CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

3日目:医療現場を思う

ごきげんよう
臨時休校3日目のよしなしごと日記です。

インド思想の本、どれを紹介しようかと考えてみたら、かなり自分の好みが反映されたものになることが予測された。スートラの解説などもそうだけれど、それぞれ書き手の研究テーマや主張があるので、三者三様、十人十色、千差万別。かといって、学校の教科書のように一切の個人感情が入らないと、それはまた読み物としての面白みに欠けるしね。

西洋人からみたインドは、東洋的な私たちの感覚とはまた違う驚きに満ちていることだろう。日本人の学者が書けば、それはほとんど仏教的な視点を通したものとなる。

それで思ったのは、コロナに対する感覚も人によってかなり異なるのと同様、緊急事態に対するスタンスにおいても相当な違いがあるということ。医療現場からは悲痛な叫びが上がっていても、直接関係ない人は飲み会して何が悪いってなる。でも、時短や休業により、もはやアウトというところまできている店だったら、医療現場でなくとも悲痛な叫びが上がるだろう。

私だって休業協力依頼の対象になっていると知るまでは、今までどおりのつもりでノンキに構えていた。ただ、都がそう決めたとわかってからスイッチが切り替わった。本気度が伝わったら人は協力するものなのだ。オリンピックはやめるから感染拡大を止めようではないかというリーダーがいれば、人民の心はそっちに向かうはず。お隣さんが協力してたら、うちもってことになるはず。

とにかく私が気になるのは医療現場のこと。
それこそ「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」だろう。現場の苦労を思うといたたまれない。CHAZENが休業しても何も貢献できないけれど、休まなかったらきっと後悔すると思った。治療したら助かる人を救えないという無念さは、労働のキツさ以上に現場の人の心を痛めつけているだろう。

などと考えてばかりで、肝心の読書案内はもう少しお待ちくだされ(いつかはきっと)。

ところで、休校のおかげで理事長の散歩は1日3回になりました。
距離はすこぶる短く、速度はカメ並みですが、それなりに楽しんでおられるようです。

毎朝、御殿坂を上って、筑土八幡神社の裏からお参りするのが日課です。御殿坂の由来は、江戸時代、将軍が鷹狩りをするときの仮御殿が設けられていたからだそうな。

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この坂を上りながらウンをなさるのが決まり

2日目:濁っていたことに気づく

ごきげんよう
臨時休校2日目の思いつき日記です。

きのうは夕方から復活したので夜眠くならず。
布団の中で『哲学トレーニングブック』なる本を読んでもぜんぜん眠くならず、夜更かし(ワタシ時間のね)。

それでも、暗い時間に起きて坐禅
シューさんが起きたので散歩〜もろもろお世話してから、朝練の前に読書。

休みになる前にどういう風の吹き回しか宇宙科学の本を借りてきていて、それを読みたくなった。パラパラっとめくって終わりのつもりが、1ページ目からストライクゾーンだよ(詳細は改めて)。

アーサナ練習もちょっと違うメニューを入れてみたり(詳細は改めて)。

洗濯して掃除して、クローゼットの中まで大掃除することにした。タンスの引き出しを抜いて、ホコリを拭いて、衣替え的なあれこれをして。暫定で置いてあるものの定位置を作って収納し、暑くなったらすぐ使えるように夏掛けを洗ったり。

よしすっきりした。
見えないところまで掃除をすることは、断食で内臓を掃除するようなもの。ホコリをためるのは宿便をためるようなものかもしれない。掃除をすれば「気」がめぐるような気がする。

ここまでで9時。
いつもならマイソールの終わる時間までに、かなりのタスクが完了した。ダメだった昨日の分を挽回して、気分爽快なり。

よく晴れた今日の空のように澄んだ心を自覚すると、この半年ぐらいはかなり濁っていたことに気づく。シューの発作以降、ドミノ倒しのように崩れていって、自分の修行がだいぶおざなりになっていたから。

今回の自粛休校は、ヨガーサナのような効果があるかもしれない。
たとえばねじりのポーズはよく、ホースを絞ることにたとえられる。いったんぎゅっと流れを堰き止めておいてから解放すると、水が勢いよく流れてこびりついた汚れをとっていく。ねじりのポーズは、内臓にそれと同じ刺激を与えるわけだ。

休校を決めるとき、いまちょうど調子が上がってきている人たちがペースを崩して、せっかくの勢いが止まってしまうのではないかと危惧したけど、杞憂だね。いったん止めることで流れはよくなるはずだし、もし止まるならあえて止めたっていいのだから。

この一旦停止がもたらすものは一様ではない。
けれど、これが「回向返照*」のよい機会であるという意味においては、みんなに等しく与えられている(もちろん私にも)。それぞれが何を思い、何を感じ、どんな行動をするのか。それがアシュタンガの試合なんだよね。

