CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

セレブ犬

麻布十番のあとは、軽井沢へ。
理事長ともなると、港みなとにオンナがいるように、行く先々に担当医がいて、鍼灸治療に漢方薬で健康を守ってくださる。

高齢犬は冷えるのでワードローブがにわかに増えたこともあり、近ごろは「セレブ犬」と言われるようになったシュー太郎氏である。

服を着せようものなら食いちぎって嫌がる犬だったのに、そもそも公園の茂みに入って腐った弁当を拾い食いする野犬のような犬だったのに、犬生どう転ぶかわからないものである。

しかし、そこは成りセレブ。
都会よりは野犬時代になじんだ山の空気が性に合うのか、お山に来ると調子が上向く。もじゃもじゃのときは浮いていることの多い脈が、どんぐりでは落ち着いた脈なのだ。

まずはお灸から始まり、刺さない鍼やマッサージでやさしい刺激から。

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じわーっときもちいくなってきた


最初のうちはモゾモゾ動いていた理事長であるが、そのうちどんどん崩れてきて、最後に鍼を刺すころにはいびきをかいて寝ておられる。それを見越して、最後そのままくるんで運べるようブランケットを敷いておいたので、どこからが犬なのかよくわからない図。

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背中から飛び出ているグリーンが鍼だよ


先生が言うには、鍼を刺したときの感触が高齢犬にしてはよいのだそうだ。ステロイドなど薬漬けになった子とはやっぱり違うらしい。それで、以前クッシング症候群と言われてホメオパシーで治した話を振ってみたら、さすが若くて勉強熱心な先生らしく通りがいい。だいたい年齢が高くなるほど西洋医学絶対信仰が強いので、ホメオパシーなんて言っただけで変人扱いされたりするからね。

西洋医学で使うクッシングの薬はとてもよい薬なのだけど、一生飲み続けないといけないんだよね、と先生が言われるのを聞いて、あの時なんとしても薬を飲ませたくないと思って論文を見つけ出した我が執念をアッパレと思う。

これぞシュー念なり。

今回もそのシュー念によって、もじゃもじゃ&どんぐり先生に出会えたので、さんざん逡巡したけれども決して無駄なあがきではなかったと思う。長期にわたって薬を飲み続けたら、本来持っている自己治癒力が低下して、生命力そのものが損なわれるのはほぼ間違いないと見ていいだろう。


ぽかぽか陽気のテラス日和なので、治療の帰りに気になっていたカフェに寄ってお茶。

セレブ犬やしなww

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今でもそこにあれば腐った弁当拾い食いするやろけどな


トレーに添えられたお花がステキすぎる。

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セレブ犬にお似合いじゃのうww


そもそもがお花屋さんなのだけど、室内に生けられた花をはじめとするインテリアがめっちゃおしゃれで、神楽坂くんだりから来たオバチャンはびっくりだよ。今は閑散期だからそれを楽しめるけれど、新緑の季節以降はすごいことになるんだろな。ぶるぶるっ。

学道の人、すべからく貧なるべし
道元禅師

のわたしらは、熾火になったストーブで焼き芋でも作ってから、神楽坂クンダリニー帰りますかね。

10度目の3.11がめぐってきた

山ノ分校ニ居リマス。

今回は暖かくてラクです。

とにかくここは静かで、視界に入るのは大地と空と木々ばかり。それだけで心のモードが変わることを実感します。心がベストポジションに収まるような感覚です。

このところ、なんとなく張り合いに欠ける毎日でした。けれども、お山に来るとそういう気持ちがすっと引いていって、代わりに落ち着き先が降りてきます。

3.11から10年ということで、新聞などでさまざまな人たちの震災に対する思いを読んでいますが、あまりにもショッキングな出来事だったので、被災しなかった人でさえも罪悪感や無力感をもったまま生きていることに気づかされます。

みんな心の底にこのモヤモヤを抱えている。誠実な人、まじめな人ほどその思いが強いかもしれません。誰もがあの日のこと、そしてあの日から続く日々のことを鮮明に記憶しています。

お山にいると、そういう気持ちを否定するでもなく、そこから逃げようというのでもなく、忘れるわけでもなく、ただ静かにそのモヤモヤがある事実だけを受け入れることができます。

どんなことがあろうと、時はうつろい、いつも新しい今がそこにあります。どんな思いを抱えていようが、どんな過去に苛まれようが、しっかりと立って、歩いていくだけなんだなと。

