CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

虹の橋を渡る

あれは7月。
都知事選の投票を終えて歩いていたら、かつての犬の朝練仲間ウラン嬢のお父さんとお母さんにばったり会った。CHAZENを始めてからは朝行くことができずご無沙汰だったのだけれど、ウラン嬢をはじめ、シューと同じ年代だった仲間たちはみんな虹の橋を渡ってしまったとのこと。

「虹の橋を渡る」という表現は、犬猫飼いの間ではだいぶ前から定着している。人間の死に関してはまったくセンチメンタルに考えない私であるが、犬猫に対しては、肉体を離れたあとに虹の橋の向こうにあるすてきな楽園で楽しく暮らしていてほしいという矛盾した気持ちがある。

今やペットは自分の子と同様、あるいはそれよりも大きな存在だったりする。人間の家族が亡くなった場合はただ泣いてもいられない。儀礼的なこと事務的なことに加え、相続など利害までからむので複雑だが、ペットの場合は純粋にいないことへの悲しみばかりになる。人間の子どもはたいてい自分よりは長生きするけれど、ペットは自分より後に生まれたものを先に送るという、人間であれば逆縁だ。

それは最初からわかっていることで、飼い主たちはそれなりに覚悟をしながら犬猫を飼うのであるけれど、どんなに頭で(理性で)わかっていてもこの悲しみや寂しさはついて回る。そんなときにできるのはただ思いっきり悲しむこと、涙を出すことしかない。そして、今はきっと虹の橋の向こうで楽しくやっているのだと思うことで自分の気持ちを納得させるしかない。そういう願いを込めて虹の橋を渡るって言うのだろうな。


それはさておき。
今やCHAZENになくてはならない存在であるアシスタント嬢の愛猫すももが、18年の猫としての存在を終えて虹の橋を渡った。

報せを聞いて部長と一緒に弔問すると、すももデラックスと言われるほどに大きかった体はすっかり小さくなったしまっていたけれど、毛並みがきれいで、お顔もかわいくて、なんだか小さい子猫のようだった。

翌日、すももがお骨になって帰ってきたあと、今度はCHAZEN生からのお花を届けに行った。

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CHAZEN生への業務連絡:左下のお花です


すももは今ごろきっと、楽しく猫じゃらしで遊んでいるんだろうなあ。虹の橋の向こうでね。

(CHAZEN生への業務連絡2)お花のアレンジを待っている間、すももの身代わりをみつけたのでそれも一緒に贈りました。

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ちっちゃいすもも=こもも


ところで、最初の弔問から帰ってきたら、少し前にお母さまを亡くされた某嬢からカードが届いていた。「黄金の魚」という谷川俊太郎さんの詩が綴られているカード。谷川さんらしい詩がこころにぴったりおさまった。

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ナイスセレクト


ちなみにシュー太郎氏は夏のお山生活でますます元気になり300gの増量。食欲と女好きは衰えることを知らず、虹の橋を渡るのはもうしばらく先の予定です。

いつだっていい塩梅

8月の終わりごろ、ブログを書き始めたものの「お前の話はつまらん!」と思って途中でやめて、でも一応保存しておいたことがあった。いつも、そのときの気持ちを旬のまま書こうと思っているので、保存してもだいたいは破棄するのだけど、その後暗示的なことがあったので拾ってきたのが以下。

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CHAZENの新学期がいい塩梅です。
平日マイソールは予約なしでも混み合うことなく、スペースが埋まりそうになるところで誰かが上がるという、ちょうどよい加減なのです。5時半オープンなど、コロナがなければ考えられませんでした。

いや、5時半オープン以前に練習生の数がだいぶ少なくなったからなのですが、コロナ後の定員にぴったりの人数になったこと自体がいい塩梅なのだと思います。毎朝、CHAZENを必要としている人がこんなに存在するのかと驚き、またそれをありがたく思います。

