CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

CHAZENholic

昨年は9月には冷え込んだお山なのに、今年はあったかい。
もう大丈夫だろうとネット付きの帽子をかぶらないで作業していたら、おでこを蚊に刺された。靴下の上からも。10月の軽井沢で.....!

寒くないけど、棚に収まりきらない薪を早く片付けたいのでストーブをつけた。
ああ、あの自主ロックダウンのときにこれくらい薪があったら、あったかく過ごせただろうなあ......と例によって無駄な妄想。ま、人生そんなにうまくいくはずはない。でも、薪ストーブは単なる暖房ではない。焚き火をするように、あるいは調理器具として火を入れるのさ。

数日前にレッドムーンという種類のじゃがいもをいただいたので、ホイルに包んで、焦げすぎないところに放り込んでおいたら、ホックホクに焼き上がった。いもくりなんきんには特別興味のない私だけど、めっちゃおいしくて3個も食べてしまったよ。もちろん、部長と半分こで。

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オレが食べたの0.3個ぐらいだけどな


そして10月は栗の季節。
落ち葉とイガがすごくて、到着と同時にまず庭を掃除する。なのに、どれもこれも小さくて虫食いで、食べられるようなのがほとんどない。

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到着時のデッキの上


昨年はゲストが来るたびに天気が悪くて残念なことが多かった。が、お向かいさん宅では私が来ると(お山に行くと)晴れるというのが定説になっているそうで、ゲストがいないときは晴れる?

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赤富士チックな浅間山


こんな秋晴れの日にゲストに来てもらいたかったな。
昨年、荒れ野だった庭をきれいにした原動力は「リトリート」。その目標なしに、あの重労働を嬉々としてやることはできなかったと思う。それがなくなった今は、リーグ最下位が決定したチームの消化試合のような気分だ。やることはたくさんあるし、仕事自体は楽しんでやっているのだけれど、いまひとつ張り合いがない。もしかしたら、コロナ禍で失業や廃業まではいかなくても、こういったやりがいみたいなものを失った人は多いのだろうと推測する。

私にとってはCHAZENのことを考えている時がいちばん楽しい時なのだと、改めて感じた。CHAZENは仕事のようでもあり、趣味のようでもあり、子どものようでもあり、生きがいでもあり......。

そんなわけで、神楽坂のCHAZENのことを考えて楽しんでいる今の私です。来月は8周年イベント的に少人数のワークショップなどやろうと企んでおります。どうぞ楽しみにお待ちください(自分がいちばん楽しんでるくせに......)。

ほっと一息

またまたぶつかって目が腫れてるせいか、それともどこか痛いのか、きのうは朝ごはんも食べずにずっと眠り続けていた部長。マイソール後半になって起き出してきたので、壁にぶつかったときの衝撃を和らげるソフトカラーをつけてエントランスで待機してもらっていました。

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仲間に入りたいのに......


一夜明けて今朝は普通に起きて、お散歩にも行って、ごはんもモリモリ食べて(これはきのうも)、徘徊しだしたので上の写真と同じ状態に。

今朝は後半に練習生が集中して、場所待ちアジャスト待ちの人が出る状態だったのですが、優先順位を考えて回っている大忙しのそのときに、部長と同じスペースで待機していた某嬢がドアを開けて「おしっこ......」とささやきました。

「え?」
彼女は最近入ったばかりの人なのでトイレの場所を教えそうになりましたが、次の瞬間部長がやらかしたことに気づいたのでした。

orz......

最近はあまりないので油断していました。まだまだ嫌がらせ魂は健在です。あっぱれなじいさんです。叱ることができないのが寂しいですが、元気でなによりですよ💢


マイソールのあと、じいさんが寝たのを見計って出かけました。ほんとうは美術館に行きたかったのですが、結局、用事を済ませながらの神楽坂ショッピングに。久しぶりなのでなんだか楽しい。最後にお福餅のカフェでお茶して、カモメブックスで買った本をアコメヤ(旧lakagu)で買った老眼鏡で読むという、プランを練ったかのようなコースになりました。

大きな木の輪切りテーブルがあって、スタッフもおだやか。ちょうどバッハのチェロソナタがかかっていてとても落ち着く店です。

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お多福のマスクケースも気が利いてる


さて、気づかれた方もいるかと思いますが、この本こそBeTuberの元本です。さすがはカモメブックス。ナイスセレクトです。今日ここで出会わなかったら読まなかったかもしれない。そして、先日のテレパシーからちゃんとここまでつながっているとは......。必然だったわけですね。

