CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

アシュタンガでパフォーマンス向上

ヨーガ・スートラクラスは、先日からついに超能力についてのエリアに入り、来年もしばらくは延々とその話が続くことになる。最初の目論見では、この部分は軽く触れる程度で超特急で進めようと考えていたが、3章に入ってからはもはやどんな経文が出てこようともCHAZEN風味でまとめることにしたので、難しかろうが、つまらなかろうが、意味不明だろうがどんとこいだ。

先日はまず2章にある八支則の復習から入って、いつも早起きしてやっているこの朝練はなんのためなのかということを再確認した。本来のヨーガの意味がわかってもいないのに超能力だけに興味をもって参加されるような人はCHAZENの周辺にはいないけれども(巷にはたくさんいる)、超能力だから関係ないやと敬遠されるのもちょっと違う。なぜここで超能力の話になるのか、それがどうヨーガに影響するのか、それを楽しみに読み進めていっていただきたい。

みなさんのコメントを聞く限りでは、ちゃんと面白味を感じてもらえているようなので、このまま突っ走っていくつもりだけれど、実践ありきのスートラクラスだけに、実践をしていない人、知識だけを学びたい人には少々醍醐味に欠けるかもしれない。もちろん実践はアシュタンガに限らず、瞑想系のものであればなんでもいいと思う。それに、日常全般に役立つことなのでそれなりに面白く感じてもらえるとは思う。それでもやっぱり、実践とセットで参加されるのがおすすめデス。

超能力のことに関していえば、CHAZEN風味になると「超能力→パフォーマンス向上」くらいに日常レベルの話になる。実際、このくらいならばヨガの実践を続けていれば誰でもその恩恵に与ることが可能だ。先日太陽礼拝のことを書いたけど、そのリンクを貼るのに昔のブログ記事を検索したら、くだらない妄想日記を発見した。

chayoga.exblog.jp


どーでもいいことばっかり書いてたなあ(今でもか)と思いつつ、でも、たぶん村上春樹はほんとうにそうやってひとつひとつのことに集中しているから、その能力が発揮できるのだろうと思ったのだった。たとえば頭のいい人というのは、集中して人の話を聞くことができるということだったり、集中して本を読んだり、何かに取り組むことができるということなのだろうと思う。決して散逸しないから、パワーを最大限に使えるのだ。

アシュタンガの練習に集中できる人、あるいはそういう時は、たぶん仕事も勉強もできるし、家事なども捗るのではないかと思う。たとえば病気で具合悪いとき、寝不足のときは、ぼんやりして集中できないからパフォーマンスが落ちる。

アシュタンガの練習で瞑想状態になるまで集中することが、練習以外での能力開発につながるのは明らか。そして、そのパフォーマンスを左右するのが食生活だったり、ふだんの生活態度。アシュタンガで身体に敏感になると、鈍重な自分に気づき、そこから脱したいと思うようになる。頭で考えているだけだと、食べすぎていたり、よろしくないものを食べていることにすら気づかないから。

翻って、炭水化物摂りすぎてたときのおのれの鈍重さと時間の無駄遣いたるや......。
この秋冬はどんなに寒くても食べすぎないようにして、超能力は発揮できずとも、ふつうの能力をMAXに開発していくのだと決意を新たにしている。サンスクリット語を前にして意識朦朧になるのはもう卒業したいもの。

とはいえ、ほどほどに炭水化物もいただいておりますよ。

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ご近所のスリランカカレー

初心者の語る太陽礼拝愛

来月の太陽礼拝WSのことを考えていたら、想いが想いを呼び、寝る前なのにギンギラギンに目が冴えてしまいました。

改めて考えてみれば、このワークショップを企画したのは思いつきのようでありながら、実はCHAZENの集大成というか、私のヨガやアシュタンガや仏教に対する思いそのものです。2009年初めてのマイソールで、グルジのスーリヤ・ナマスカーラ本が品切れだったことが残念でたまりませんでした。その後の滞在で手に入れることができてその内容に感激し、いつか太陽礼拝だけを語るクラスをやるぞと思いつつも、なかなか実現には至りませんでした。