CHAZENを始めた当初、それまで公民館でやっていたマイソールに来ていた人たちが少しずつ離れていったことがつらかった時期がありました。人はなくしたもの、過ぎたこと、足りないものについて思いを巡らせては、何がいけなかったのかとか、あのときああしていれば......などと考えるものです。毎日やるのがアシュタンガだということに気づいてCHAZENをスタートしたので、それまでの「仮」マイソールから変化するために避けては通れない痛みでしたが、それまで楽しくやっていただけに、詮ないことをウダウダと考えてばかりいました。

そんなある日、ハッと気づいたのです。「いま練習に来ている人たちに目を向けよ」と。いなくなった人ではなく、いま練習に来ている人のことを考えるのが私の役目だと。

いつも思うのですが、私がヨガを通じて力になれることは「CHAZENに来てくれる人」に対してのみ可能です。たとえこの人をなんとかしてあげたいと思っても、その人が自らやる気になってCHAZENの門を叩いてくれない限り、私には何もできないのですよね。だから、CHAZEN学園に入学したいという人に対しては、手放しで歓迎しております。

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ここまでで止まったのは、つまらないというよりは、先の見えない現状でこういうことを綴る虚しさを感じたからかもしれない。この夏から、考えるとブログが書けなくなる状態が続いている。何か書いても、何か違うような気がして途中で止まってしまったり、落とし所が見つからなくなったり。

ところが、9月に入ってから神社に置いてある今月の「生命の言葉」を見たら、これだった。

失ったものを数えるな
残されたものを最大限に活かせ 
(ルートヴィヒ・グットマン)


そういえば、これはヨガ以前にポジティブシンキングの銘として頭に刻まれていた言葉だ。今はポジティブシンキングという言葉自体を俗なる思想と敬遠している私ではあるが、なんだか街で古い友達に偶然出会ったような懐かしさをおぼえた。「失ったものを数えるな」というのは「過ぎたことを思い煩うな。今ここにあるものを見よ」というヨガ的思想だ。

それでも、まだブログの続きを書こうとは思わなかったのだけど、今日読んでいた本の中にこの言葉を見つけた。

馬を水場に連れていくことはできても、馬に水を飲ませることはできない。
You can take a horse to the water, but you can't make him drink.

おお、CHAZENに来てくれないとヨガを教えることができないってやつだ。喉が乾いていない馬に水を飲ませることはできないのと同様、ヨガの必要性を感じない人にいくら教えてもアシュタンガはキツくてつらいと思うだけだよね。

水を飲みたい馬はぜひCHAZENに来てください。(ちがうやろ)

あともうひとつ「その場にふさわしい人数が集まる」って星覚さんが言ってたなと思い出した。

いつだっていろいろがうまく配分されているんだと思う。誰が悪いとか、何がいけないとか考える必要なんてないんだよね。考えるとしたら、どうやったらもっとイイカンジになるかってこと。それもたぶん、ふだんやることやってたらいらないさね。

24時間365日の修行を続けるだけよ。



こないだの陰ヨガにて。最後のシャヴァーサナでシャバを離れゆくみなさん。

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ぐーすかぴー

リスペクト

犬に関心のないシューさんだけど、子どものころからなぜか大きい犬には興味をもち、親しげに近寄って行ったりするところがある。

先日イングリッシュセッターのS嬢とA丈宅にお邪魔したときのこと。
やっぱりすんすんと匂いを嗅ぎに行くシュー、そしてそれをあたたかく見守るA丈。

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えっと、この匂いは......


ひとしきりご挨拶したら、イングリッシュセッターのS嬢とA丈がそろってサンルームのフロアに横になった。大型犬は落ち着いていていいな。

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ほぼ同時にコロっと寝たのがかわいかったー


はじめは持参したベッドにシューを入れておいたのだけど、きっと探索したいのでは?と気遣っていただいた。今や自分の家でも常に探索を続けているシューさんなので、もちろんひとんちは気になって仕方ない。そこらじゅうをクンクンしながら回っていたら、A丈がすっと立ち上がってどこかへ行ってしまった。

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くんくんくんくん......