震災から10年を経て、私にとってはそれが「祈り」であるような気がします。

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鎮魂のお花を捧げるでし

上虚下実

坐禅は人によっては苦痛以外の何ものでもないらしい。
ある人にとっては組んだ脚が痛くて、またある人にとってはいろいろな考えが沸き起こりすぎて耐えられないと言う。私がつらさを感じるのは眠いときだ。永平寺の修行僧がお腹を空かせるのはそのうち慣れると思うけれど、3時間くらいしか寝ないで坐禅や朝課に参加するのがいちばん堪えるだろうなあと推測する。

反対に坐禅が楽しくて仕方ないという人もいた。
楽しい=安楽の境地であればいいのだけれど、「楽しくて背中に羽が生えて飛んでいきそう」と言うので、それは坐禅とは反対の方向へ向かっている気がした。一般的には楽しいことはいいことだとポジティブに捉えられると思うけれど、坐禅は「羽が生えて飛んでいきそう」なのをどっしりと肚に落としていくためのもののように思っているからだ。羽が生えそうな楽しさは、お酒を飲んで楽しいとか、恋をして楽しいというタイプの楽しさだと思う。

アシュタンガの練習も同様で、練習自体は楽しむものだけれど、ポーズに酔いしれて楽しいだけなら、それはヨガではなくなる。それとこれとは違うのだ。アシュタンガのテクニック的には軽い方がいいと思うだろうけど、フワフワしているだけなのは不安定で、心にも不安定さを生む。ただし、初心者は難しいことを考えずにただ楽しいから続けるだけでOK。でも、慣れてきたらyogaの練習にしていってほしいね。

東洋医学の本を山のように借りてきて読んでいるけれど、そこに出てくる「上虚下実」という言葉が表すように、下半身(土台)をどっしりと落ち着かせて、上半身はリラックスして柔軟というのが理想の身体条件。たとえば武道などはまさにこのとおりで、下半身を安定させて上半身を縦横無尽に動かすことが強さを生む。ダンスなどでも土台や軸はブレないように安定させておくことが重要だから、東洋に限った話ではないのかもしれない。

精神的な意味でも「上虚下実」は強さを生む。
大地にしっかりと根ざした強い土台があれば心はいくらでも自由になれる。土台ができてないと、楽しさで羽が生えて飛んでったら、それは迷いになるだけだ。だから、アーサナの練習でグラウンディングを意識したり、坐禅でどっしりと肚を据えることが、肉体も精神も落ち着いて、より自由自在になるための訓練になる。下半身が安定すると、自分が信じられるようになると思う。いろんなことが気になりすぎたり、こわいことがたくさんある人は、ヨガや坐禅でしっかりした土台を作るといい。

頭寒足熱も似たような観念かもしれない。
血流の問題なのだと思うけれど、頭が熱くなると気が上ってしまうから、下半身を温めて気を全身にめぐらすという意味もあるような気がするな。

すっかり下半身が虚してしまったおじいたんだけど、ワン!と鳴く声はまだ力強い。

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おじいたんでもかわいいんでし

星の王子さまとオンライン坐禅会

先月、山の分校から帰る途中、いつものように星の王子さまPAに寄ったところ、王子様からのメッセージが貼ってありました。

王子さまは2021年3月31日の夜、バラの待つふるさと星B612へ帰ってしまうんですって。

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寂しいよ、王子さま......


このPAはいつも空いていて、お庭のバラを眺めるのも楽しいし、犬を散歩させるとローズマリーの匂いがカラダについてシューがいい匂いになるのが好きでした。残念です、王子さま......。

でも、星の王子さまはわたしたちの心の中にいてくれるはずだから、姿が見えないことはたいした問題ではないでしょう。

それに、当学園にも「星」の王子さまがいるじゃないですか。
最近は「星覚さんによる坐禅会」を省略して「星の坐禅会」と呼んでおります。次回はナマではなくて申し訳ありませんが、王子と一緒に坐禅をして、般若心経を読誦し、「正法眼蔵随聞記」をテキストにざっくばらんに話をいたします。どなたでもご参加いただけますので、お気軽にどうぞ。

www.chazenyoga.com


大事なことは目には見えないから、大事なことを感じとるピュアな(サットヴァな)心を育てるのです。それは「何もしない」をする訓練によって可能になります。


chayoga.exblog.jp


犬の王子さまは、すっかり犬のおじいさまになってしまいましたけどね。

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人間風の座り方

もじゃって安心

シューさんの気が少しずつ上がってる感じだった週の始め、ちょうど鍼灸の予約をしていて、タイミングよくリスク回避できた。だいぶ暖かくなってきたので、ゆっくり散歩しながら行ったら、電車の中でも静かにしていた(帰りはお腹すいたのか、スリングの中でジタバタしてたけど)。