まだ読み始めたばかりですが、「おしっこ」の話からはじまり仏教の話も出てきて、この先どう展開するのか楽しみです。メガネも新品はクリアでよく見える。アタマのおかしいのは治らないかもしれませんが、アタマのコリはすっきりしました。東京もすっかり秋です。

お通夜風味の〜スートラクラス

久々に見た気がする。
座学のときに、どこか遠いところへ旅立っていく人たちの顔を......。

かつてはギーターでもよく見られたけど、それを踏まえて加減して話すようになったのと、今は全体のレベルが上がっているせいで、近ごろはあまり見られなくなった光景だ。デビューの人が3人もいたのに、お誘いするタイミングがよくなかったような気もするが、第1章から始めた人は、毎回のように遠いところへ旅立つ話だったりしたので、たまにはこういう回があってもいいかなと思う。

そもそも、専門に学んだ人でないとわからないような、つまり私が話すような類の話ではないけれど、それが実はおもしろいところなので、チラ見せしておきたかった。何人かはそのおもしろさに気づいたようなので、私自身がさらなる勉強を重ねて、そのおもしろさを伝える技術を磨こうという意欲が出てきた。哲学、論理学、言語学.....そんなキーワードで紐解いていくと連なりが見えてきてハマること請け合い。

あまりにもわかりにくい話だと、なにを聞いたのかひとつも覚えてないということになりそうなので、前振りとしてウパニシャッドの哲学者の話をしたら、それが印象に残った人も何人かいた。しかしこれとてデビューの人たちには遠い話でしたろう。


お茶の時間。
いつもは女子らしくそこでおしゃべりが始まるのだけれど、まるで禅の「行茶」のように静まり返っている。みんな遠くに行って帰ってこれなくなっているという感じだ。

そんな様子に「お通夜かよ」 と心の中でツッコミを入れて、ひとりでこっそりウケていた。

が、くるみのパイを食べたとたん、みんなニッコリして戻ってきた。
やっぱり女子だな。かわいいな。脳が疲れるほどにおやつが美味しく感じられるから、効果的だったかも。お茶を飲む時間はいい。ここにCHAZENらしさがある。

そして恒例「気づきのシェアタイム」は、コメントすることもままならない感がよく伝わってきた。でもそれは受講生の能力の問題ではなく、私自身の理解が浅いゆえ。いつかリベンジしたいね。

毎年、梅雨ごろから9月までは非生産的な毎日を余儀なくされている私だけど、いよいよ人間としてシャキッと生きていける気温になってきたから、失われた時を取り返すべく気合い入れていくよ。無常迅速ですからね(落書無用)。

ギーターは10月が最終回。スートラはまだまだ先まで続きます。どのタイミングで参加しても大丈夫です。どのタイミングでも難しいところは難しいのです。わからなくて大丈夫。一度でわかったら参加する必要ないですから。

CHAZENの座学でお待ちしております。

www.chazenyoga.com

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ふーん、そういうことかー

フォース

あいかわらずアタマはおかしいのだけど、テレパシーの感度だけはよくなっているようで、最近CHAZENに来てない人やご無沙汰の誰かのことを考えていると間もなく連絡が来る。よくあることだけど、このところ集中して多発している。

きのうも思いを致していた人からメールが来た。
前回のブログを見て、ストレスにやられている私の気分転換にと写真を送ってくださったのだ。

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きゃわいいん♡


コアラは私たちにとって動物園か観光地で見るものだけど、この子たち、なんと裏庭にいるんですって。

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木の上にいるコアラさんたち&ダルマさん


やさしいお気遣いに感謝です。
分校の庭にもコアラがいたらなー。こんな動物しか見られないなあ。

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植木屋ちゃみこさんの移植したモミジの木


昨夜もやっぱり調子悪くて8時すぎには就寝。
夜中にシュー太郎氏がむくっと起きて徘徊しそうになるのを抱き寄せて寝かせる。それでも起き上がってくるのでトイレに連れていく。睡眠の質が落ちるのはこういった次第で。

時計を見たらちょうど12時、ミッドナイトだったのでまた布団に入ったが、夢を見ていたのか考えごとが活発に。星覚さんその後どうしたかな。坐禅会のタイミングはうまく合うかな。などと、すっかり目が覚めてしまった。寝る前に読んでいた哲学の本を読み直せばすぐ眠くなりそうだとも思ったが、なぜか何故だかアラームをかけているiPadを手にとってメールチェックした。ふだんiPadではメールを見ないし、通知もオフにしてある。夜中にメールチェックなんかもしない。