シューが徘徊しているのが気になったのかなと思ったら、小さくてもシューは先輩なので敬意を払って場所を譲ってくれたのだそう。こんな目の見えない、体の小さなおじいさん犬にも、ちゃんと礼を尽くしてくれるのね。すばらしいわー。オトナだわー。愛玩犬である小型犬には見られない行動に感心した。

人とのつきあい方、コミュニケーションは難しいと言われるけれど、誠意をもって接している限り、そうそうひどいトラブルにはならないと思っている。誠意というのは相手を重んじることだと思う。

逆に、言葉遣いはていねいでも相手を尊重する態度がない(心がこもっていない)とあまりいい気持ちはしないものだ。マシーンのような笑顔とか、うわべだけの褒め言葉とか、ゾッとすることがある。

それは相手のことを思っているようでいて、実はただ相手の「反応」だけを気にしているからなのだと思う。すなわち<私>に返ってくる反応が怖いのだ。自分を殺して生きているような人は、エゴが薄いようでいて実は濃いと思っている。謙虚そうにふるまうのは自分を守るため。相手を自分と同様に考えられたら、必ずしも笑顔にならない場合もあるし、耳に心地よい言葉でなくなることもある。

反応を気にするのではなく、自然にリスペクトできれば関係も自然にスムーズになる。嫌いと思っている相手でも、何かしら相手の身になって考えられればトラブルにはなりにくい。

それもこれもすべて<私>問題だ。<私>が薄くなるほどに他者への思いやりが生まれる。ちょっとした犬の行動に、そんなことを考えた。


ところで、シューがベッドから落ちないように気をつけるので安眠できないこともあり、夏の間は1階の畳スペースで寝ていたのだけど、ふと思い立ってゲストルームのベッドを2つ並べて寝てみた。ら、こんなことになっていた。

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堂々のセンターポジション確保


リスペクトして場所を譲ったわけではないのですが〜。
枕の位置からわかるとおり、できるだけ端っこで寝ている私なのですが〜。

偉大なるグル

朝3時半ごろ外に出たら、うっすらと雲がかかった空にぼんやりと明るい光。きのうは満月だったけどまったく月が見えなかった。そのうち少しずつ雲が切れて、ところどころの雲間から星が見えた。シューさんの脚を拭いていると、木々の間にまんまるお月さま。ほんの3分ほど前には見えなかった美しい月が、それだけでこの世はすばらしいと思わせるような輝きを放っている。

もし今絶望の淵にいたとしても、この月を見たら生きる力が湧いてくるだろう。ふと、そんなことを思った。

地球上の人々がコロナだなんだと騒いでいることなどおかまいなしに、宇宙はその営みを続けている。生まれる星もあれば滅びていく星もある。物質世界は延々とそれを繰り返している。私たちはその中でほんの一瞬のいのちを与えられた小さな生物だ。

大地は俺たちのものじゃない。俺たちが大地のものなんだ

ちょっと前に見たドキュメンタリー映画で聞いた言葉にひどく納得した。
悩んだとき、何かがうまくいかないとき、自分中心にものごとを見ている。そこには<私>という視点しかなくなっている。<私>が何かを所有していると思っている。

自然の美しさにはそんな小さな<私>を黙らせる力がある。そのあとの坐禅は久しぶりに爽快な一炷であった。

東の空がオレンジ色になるころ、シューがめずらしく早めに起きてきたのでサンデーパークを目指す。

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雲は多いのに山はくっきり


麓から靄が上がってきている。

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上の雲がまた独特な表情をしている


木々の向こうから太陽の光。

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このアングルは初めて


わずか5分の間に山は薄いベールに包まれていた。

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天然のぼかし


グルはいつもすぐそばにいて、静かに、何の言語も使わずに導いてくださる。

琴浦町の梨 2020

火曜日の朝5時ごろ、郵便受けに不在票を見つけた。前日の日中はずっとCHAZENにいたのになぜ? マイソール終了後にお山に行くので、土曜日まで受け取れないじゃないよ。果物だから早く受け取りたいけど、配送会社は過去に何度も嫌な思いをしたことのあるあの会社......どうやって受け取ったらいいんだ?と心が乱れる。