春はてんかん発作が出る季節なんだそう。そう、木の芽時は天気も気温も急激に変化しやすいから、人間の心身だって不安定になるし、犬猫も気が上がりやすくなるであろうことは想像に難くない。私もちょっとおかしいⓂ︎んっッッッッッッッッっッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッbvfっでええええええええええええええs。


おっと、パソコンを床に置いたら理事長が四肢でタイプした(無修正)。

絶妙なタイミングに、絶妙な文字列。
まるで私が、頭がおかしい表現として書いたような文字じゃないですか。

てか、Ⓜ︎ってどうやったら出てくるん? もしやキーボード配列を知り尽くしている? 天才犬か。


それはさておき。

1月に初めてもじゃもじゃに行ったときは、まさに緊急事態宣言が出たばかりで、先生と話すのも治療中もワタシは待合スペースにいたのだけれど、今回はぐっと近くで治療を見せてもらえた。

脈診をした先生いわく、脈が浮いていると。
うむ、私の見立てどおり、あまりよろしくない状態だ。最初に後脚に一瞬鍼を刺していたので、何をしたのだろうかと聞いてみたら「瀉血」だそう。瀉血といっても血が流れるわけではなく、刺激して瘀血(血流の淀み)をとる感じだね。

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オケツって言いたかっただけかよ


そこからは実習生のようにガン見しながら、ツボなんかも確認して、温灸のやり方も教わって、ホームケアの参考にさせてもらった。もし今私が中学生だったら、将来は犬猫の鍼灸医になろうと思ったかもしれない(くらい興味津々)。

動物病院の鍼灸治療も流派があってやり方はそれぞれ異なるようなので、軽井沢のどんぐり先生と同じだったとはラッキーだ。違っていたら両方で治療を受けるのは少し問題があったかもしれない。

たとえばハタヨガしか知らない人が、旅先で朝ヨガに行ったらアシュタンガだった場合を想像してみたまえ。

ともあれ、いつものように治療が終わるころには、浮いていた脈がすっかりなめらかになり、発作出てない記録も更新中。

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これはきもちええで〜


こういった神経系の病、特に気圧やら天気やら自然現象がトリガーになって発作が出るような病は、自然に寄り添うように作られた東洋医学との相性がいいように思う。病とかウイルスは打ち勝つものじゃないから。

シューの発作は最初ストレスがトリガーだった気がする。11月から私モーレツに忙しくなったから、その波動がシューにも伝わっただろうし、実際あまりかまっていられなかった。以前のクッシング症候群もストレスから発症したことを思えば、私のストレスをもろにかぶって病気になるのかもしれない。

そう考えると、家でやる温灸は、温灸そのものよりも、そうやってシューのことかまってあげている時間が何よりの治療になるのだろうね。たくさん家で「治療」してあげないとね。

お膝の上でかわいがってあげるでし。

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余は満足じゃ

漂うままに

先日、アタマとカラダのマッサージを受けたら、けっこうあちこちがひどいことになっていた。オシリなんてもう何か仕込んであるんじゃないかと思うほど痛くてびっくりした。これほどまでに臀筋が凝っていた記憶がない。しかも、押されて初めて気づくというありさまで......。

日頃、練習生のカラダの具合を見て、メンテの助言などえらそうにのたまうワタシなのだが、オマエがなっ!である。

かっさを使ったヘッドマッサージ目当てで行ったのだけれど、あの、無常迅速をドラえもんの歌にしてしまったときと同じように「頭ガチガチです」。さらには肩甲骨がくっついて肩が前に入っているというのも指摘された。翌日、ダウンドッグで意識的に肩甲骨を離して背中側に引き上げるようにしてみたら、上腕にすごく違和感がある。これはまだ後遺障害が残っているためなのかもしれない。

そういや、インドで骨折してから丸5年だ。
ってことは、ゆる練歴も5年。CHAZENを始めて8年だから、CHAZENをオープンしてから自分のアーサナをがんばっていたのはたったの3年だったのね。