コロナ禍を経て8周年のいま、ようやく「その時」がやってきたのです。
太陽礼拝は初心者が最初に習うポーズですから、バックベンドのようになんとか攻略したいと思っている人は少ないと思います。にもかかわらず、アシュタンガヨガの本質に触れる深淵なテーマなので、はたして興味をもってもらえるのか......。ひとりでも参加してくれたらと思っていたところ、すぐに定員を超えるお申し込みをいただいたのは望外の喜びでした。

世界中がコロナに喘いでいるなか、こんな小さなマイソールクラスがなんとか継続できていることが不思議でたまらないのですが、それはたぶんこの太陽礼拝に対する私の思いを共有できる人の存在と関係があるような気がするのです。このワークショップに参加してみようと思った人には、おそらくその思いの半分がすでに伝わっていると思います。

すでに感謝と祈りのエネルギーは生まれているのだと思います。

たびたび書いているように私はスーリヤ・ナマスカーラ教の信者です。もしかしたら、私の愛しているのはアシュタンガヨガというよりも太陽礼拝なのかもしれません。

chazen.hatenablog.com


でも、件のグルジによる太陽礼拝本を読んでいると、太陽礼拝こそがアシュタンガプラクティスの中心なのだということがよくわかります。太陽礼拝を習って、これは五体投地の礼拝だと思って以来ずっと、スーリヤ・ナマスカーラを崇拝し続けてきました。それがアシュタンガの道へとつながっていったのです。

chayoga.exblog.jp


その出会いのルーツを遡っていくと、チベットのこと、ダライ・ラマのことに少なからぬ関心を抱いた30年以上前に行き当たります。それは物語の伏線のように仕掛けられていました。当時、それらのことは私をジャーナリズムの世界へ導くかのように思えていたのですが結果はそうならず、さりとて人権活動のほうにもご縁はありませんでした。まさかそれがヨガと仏教につながるなんて、当時の私が聞いたとしてもきっと信じなかったでしょう。

と、まだクラスを実施してもいないのに、もう受講の受け付けが終了したのに、なぜ太陽礼拝愛を語っているのでしょうねえ、私は......。

たぶん初心者のころ、楽しくて楽しくて誰かにそれを話したくてたまらない、あの感じが今でも続いているのだと思われます。その意味においては、いまだにビギナーズマインドを保持し続けているかもしれません。

3日のクラスではそんな初心者魂で喜びを分かち合えたらうれしいです。
ただいま8日のワークショップはキャンセル待ちですが、23日のお粥の会はまだ空きがあります。作法どおりに食べることが目的ではなく、そこに込められた教えについて紹介するための会ですので、どうぞ気軽にご参加ください。


キッチンの中からこっそり練習生をチェックする部長。

しっかり呼吸してな

栗ご飯で茶禅会

東京は寒いわー。
お山のほうが気温は低いけれど、薪ストーブでぬくぬくしてた。東京のはビミョーな薄ら寒さだからね。今日は固形物をとらない断食モードにしようと思っていたけれど、あまりの寒さに中止した。これからの季節は寒さに少食生活を妨害されそうだ。かんたんに負けてるし。

さて、土曜日の朝分校を出て、この土日に開催されたwisdom2.0というカンファレンスをオンラインで視聴させていただいた。主にマインドフルネス系、仏教・瞑想方面のプログラムで、マインドフルネスの第一人者であるジョン・カバット・ジンとか、ずっと気になっていたけどお話を聞く機会がなかったジョアン・ハリファックス老師とか、最近ご無沙汰している藤田一照さんらのお話を聴く機会に恵まれた。

30分だけどベルリンの星覚さんの坐禅の時間もあり、いきなり面壁といって壁に向かって坐禅する姿で登場した星覚さんには大ウケした。いつかのオンライン坐禅会ではビデオオフにして音声だけにしたけど、毎回オンラインならではのひねりを効かせていることに「やるなあ」と一本取られた感じだ。

昨日の日曜日の朝に、前述のジョアン・ハリファックス老師によるmorning meditationの時間があり、マイソール時間中だったので玄関で流しておいて、アジャストの合間に聴いていたのだけれど、想像以上にsweetな瞑想の誘導に魅せられた。それはサラ・パワーズの陰ヨガの誘導にも似ていて、まるでヨガクラスのようでもあったけれど、その柔和な顔つきにはダライ・ラマ猊下を思わせるものがあった。(と、老師の経歴を確認しようとUpaya Zen Centerのサイトを見に行ったら、His Holinessとのお写真が!)