マイソールが終わり、受け取る方法のオプションをいろいろ考えてから電話してみたら、意外にもお詫びモードで、最短で何時に届けられるかドライバーに確認して折り返します、と。融通効かない会社だと思ってたのに拍子抜け。しかも、5分くらいしたら電話より先に荷物がやってきてあっけなく一件落着。

ということで、今年も鳥取県琴浦町から梨が届きました。なっちゃん、ありがとう。なっちゃんに会いたいな。子育てで忙しくなって、このブログは読んでないかもしれないけれど、いつものようにここで着荷報告をしておいて、あとでゆっくりお手紙書くね。

chazen.hatenablog.com


コロナ騒動ですっかり忘れていたけれど、今年もまたおいしい梨がいただけるとは......。何よりこの「chami先生 シューさんへ」って書いてあるお手紙にほっこりさせられるんだよねー。

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梨の匂いにも気づかず寝るシューさん


バタバタと支度をしていた気持ちがゆるんだ。何もそうあわてることはないと、途中でアイスコーヒーを買ってレンタカー屋さんへ。

ひと月の間、キーを差し込まないとドアが開けられないような古いステップワゴンに乗っていたので、普通に新しいコンパクトカー(いつも乗っている)の取り扱いにギクシャクする。大きい車を運転する感覚がまだカラダに残っていてやけに軽く感じられ、アクションが若干大きすぎ。

右折信号が出ていたのが黄色になったので急げー!と右に曲がったら、ステアリングが軽すぎて、遠心力で座席から紙袋が落ちてアイスコーヒーがバシャっ。

えーん、一滴も飲んでないのに一滴も残ってない......。
なにやってるんでしょうねえ。朝からアタマもカラダも落ち着きがないったら。

こないだのスートラクラスで
「いったん息を吐ききってサマスティティに戻ってから、次のことを始める」
って、えらそうに語ってたのはどこのどなたでしょうか?

ひとつ信号を待って、その間にコーヒーを飲めばサマスティティになったのに......。てか、そもそも、コーヒーをドリンクホルダーにセットしてから走り出せよ。

ヨガで改善されたことは多いけれど、こういう性格は変わらないようで......。琴浦町なっちゃんのように、ほんわかした人柄でまわりをほっこり和ませてみたい。

それでも無事お山に着いてシューさんと梨をシャリシャリといただきながら、今年も一緒に琴浦町の梨がいただける幸せを味わったのだった。

17才の梨王子。

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依然として寝たまま......


そういえば、ワタシでも和やかモードになるときがあるのでした。リラックス系のヨガクラス。このときだけはゆるゆる〜です。自動で人柄スイッチが入れ替わります。6日の陰ヨガもそんなゆるゆるモードです。あと1名分空きがありますのでどうぞ。

ちなみにバックベンドワークショップはウェブページをつくるまえに満員御礼となりました。ありがとうございます。

そろそろ呼ばれてるかも

昨日のスートラクラスに新人が仲間入りした。
おやつの「手作りおやき」におびき寄せられたともっぱらのウワサだけれど、これ以上避け続けられないと観念したのか、満を持しての参加。もっとも、このクラスの半数以上は2年目以降からの参加者なので、まず第1章の復習をして、ヨーガ・スートラが何を目的に編集されたか、そしてこのクラスで何を学ぼうとしているのかを明確にしておいた。今後も以前やったところに戻りつつ先に進めていく予定だ。

ある意味いちばん重要なことだと思っているのだが、座学は知識を得ることそのものよりも、修練(含アシュタンガの朝練)の目的を見失わないようにするための灯台のようなもの。ポーズの練習をしていると、つい上達だけを目標にしがちで、本来はなんのために練習しているのかわからなくなってしまうから。

