いしましょうかと声をかけたくなる。57日目の山籠もり日記です。

オンライン茶禅会でした。茶禅会としては新鮮な顔ぶれでありながら、オンラインとしては前回からの続きとなっていて、オンラインサンガが形成されていることを感じました。通常の茶禅会が始まっても、遠くの人ともつながれるよう、たまにオンラインをやりたいと思います。

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いつかの円陣を組んでいたオシダは今こんな


お山に来るとき、最小限の荷物の中に3冊の本を入れました。ある意味無人島的な自主ロックダウンに際して選んだのは『禅マインド ビギナーズ・マインド』の2冊とラマナ・マハルシの『あるがままに』です。

よく「無人島に持っていく一冊」というお題がありますが、今の私なら迷わず『禅マインド ビギナーズ・マインド』です。

とにかく、どこを読んでもどこから開いても必ずヒットすることが書いてあります。マハートマ・ガーンディにとっての「バガヴァッド・ギーター」のようなものです。しかも、話し言葉なので簡単に読める。何よりここには、鈴木俊隆老師の人柄のようなものがにじみ出ており、きりりとした中にもあたたかさが感じられるのです。無人島では大いに励まされ、慰められ、力づけられることでしょう。

この本は買って一読し、それから折に触れて開いているのですが、今回「禅マインド ビギナーズ・マインド 2」(以下「禅マインド2」)のほうを最初から読み直してみたら、ドキッとするほど考えていたことの答えばかりで胸がいっぱいになり、一度に数ページしか読めません。一語一語がリアルに迫ってきて読み流すことができないのです。

もっとも最初に読んだときからそんな感じなので、しょっちゅう開いている割には読み込んでいないのかもしれませんが、毎回初めて読むような感覚があります。まさに、ビギナーズマインドです。

この本は講話のテープを起こしてお弟子さんが編集したもので、アメリカ人にもわかりやすい表現を使っているために、難しい漢字だらけの禅の本などよりかなり読みやすいです。とはいえ、俊隆老師の言われていることはひじょうに深遠で、禅を理解していないとほんとうには味わえないところも多々あります。

読み返すほどに理解が深まるために、まるで初めて読んだような気がするのかもしれません。そして、そのときの心境によって受け取り方も違うために新鮮に響くのでしょう。

ところで、もう一冊持ってきたラマナ・マハルシの『あるがままに』は永平寺以前から読んでいたのですが、こちらもやはり理解が浅かったのだと思います。今ようやく徹底的にその教えの真髄を味わうことができたような気がします。

読みながら、ラマナ・マハルシにお釈迦様を彷彿とさせるものを感じました。ラマナ・マハルシの教えはヴェーダを経典にしたヒンドゥー教の流れを汲むものですから系統も、時代も、教えそのものも違うのですが、なぜかそう感じました。ヴェーダ系のスピリチャルグルはあまり信奉していない私ですが、ラマナ・マハルシだけは別だと思っていた理由がわかったような気がします。

そうして、さらに、ラマナ・マハルシを理解したあとで「禅マインド2」を読んだら、これまた鈴木俊隆老師とラマナ・マハルシが重なるのです。ちょっと不思議な感覚でしたが、このセレクト自体が何かを暗示していたのだと今は思います。

本はこの3冊ばかりを読み、音楽はバッハを聴きまくり、ひたすら薪を割り、無心になって庭を整えた2カ月でした。ある意味ぜいたくな休暇といえますが、ほんとうの試練はたぶんこれからなのだと思います。

いずれにしても、来るにまかせ、去るにまかせるだけです。

ではまた近いうちに。

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シューをかかえて走ったけれど、到着までに雲に覆われてしまった

吉兆あらわる

ごきげんよう
トルティーヤ鳥がにぎやかにさえずるアミーゴな朝。56日目の山籠もり日記です。

シューさんの早起きがエスカレートして、今朝は2時半に振鈴ならぬシュー鈴です。禅の旅で行く天龍寺さながらの早起きです。師匠の言うことには逆らえませんので、起きて師匠をアウトドアの厠にお連れしました

新月のせいか、いつもよりずっとたくさんの星が見えます。星空をさえぎるあの木とこの木は秋に伐採だな、などと思っているところに、ひゅっと流れ星。なんだかgood luckな感じです。

ここで星空を見上げている時間はわずかなのに流星遭遇率が高い。いいことあるかな、と以前の私なら思ったでしょうが、今やすべてがいいことです。与えられるものはみな「しかるべきこと」。とはいえ、CHAZEN再開を目前にして、気分はこの空のように晴れやかです。

山籠もりにもそろそろ蛍の光が鳴り始めてきたので、どろんこ遊びのお片づけを始めています。ガラスを拭こうと2階の窓を開けたら、さわやかな香りの空気とスーリヤ様の光が飛び込んできました。

キッチンの換気口でチュチュっと音がするので窓を開けると、物置小屋の裏のモミジに小さな鳥。緑あふれるこの季節にここで過ごせたことはまことに有り難きことです。

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小鳥すぎて見えない.....