それで、茶禅会の時間にみんなで老師のお話を聴くことに。しかし、同時通訳だと聞きづらいし、老師のナマの声も聞こえなくなってしまう。しばらくは録画が見られるようなので、またの茶禅会で「まとめ」として紹介することにして視聴を中断し、随聞記→茶話会→坐禅という、ふだんと違う順序で茶禅会を進行させた。

ヤル気の勢いで、この茶話会用に栗ご飯を炊いたけれど、お山で作ったようにはおいしくできなかった。圧力鍋で炊いたからだ。それでも、喜んで食べてもらえた。おやつ的な栗ご飯でも五観の偈を唱えていただきますをしたら、向こうのほうで熟睡していたはずの部長がムクっと起き上がってきた。おじいちゃんの鼻はまだまだお達者のようで......(でも匂いの元にたどりつけない)。

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くりごはんはどこじゃ〜クンクン


今また仏教(禅)とインド哲学の学びを深めたい気持ちが押し寄せているけれど、お寿司とカレーと鍋焼きうどんを全部一度に食べることはできないのだ(おにぎり2個とカレーは食べられるけどね)。落ち着け。冬になったらも少し余裕ができると言い聞かせているところ。(断食するとお寿司とカレーと鍋焼きうどんが全部食べられそうな気がしてくるけど)

サットヴァを呼ぶ少食生活

たった1日の断食後は、あらゆることがいい流れに乗っているような気がします。肉体的にも快調であるばかりか、精神的にも気力にあふれ、かつ穏やかで安定しています。いつもの自分に戻っただけなのですが、いろいろがうまくいっています。

今回の伐採も然り。
2日目はまず先日の倒したカラマツを北側に運ぶところから。大雨の時に泥が流れてこないよう堤防をつくりたいとお願いして、大木を運び入れてもらいました。さすがに人力ではびくともしないので重機が活躍します。

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ウッドデッキの脇を通って裏側へ


この強力な堤防+お濠があればたいていの大雨は大丈夫と思われます。

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これでひと安心


大がかりな工事は金銭的に無理なので知恵を絞り解決策を考えたのですが、わたしひとりではとても実現できません。それを、実に協力的に手伝ってくださった。普通の業者さんだったら、かなりの確率で嫌がられると思うのです。何十万も出せば話は別ですが、かなりの低予算です。嫌な顔されても文句は言えません。それなのに、このあともさまざまな私のお願いを二つ返事で次々処理してくれて、みるみる庭がすっきりしていったのでした。

もちろん、これまでにも仕事をいろいろ頼んでいるので信頼関係が成立したというのもあります。でも、おそらく仕事そのものを楽しんでやっているので、金銭的な損得勘定よりも仕事をまっとうすること自体が喜びになっているのだと思います。金銭とサービスのやりとりというビジネスではなく、業者と顧客を超えて一緒に庭を片づけてくれたようなあたたかさを感じて、泣きそうなくらいありがたかったです。

これぞサットヴァな働き方ですね。
見返りを求めず、仕事そのものを楽しんで、利他の精神でやる仕事......これぞ光り輝く純質の働き方です。庭がきれいになったことよりも、そういう人たちを見たことのほうが大きな収穫でした。

気づけばずっと曇っていた空が晴れ、光が差し込んできました。
このチャンスを逃してなるものかと、泥だらけの長靴を脱ぎすてて家中の窓を開けて風を通し、押し入れに入っていたプロップスを日に当てて、お腹を空かせて徘徊している犬にごはんをやり、再び長靴履いて堤防のまわりを泥で固める作業をして......と動き回っていると。

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黄色いボルスターが増えている


お昼で作業が中断する間に、栗ご飯を炊きました。
ちょうど堤防をつくったあたりに落ちてきた栗を拾って、ちょっとだけ虫食いとか、割れかけのを捨てるのがもったいないので、むいて炊き込んでみようと思ったのです。今まで作ろうと思ったことはないので、これもヤル気のせいですね。朝練終えてから伐採作業が始まるまでの短時間に皮をむいて浸水しておきました。

土鍋をガスにかけてから洗面所に行ったら、ふと「そうだ、この晴れ間に玄関を掃除しよう」と思い立ち、夏の間は虫が入るのでできなかった大開放モードで掃除をしました。おそろしくヤル気です。が、ふと気づいたら、何か臭い......。

あ、栗ご飯のことを忘れてた!
あぶないヤル気です。焦がしてしまいましたが、山栗がとてもおいしい。ゆでたよりも10倍おいしく感じられました。

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下のほうはコゲコゲ......