そうしたら。

はい、ご想像どおり、ベルリンの星覚さんからメールが入っていた。
ブルブルっ。予知すぎてこわい。あとで見たらメールの着信が23:49。iPadの通知は切っていても、テレバシーの通知はオンだったのねー。いや、最初に察知したのは部長であったか。


さて、結局12時起床となった今朝のマイソールクラスにて。
ずっとカムアップのスランプに陥っている某嬢が、もう力が尽きたかのように本日の挑戦を終えようとしていたので、「シューちゃんパワーを授けよう」と言ってシューを腿に当てた。ぴぴぴぴー!

そしてもう一度トライしたら(させたら)、さっきまで力が入らないって言ってたのがうそのように、きれいに起き上がって成功。

さすがはジェダイの戦士シュー部長。すごいフォースだ。

そっち方面に本来興味を持たない私だけど、来月からヨーガ・スートラもいよいよ超能力の話に入るので、ちょっと楽しい予告編かも。

明後日日曜日の印哲風味なスートラクラスは、ギーターから上がってきた人たちとこれまでの人たちで大入満員の予定です。密にならないよう、テーブルを使わずにスペースいっぱいに広がって座っていただくことを考えているので、ノートをとりやすいよう厚みのあるノートやボード的なものをお持ちくださいませ。

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フォースで私の体調も回復中なり

無常迅速 落書無用

告白します。
このところ、ストレスで私ちょっとアタマがおかしくなっております。

そんな大したストレスではないと思っていたのですが、先日アタマが痛くもあり今すぐマッサージしてもらいたいと、夜は出かけないはずの私が気づいたらネットで19時からの予約を入れておりました。セラピストさんもびっくりなほど頭や首がガッチガチで、押されると痛い痛い。睡眠の質が悪いか、ストレスかかっていると言われました。はい、両方です。自分で思う以上に実は負荷がかかっているものなのですね。ヘッドマッサージでだいぶほぐれてよくなりましたが、芯からほぐれるにはもう少し時間がかかりそうです。

さて、きょうは茶禅会でした。
デビューの人がいたのに、今日読んだ随聞記の箇所が少しわかりにくい話でした。この『正法眼蔵随聞記』は道元禅師がこんなときこんなことをおっしゃっていましたよ、というのを弟子の懐奘禅師が書き留めたものなので、エピソードが唐突に始まって前後の脈絡がわからず、意味がとりにくいことが多いのです。が、この本をずっと読んでいると、どこが重要なのかがわかってくるようになります。細かいシチュエーションなどは気にせず、大事なところだけが入ってくるようになる。

きょうの話には「生死事大なり、無常迅速なり」という言葉が出てきました。これは禅の旅で天龍寺に着いたときにドアベルのように叩く木板に書いてある言葉でもあります。口語訳には「生死を明らめる問題は重大であり、無常は迅速である」とありますが、すごく簡単&テキトーに言えば、「(仏道修行者として)この人生をいかに生きるかということは重要なテーマであり、時のうつろいはたいへん速いのだから、ぼんやりとして時間を無駄にするな」ということかと思います。

「生死を明らめる」というのはたいへん意味の深いことで(テキトーにまとめられるようなことではない)、道元禅のエッセンスのように感じられます。それでふと思い立って『正法眼蔵』の「生死」の巻を持ってきて朗読してみたのですが、文語体ゆえか、私のアタマのキレが悪いせいか、お仲間のみなさんの反応もイマイチ......。それをフォローしようと思ってかどうか、ふとこんな歌が出てきたのでした。

♪無常迅速 落書無用〜 ドラえもんドラえもん......

あれ? そんな歌詞だっけ?
でも、バカボンみたいに、マンガの中に何気に仏教テイスト入ってたりすることもあるからね。などとテキトーなことを言ってたのです。ああ、ごめんなさい。

散会して、みなさまが帰られたあと、お茶碗を洗いながらドラえもんの歌を歌ってみました。

出前迅速 落書無用〜

きゃー、出前だった〜!

どこが仏教テイストなんだよー!!