昨年は必死すぎて気づかなかったカリンの花が可憐に咲いていました。

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そもそもカリン と知らず


それにしても、気になるのは都の緩和ロードマップのどのステップで解禁にになるのかというところ。運動施設はステップ1で、学習塾がステップ2、そしてスポーツジムは休業要請が続く。まさかそのカテゴリに入れられたりして?

こんなときにも決して期待せず、その時を待ちましょう。

気をつけないといけないのは気の緩み。インドで骨折したのは帰国前日の午後でした。うちに帰るまでが遠足、本校に帰るまでが山籠もりです。

そういえば、5月にはリトリートでハイキングしようねと言っていたのですが、まさにそんなさわやかな季節なのでした。

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もうちょっとね

それではまたそう遠くないうちに。

砂マンダラのように

ごきげんよう
鳥の声が「トルティーヤ♪」と響く朝。54日目の山籠もり日記です。

ぐずつくお天気で再びストーブを焚く毎日です。今日は特に寒い。湯たんぽをくるんでいた毛布にしゅーたろさんを入れてやったら、気持ちよさそうに寝ています。

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ほんとは自分がそこに足を入れたかった


きのう午後3時すぎ、土の中に水分がある今がチャンスと思い立って、モミジの移植を始めました。近くにカラマツなどが乱立しているために斜めに生えており、近くには4本同じ感じのモミジがあるのです。そこそこ大きい木なので、ほんとうならばまずグーグル先生に移植の仕方などを伺うべきなのですが、ちょっとやり始めたら止まらず。

根が広がっていて掘り出すのがたいへんで、植え替え先になんとか立たせたら家の中からワン!と声が聞こえて時計を見ると5時。4時に夕ご飯なのを1時間も超過していたので、部長がご立腹です。

はいはいと泥だらけの長靴を脱いでご飯をやってから、再び土を盛って、添木の代わりにクリの木に縛り付けて出来上がり。

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留守の間に倒れたり枯れてしまわないといいのだけど......


庭でなにかをしているときは、これをさせているのは私ではなくイーシュヴァラ(自在神)であるような感じがします。
ダーラナ・ディヤーナ・サマーディな時間です。
さらには、毎朝の坐禅よりも確実に只管打坐、というか只管打植です。

その集中っぷりや目的のなさがあまりにも瞑想的だと思っていたら、砂マンダラという言葉がやってきました。

そう、これはチベット僧が砂で描く曼陀羅のようなものです。
砂マンダラが瞑想のツールであり、作品を作るのではなく描いたら流してしまうものであるのと同様に、私のも庭を作るというよりも、ただ草を抜いたり、土を掘ったり、あっちのものをこっちに移動させたりしているだけの砂遊びなのでした。

東京のCHAZENでベランダの植物をいじっているときは「ガーデニング」の感覚なのですが、ここではまったくそういう気がせず、ひたすら瞑想でした。お砂場遊びだと思っていたものは実は強力な修行ツールだったのです。

これこそが山籠もりの最大の収穫。マイソール、永平寺に続く修行の聖地は山の分校でした。

大逆転がない限り来週は本校に戻ります。


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アジサイのようなオオデマリが美しい......


それではまたそう遠くないうちに。

CHAZEN断ちでもたらされるもの

ごきげんよう
ガテンな仕事は雨が休業日。52日目の山籠もり日記です。

植物たちは雨でうなだれていますが、同時にエネルギーを蓄えてまたひとつ成長していきます。

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オオデマリの花が白くなってきた


今日の雨は明日のパワー。目に見える事象に惑わされずに、内側にある光を感じていきましょう。
......とまだギーターの余韻が残る朝は、ちょっと贅沢にストーブを焚きながら雨を楽しんでいます。

オンラインクラスのあと、久しぶりに座学のあとの充足感がありました。それで気づいたのは、私は伝えたいことが伝わったという満足感を糧にしてこの仕事を続けていたのだという事実です。CHAZENが休校になってから、しばしば「自分はこれでいいのだろうか?」という問いかけが降りてきたのですが、それは他者からの手応えを感じる機会がなかったことも関係あるのだと思われます。

人の役に立つこと、誰かを喜ばせることは大きな仕事のやりがいであり、多くの人がお金よりもこういう「報酬」のために仕事をしているのではないかと思います。特に日本人のそういうところが好きです。

「しかし、ちゃみこよ。人の反応によって得る満足感は自我を喜ばせているにすぎないぞ」

自分がニセモノだと思う瞬間です。
高額な受講料でスピリチャルな道を説く自称グルをいぶかしく思う前に、自分のインチキに気づけ、です。

やりがいを感じること自体はすばらしいことですが、それを期待すべきではないのです。自我を満足させるのではなく、為すべきことを為したという満足であれば、いつも安らぎくんとともに在ることができます。

それに気づいたら「なんにもしない」「なんにもならない」朝の坐禅がいちだんとすがすがしくてたまりません。

断食をしたあとにいただく食べ物が五臓六腑にしみわたるように、断CHAによってさまざまな気づきがもたらされることでしょう。そのひとつひとつを大事にしながら、いまを生きていこうと思います。


日曜のギータークラスのあと、チップとデールのカフェでくつろぐニセモノでありました。

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いや、案外「為すべきことを為した」満足だったかも


それではまたそう遠くないうちに。