3時すぎに伐採作業がすべて終わり、大急ぎで庭を片づけて出かけます。まずは放置されていた部長のご接待から。

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ハーネスなしでも快調さ


そして、自分のご接待にトンボの湯。

ベッドに入れば30秒で眠り、朝になればパチっと目が覚める元の身体に戻り、肉体労働の疲れも一晩眠って解消される。健全さのありがたみを実感する毎日です。

伐採立ち会い

今日はぐっと寒くなりましたね。
朝はさほどでもないかと思ったのですが、午前中散歩に出たら寒い。シューさんに採用したベスト型ハーネスのおかげで私が普通の速度で歩けるようになったにもかかわらず、カラダがあたたまらず。結局、日中もずっと薪ストーブをつけておりました。

とはいえ、私はほとんど外にいたので、ストーブの前でぬくぬくしていたのはこの方だけです。

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オレだって外で遊びたいのに......


今日は伐採だったのです。
昨年から検討していながら保留にしていた、庭の真ん中にある大きな松の。かなり大きな木で危険が伴うこともあり、いつもお願いしている管理会社の人も緊張すると何度も言っていました。

でも、木を倒すまではさほど手もかからず、すすっと進みます。まず幹の真ん中あたりにワイヤーを巻いて......。

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ハシゴ登るのも危険が伴う......


ひとりが木の倒れる方向に立ってワイヤーを引っ張り、もうひとりがチェーンソーを入れていきます。

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人が小さくみえる


狙ったところにバッチリ倒れて大成功。
もう一本もっと細いのも伐ってもらったのですが、そっちは途中で木の枝にかかってしまい、下から少しずつ切っていくというたいへんな作業をされていました。木を伐るというお仕事は周辺の環境などの条件によってテクが違い、なかなかおもしろそう。今世ではやりませんがね。

その場の成り行きで、ほかにも何本か伐ってもらいました。
間伐という視点でどの木を伐るべきか、少しわかるようになってきたので、その場でこれ切ってあれ切ってとお願いしたら、だいぶすっきりしました。

切り株を低くしてもらうように頼んだり。

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軽くお願いしたあとで、けっこう大変な作業だとわかる


立ち会わなかったらこの展開はなかったので、予定を早めて来てよかったです。

昨日は夕方にもごはんを食べたので、今日は朝ぜんぜんお腹がすきませんでした。それに時間がなくて必然的に1食でした。そして、朝からずっと肉体労働の嵐で、食べていなくてもクタクタです。温泉につかって疲れをとりたいところですが、温泉まで行く余力がありません。

このあと、伐採された松の木が倒れるようにベッドに倒れ込みます.....。

ごはんなしでも生きていける......?

味噌汁断食をしたのが先週の月曜日。
固形物をとらなかったのはこの日だけで、火曜日から少しずつ食べ始めて1週間以上が経過し、あきらかに、あからさまに、別人のように調子がよくなった。

たった1日で、もはや少食体質に転変した(少食のサンスカーラが優位になった)。

唯一の「食事」であるランチには、最初は白米のお粥から始めて、白米ごはんと味噌汁、そして玄米と野菜+厚揚げなど普通のおかずを食べるようになっているが、不思議なことに大好きなごはんがなくても大丈夫になっている。オドロキモモノキだ。

もしかして、私はごはん(米)が好きすぎて、ごはんに身を捧げ、ごはんに義理立てしていたのではないか?