いつもの私なら、わざと替え歌にして歌ってそうですが、わざとではなく素で間違えました。やっぱり私のアタマそうとうキテます。しばらくブログはお休みして療養します......。

<お知らせ>
次回10月4日より茶禅会は10時15分の拭き作務からスタートして、10時30分には坐っている段取りとさせていただきます。どうぞよろしゅう。


本日のおやつは、某丈手作りの栗の渋皮煮。美味しゅうございました。写真がイケてなくて、これまたごめんなさい。

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マロングラッセみたい〜と大好評

オマケから始まる道

アシュタンガヨガは、数多くある霊的修養のうちのひとつの方法です。
まず身体を調えることから先に入るので、現代人が実践すなわちプラクティスを始めるのに最適な道だと思っています。

それを言うなら、巷にあふれるヨガのほとんどが身体を動かすヨガではないかと思われるかもしれませんが、多くの場所で行われるヨガは身体のみ調えておしまいということが多い。健康法のひとつであったり、スポーツ的な気晴らしであったりはしますが、それらはゴールに向かって続いている道ではなく、あちこちに散在している「道の駅」のようなものかもしれません。道の駅は楽しいところですが、道の駅に通い詰めても、道の駅めぐりをしても、ゴールにはたどり着けません。ゴールがどこにあるのかも知らないまま、道の駅に行くことが目的になっている。

ところどころで「道の駅アシュタンガ」もあるのでよく勘違いされますが、アシュタンガヨガはそもそもがアーサナを出発点として、やがてはサマーディに至るまでの大いなる道として設計されています。アーサナは出発点であり、方法であって、目的ではありません。ポーズの完成は仮の目標として各自が設定するでしょうが、それ自体は本来目指すところではないのです。

アシュタンガヨガ は自主練スタイルで練習する(マイソールスタイル)のが最大の特徴です。黙々と練習することで、練習そのものが瞑想になります。アーサナだけが強調されているように見えますが、これは初歩的な瞑想の手段にすぎないのです。

とはいえ......、
その「単なる」手段自体の効果がひじょうに高いがために、それ自体が目的になりうるのもまた事実です。運動不足を解消し、気づくと健康になってしまっている。おもしろくて健康になれる。おもしろくてシェイプアップもできる。さらには「道なんかどうでもいいけど、これがおもしろくてやめられない」アシュタンガジャンキーと言われる人が続出します。

アシュタンガの道は、「おもしろくてやめられない」ポーズを追いかけるうちに知らず知らずのうちに歩いていることが多いのです。オマケに魅せられて始め、オマケを追い求めて続けるうちに、気づくと経典を読んでいたり、インドに行ったりしているわけです。そして、その経典がおもしろくなって初めて、ヨガとはアーサナでないことに気づくという......。

オマケというと、子どものころ近所の病院に行くと必ず売店でミルキーを買ってもらっていた記憶があります。おとなしくさせておきたい場所ゆえか、すんなり買ってもらえた気がします。でも、私がほしかったのはミルキーではなく、ペコちゃんポコちゃんの赤い箱にモールの取手がついているそのバッグ型の外箱とオマケでした。

いや、そんなノスタルジックな例を出さなくても、大人になってからスヌーピーのキャップほしさに、好きでもないコーラを買い続けたことさえあります。(ちなみにコーラはすべて「キューバリブレ」というカクテルになって消費されました)

アシュタンガヨガのポーズは、まさにそのオマケのようなもの。見た目に惹かれ、ポーズにはまり、取り組む面白さの虜になり、オマケのコレクションさえ始めてしまうのです。

たかがオマケ、されどオマケ。
バックベンドワークショップの準備をしていて、改めてオマケのおもしろさに感心してしまいました。こういったワークショップはある意味邪道ですが、本来の道から外れないで歩いていく分には、道の脇に生えている草を摘みとったり、昆虫や鳥を観察しながら歩くのも気分転換やモチベーションアップになります。

本日のワークショップ参加者は、そういったことを重々承知なさっている面々でした。打てば響くし。

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げんこつ山ではなく、椎骨のつもり


脚を使う練習をたくさん盛り込んだので、筋肉痛注意報が出ております。何しろ大腿死闘筋っていうくらいですから。(いわねーよ)

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大腿四頭筋のかなり弱っている部長.....