スートラの詩句は毎回違っており、その度に新しいことを学んでいるように見えるけれども、実は言っていることは毎回同じ。テーマも結論もひとつしかないから。ある意味では一回のクラスの中にすべてが含まれているといえる。私の言うことはいつものアレ、耳タコのアレ、もうウザいくらいなアレですよ。なのに、よく飽きもせずに続けているものだと感心していたら、結局のところ練習を熱心に続けている人ほど座学も熱心に続けているという単純な答えが得られた。

座学を道標にしながら日々の練習に励んでいる人は間違いがない。両方が相乗して、この修練が正しい方向へ進んでいる。つまるところ、どっちも楽しいからだと思う。

そして、年を経るごとに新人の理解が早く的確になっていく。
これはCHAZEN生がどんどん淘汰されて、理解できる人しかいなくなっているような背景もあるけれども、今年に入ってからスタートした人たちのコメントがめっぽう鋭くておもしろいのだ。

毎回思うのだけど、このクラスは私自身の楽しみだったりする。もしかしたら私の趣味でやっているだけような気もする。しかし、そう考えるとCHAZENでやっていることはすべて私の趣味であり、楽しみであり、生きがいだ。申し訳ないくらいに私自身がすべてを楽しんでいる。

それはとりもなおさず、ヨガの楽しさがわかった人をみる楽しさであり、インド思想のおもしろさに目覚めた人をみる楽しさであり、霊的成長を遂げていく人をみる楽しさである。

やめられないとまらない。

ヨーガ・スートラクラスは来年以降もまだまだ続きます(CHAZENが存続していれば)。そろそろ呼ばれている気がしたらお早めにどうぞ。

www.chazenyoga.com


プルシャとプラクルティの話とか、なんでそんなにすっと理解するのかがむしろナゾ。

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ひさびさのプルシャくん登場

3年ぶりにバックベンドWSやります

東京の感染者が増えて一時は座学も延期を考えましたが、今は逆にできるだけ通常モードに戻すことを考えています。そこで9月の休日は、6日陰ヨガ、13日ギーター、20日フルプライマリーレッド、21日バックベンドWS、22日茶禅会、27日スートラとフルに企画を入れてみました。

このうちバックベンドのワークショップは、まだウェブページがありません。バグが発生しているようで更新ができないため、先にこちらでのご案内となります。

以前は毎年のように開講していたバックベンドのワークショップですが、最後にやったのは3年前、まだ私の肩がほとんど動かないときでした。で、せっかくの二度とない機会だからと、ウールドヴァ・ダヌラーサナには肩の可動域が大事だということを見せるために、上がれない人のデモンストレーションを素でやってみせたのです。本人はウケねらいで嬉々としてやったのですが、あまりのイタい図に参加者の顔が凍っていたことだけをよく覚えています。

そもそもワークショップはなくてもいいのですが、バックベンドに関しては伝えておきたいことが山ほどある私なので、3年に一度くらいはやってもいいかなと......。やってもいいですか? あ、いいんですね? ありがとうございます、やらせていただきます。(誰に許可とってるんだよ)

伝えたいこととは......

  1. 健全なバックベンドのための8つのキーポイント
  2. 後屈に有益なエクササイズ(ひみつのとっくん)の紹介と実践
  3. ケーススタディ(弱点と強化ポイント)


このような方におすすめ

  • 後屈全体が苦手
  • 下から上がるウールドヴァ・ダヌラーサナで上がれない、腕が伸びない
  • ドロップバック、カムアップができない
  • インターミディエイトのラグヴァジュラーサナやカポーターサナに苦しんでいる
  • 後屈のポーズで腰や背中を痛めた
  • この機会に後屈のメカニズムやポイントをきちんと学びたい

max6名(理想は4名くらい)の少人数で行います。
受講料は¥4,000(マンスリーメンバー¥3,000)です。

メール(または直接でも)にてご予約を承ります。

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後屈ポーズでおやすみ中の部長