だってねえ、糖質オフについて調べていると哀しくなってくる。わが愛するごはんくんが悪者にされているんだもの。

多くの人がご飯少なめに食べるようになっているけど、私はいっぱい食べるよ。いつだって、私だけはごはんくんの味方だからね。

そう思って一生懸命ごはんを食べてきたけど、たった1日食べなかっただけで、ごはんがなくても生きていけそうな気がしてきたのはいったいどういうことか。私のごはん愛は、単なる愛執にすぎなかったのだろうか。

1日1食にすると、アタマすっきり、カラダすっきり。
食事のあとでサンスクリットを見ても眠くならない! 今までのあの意識朦朧はサンスクリット語のせいではなくて、炭水化物のせいだったのか。ごはんのためにどれだけ時間を無駄にしたのだろう......。

そして、具合が悪いと修行自体がダメになるから、どんどん堕落のスパイラルに陥ってしまう。悪いとわかっていてやってしまうときは、意志が弱いのではなくて、体調が悪いだけなのかもしれない。


さて、予定を1日早めて分校におります。

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紅葉が始まったけど、まだ緑が多い


分校では1日2食にした。肉体労働をするから。そして、たまには増量したり、ちょっと好きなものを食べることによって、この少食生活を持続させようと思うから。

ただし、これは生活のリズムが変わるときだけの特例で、東京では1食を貫く。

わがシュー部長は断食少食には絶対反対、断固反対だが、常に食べる量をコントロールされているのでこの年になってもお元気なのだ。ただ、お年寄りになると冷えるようなので、ついに犬生始まって以来の「服を着る犬」に。

長生きはしてもしなくてもいいから、最後まで元気でいてほしい。歩けるうちは足腰を鍛えてガンガン歩けるよう、ハーネスを導入した。首輪だと引っ張れないけどハーネスなら歩く力を補助してあげることもできる。

思惑どおり、めっちゃ歩くの早くなった。てか、おじいちゃん的には全速力かも。

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おもちゃの犬みたいに引っ張られて走ってる?

禍転じて......第7期ギータークラス終了

今期は希望者少なくて開講見送りかと思っていたバガヴァッド・ギーターのクラスなのに、イントロクラス+5回に濃縮したダイジェスト版にしたせいか、スタートから昨日の最終回まで一貫して受講者が安定し、またモチベーションの高い人が多く集まったすばらしいクラスになった。何がどう転ぶかわからないものである。

しかも、夏までには終了する予定だったのが、コロナで延期されたにもかかわらず、である。もしかしたら、コロナのおかげで盛況のうちに終わることができたのかもしれない。海外赴任の予定があって4月以降は受講できないはずだった人も、日程が合うかどうか......と言っていた人も、みんな揃って昨日の最終回に出席された。

5月の、まだ緊急事態宣言のときにオンラインで開講したギータークラスも印象に残っているようで、非常時の背景があるからこそ、ギーターの教えが平時よりもずっと心に沁みたし、実際に役に立つことを実感できたと思う。コロナと言っているが、禍転じて福と為す一面もある。

もともとCHAZENは少人数でコンパクトにまとまっている「学苑」だけれど、コロナでさらにいっそう拍車がかかり、よりコンパクトに、より深く、凝縮されている。より多くの人にこの習慣を始めてもらいたいと願いながらも、うわべだけをなぞるのではなく、ほんとうのヨガのすばらしさを知ってもらうことが私の目指すところなので、思いが叶っていることに改めて感心したり、感謝したり。

インド思想の勘どころをたちまち捉えて即ハマる人がいるのも喜ばしいが、最初はまったく何を言っているか理解できず、途中やる気を失いかけながらもなんとか続けているうちにだんだんおもしろくなってきた人を見るのが、実はひそかな楽しみだったりする。何かが伝わった喜びであり、何かを共有できた喜びである。

なぜ人は他の誰かと何かを共有したいのだろう。
なぜひとりで喜びを噛み締めているよりも、誰かと分かち合ったほうが喜びが深くなるのだろう。

共感すること、つながることがなぜう喜びにつながるのか。
生物としての人間に備わっている本能なのか。

なかなか人に理解されにくいことをやっているので、通じたときの喜びが大きいのかもしれないけど......。


ダイジェスト版はとにかく時間が足りなくて、従来のように私がしゃべりすぎずに済んだ。しかし、さすがにこれでは短すぎる。次回開講するときは回数あるいは構成の見直しをしないといけないが、こういった状況なので新しいクラスを開講するのは先にして、当面はヨーガ・スートラのクラスに集中していきます。

ますますコンパクトに、ますます濃縮されていくCHAZEN。
波にゆられてたどり着く先はいずこやら......。


今回のギーターおやつは、糖質制限に無理やり付き合わせてのりんごとナッツ。
やや大きめのりんごをあげたら、噛むのに難儀していたシュー部長であります。歯は丈夫なのだけどね。

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ふんがっふんがふが......