もう難易度の高いアーサナを追求するのは卒業した私ですが、アーサナ練習なしではこの先健康を維持できないであろうことは確実です。何もしなかったら、老化の波にさらわれて二度と帰って来られなくなるような気がします。バックベンドは特にアンチエイジングのポーズです。背中が丸くならないように適度に行いたいものです。

何より、健康な身体という土台があって初めて「道」が歩き続けられます。このオマケを大いに有効活用して、元気に道を歩いて行きましょう。

「ニャ」について考える

jñāna というのは知識という意味をもつサンスクリット語です。そもそもがサンスクリット語の音をカタカナで表記するのには限界があるのですが、それはさておき、この語は特に要注意です。日本語で書かれた(翻訳された)文献のほとんどは「ジュニャーナ」「ジニャーナ」と表記してあります。

デーヴァナーガリーでज्ञと記される文字は、アルファベットで書くとjñaと表記されるので「ジュニャ」なのでしょうが、インドでそう発音しているのを聞いたことがありません。マイソールで私が習ったのは「ニャ」という音に近い。おそらくアルファベットでjとした音はかすかな音なのだと思います。ヨーガ・スートラのチャンティングでお手本にしている先生は「ニャ」の前に「ング」のような微妙な音が入るので、それが本来のjña の発音なのかと思うのですが、確かなことはわかりません。

それでいつもこの表記にハテナマークが灯っていたのですが、よく考えるとそれが日本語らしいカナ表記のように思えます。外来語をカナで表記する際の日本的やり方、文字ヅラ重視の日本的表記と考えれば妥当です。「ニャ」だとnyaと同じになってしまうということもあります(だからカナ表記はしたくない)。

ところがインドでも地域によって発音が異なるようで、ヒンディー語を話す地域では「ギャ」と発音するようです。まったくもってさらに複雑です。でも、権威ある日本の学者は「ギャ」は間違いで「ジュニャ」が正しいと主張されています。学会のヒエラルキーに組み込まれている先生方はもちろん、インドでサンスクリットを学んだことはない翻訳者が「ジュニャ」と表記するのは当然のことです。そこに組み込まれてない日本ヴェーダーンタ協会発行の本には、jñāna のことを「ギャーナ」と表記してありました。

CHAZENで読んでいる岩波文庫の「バガヴァッド・ギーター」は「ジュニャ」という表記ですが、あえてそれを「ニャ」と読んでいます。CHAZENはアシュタンガヨガをベースにしているので、「ギャ」ではなくマイソール地方の「ニャ」。そして、ヨーガ・スートラではサンスクリットのチャンティングをしますから、リアルに近い発音で。ニャのほうが音としてもかわいいしニャ。

ずいぶんオタクな話になってしまいましたが、ヨガの経典を読む人は心に留めておいてください。


さて、先日のギータークラスでは、ヨーガ・スートラを理解するのに重要なサーンキヤ二元論の萌芽となる考え方、見るものと見られるものについて話をしました(ここにニャが出てくる)。この部分、初めての人は脳みそがフリーズしてまぶたが閉じるか、めっちゃハマるかのどちらかです。ただ、毎年ここを読むころには参加者が淘汰されているので、難しくても挫折するポイントではなく、むしろ次につながるためのよい刺激になっている気がします。今タームはハマる率が高かったので、スートラクラスにも出るように勧めたらさっそく申し込みが......。座学がますます楽しくなっております。

次のヨーガ・スートラクラスは、印哲風味満載です。いつもは「インド思想」という感じですが、ここはガチで「インド哲学」。でも安心してください。一介のヨガ教師がそんな大それたことを話したりしません。いつものように、インドの哲人たちがどんな風に考えたかを紹介しつつ、プラクティスや日常にからめて話します。難しい理論自体は理解できなくてもまったく支障はありません。わからなくても道は啓けます。道(方法)は数多くあるので、自分に合う道を歩けばいいのです。

CHAZEN的な王道について言うと、こんな感じに上っていきます。
アシュタンガヨガ(マイソール)→ギータークラス→スートラクラス

次回、ガチのインド哲学的スートラクラスは27日です。ただいま準備の関係でご予約が必要となっております。前日の午前中までにお申し込みください。また、日曜祝日のマイソールに空きがあることもありますので、座学の前にドロップインでのマイソール参加もご予約を受け付けております。

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夏の間の山ボケからようやくインド思想モードにスイッチが切り替わり、今回の分校滞在にもお勉強道具を持ち込んでいますが、予報に反してお天気がいい......。外に出たいわ、本は読みたいわ。けど、なぜかニャについて考えているムーンデイの朝。お山はすっかり秋の気配です。

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どんぐりさん......