骨折がなくあのままアーサナを追究し続けていたら、CHAZENはどんなマイソールになっていたのだろうか。目指すところは昔も今も変わらないけれど、行き着くところは同じだっただろうか。私が難しいポーズを攻略することにエネルギーを使っていたら、やっぱりCHAZENももっとアーサナ風味が強くなっただろう。そう考えると、田んぼや山の分校は、アーサナに費やしていたエネルギーを持て余しての結果だったようにも思える。インドにも行かなくなったしね。

人生はまるで難破船に乗って海を漂っているようなものだ。行き着いた島で、その島の流儀に従って生きる。そこで船をなおしてまた海に出るもよし、島に残ってそこで一生を終えるもよし。ただし、海で、島でまた何が起こるかわからない。大事なことは何が起こっても、それを引き受けること。それを楽しむこと。

「任運自在」という禅語をご存知か?
流れのままに、運に任せておけば、自在(思うままになること)なのだ。無理に抵抗したり、落ち込んだり、あくせくしなさんなってこと。何かがあったときはたいてい、その何か自体ではなく、その何かに反応している自分がいちばん自分自身を困らせているのだよね。


では「任運自在」の逆をご存知か?

「人類がコロナに打ち勝った証」とか......。
これ、結局は誰にも自在がなくなる結果になると思うんだけどねえ。


閑話休題

コロナという嵐は最後にCHAZEN号をどこまで運んでいくのか。

春は新しく練習を始める人が増える季節だけれど、まだまだ世の中そんな気分になりそうもない。もうしばらくはソーシャルディスタンス&換気で、ゆったりと漂うとしますかね。

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毎年いただいく奄美のたんかんを理事長殿に奉納


理事長がガブっと食べているうちは平穏ですわ〜。

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う、うめえ!  (汁たらたら)

記録更新中

しゅーたろさんの抗てんかん薬が残り少しになったので、ご当犬が寝ている間に徒歩圏内にあるペットクリニックへ。

前回薬をもらいにいったのが2月2日で、そのとき先生が「もし頻繁に発作が出るようなら1回半錠のところを1回1錠にしてみて」と言っていた。なんとなく、「こんな少しじゃ効かないよ」というニュアンスを感じて気になったのだけれど、まるで予言のようにその晩に発作が起きたのだった。それで言われたとおり1回1錠にしたらどうも様子がおかしいので、やっぱり中医学だと確信して振り出しに戻ったことは先述のとおり。

この先生にはそういう経緯などもすべて話して、抗てんかん薬だけを出してもらっている。たとえば発作が止まらなくなったり、想定外の事態で緊急の処置が必要になったら、やっぱりここに駆け込みたいから。

病気知らずのシューなので、お世話になったのは最初ホテルとかトリミングだったのだけど、宿泊中に病院内で自由にさせてもらっている間、待合室に置いてある売り物のドッグフードの袋を食いちぎって中身を食べちゃったりと、よその家だろうがなんだろうが悪事の限りを尽くしていたシューのことをよーく知っているのはここだけだからね。

それにしても漢方薬なんていう苦くてまずいお薬でも、フードと混ぜれば喜んで食べるさすがのシュー太郎氏である。悪の元凶である食い意地がこんなときは役に立つものだ。この「なーんも気にしねえ」性格、あるいは空気読まない、人の顔色うかがわない性格は、それゆえに私と相性がぴったりなのかもしれないと、最近改めて納得している。人間だったら「ありえねー」けど。

ともあれ、前回の2月2日の夜以来発作が起きていない。いちばんひどかった年末年始が1週間、そのあとはだいたい2週間おきで発作があったので、3週間以上発作なしは今のところ最長記録更新中。漢方薬は効くまでにひと月かかるということだったけれど、そろそろ効いてきているのかもしれないな。

あわよくば2月2日を最終にすべく(とか言っているとまた発作がきちゃうぞ)、シュー理事長のお抱えお灸当番として、陰ヨガで習ってもちっとも頭に入ってこなかった中医学の基本システムや、犬の経絡(ツボ)についても本腰入れて勉強中。


帰りに、白銀公園の向こうに昨年オープンしたアカアマコーヒーに寄って一服。外から見た雰囲気で気になっていたけれど、なかなか入る機会がなかった。CHAZENのベランダもこんな感じにかわいくしたらどうかな。ほっとする空間を作ってヒーリングスペースにしようかな、なんて妄想が炸裂。

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朝8時から営業しているのがまたいい

そんな妄想ができるのも、発作が抑えられているおかげであります。