勝ち負けではなく。

*回向返照
成果や発展・向上をめざして外へ外へと広がる意識を、自分自身の内側へ向けて、自己に光を当てること。

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野苺よ、早く赤くなーれ

臨時休校1日目

ごきげんよう
臨時休校1日目の試合日記です。

昨日のドタバタで、と言ってもドタバタしたのは頭だけなのですが、今朝は頭痛で目が覚めました。胃の具合もよろしくなくて、朝練終えたらどんどん身体が冷えてくる。机に向かうも、目がショボショボで頭も働かず。ああだるいと横になって理事長を寝かしつけるうちに自分が爆睡してしまい、ガバっと飛び起きて「ここはどこ?」みたいな......。

心では迷いはないと納得した分、身体に反応が出たようです。

それとも、練習生に抜き打ちテストをした後ろめたさ?

夕方ようやく体調が回復したので活動開始。
せっかくの試合期間なので、ふだんできないことをやろうと目論んでおります。妄想レベルでは到底実現できないであろう数のTO DOリストを作っておりますが、初日からよだれたらして居眠りしているようでは実現は遠い。

いくつか、ここで宣言しておきます。

  • インド思想と仏教関連の読書案内(このブログで)
  • ヨーガ・スートラ第4章のテキスト作成
  • オンラインの企画
  • 紙の手紙を書く

でっきるかな〜。

みなさまもどうぞ充実したステイホームでありますように。


週末にお風呂に入って、ふっわふわのいい匂いちゃんになったのに、みんなに会えなくて残念がっている理事長をお届けします。

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誰も来なくてつまんないなー

明日からお休みします

ニュースサイトを見て、都の緊急事態宣言の休業協力依頼の対象になっていると知ったのが、ほんの数時間前。

びっくりして犬のごはんをふやかしたまま、あげるのも忘れて考え込んでいた。
要請ではなく協力依頼だから休業しなくても問題はない。

でも、今度やるならホントに人の流れを止めないと効果は出ないだろうと思っていたところなので、スパッと決めた。いや、しばらくは悩んだ。うちが協力したって大した影響ないやろ、と。

でもね、これは変異株の大増殖を阻止するためのキャンペーンなのだ。一人ひとりが当事者となって、都民が一丸となって取り組まねば意味はない。大阪はすでにとんでもないことになっている。

それで、明日からの休みを決めて練習生に通知した。
1日の猶予もなく休みに入るなんて、CHAZEN生は寝耳に水だろう。

だけど、これもいい修行になると直感した。
何が起きても平気でいること。ただ自分の練習を続けるだけだということ。そのためのプラクティスの機会だ。

たぶん、座学クラスに来ている人たちは、少しは動揺くらいしたかもしれないけれど、すぐにこの状況を受け入れて、ふふーんと納得しているだろうなあと思うとニヤけてくる。なんたって最強の”チームCHAZEN”だからね。

そう、これがアシュタンガの試合なんだよ。
*意味がわからない方はこちら↓を参照されたし。

chayoga.exblog.jp


突然海に投げ込まれたような展開だけど、落ち着いて力を抜き、ゆっくり呼吸してから泳いだら、きっと海の青さや空の青さを堪能できると思うよ。

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まもなくビルができてCHAZENからは見えなくなる筑土八幡神社と八重桜


enjoy!

ヨガの始まりと神輿の思い出

ヨーガ・スートラクラスでは、まだまだ続く超自然力のお話真っ最中。ではあるが、これだけ超能力について延々と述べながら、そんなもんこの修行には妨げになるけんねーとクギを刺す経文のところまで来たので、簡単にヨガの歴史をおさらいしながら、ヨガと仏教の関わりなどにも触れながら、ヨーガ・スートラを俯瞰してみた昨日。

最近、とみに参加者の感想がおもしろい。
以前はもっとみんな構えてた感じがあったけど、今はわかんなくてもいいんだという空気が浸透したので、自由に思ったことを、心のままに発言しているからだと思う。アーサナと同じで、最初はまわりの人とくらべて自分ができないと思ったりするんだけど、慣れてくると、みんな自分の練習に集中しているし、指導者すらアーサナの出来具合を評価などしていないことがわかるから、リラックスして自分の練習ができるようになる。

ヨガの歴史の中で、ヨガの発祥はヴェーダの時代に祭祀を行って神と合一し忘我の状態になった体験から瞑想が生まれたのだろうという話をした。一心不乱に祈りの言葉を唱えたり、ひたすらに神を思って念じ続けたら、神と話したり、神が降りてくるのは想像に難くない。

そんなことから、クラスのあとでおみこしのことを思い出していた。
あれはちょっとしたトランス、プチ忘我だったなと。

考えたら、御神輿って神さまをお運びしているんだった。
そしてソイヤソイヤの掛け声。
あれは集団でのマントラと同じようなものだから、トランスにもなるなと今は納得する。

もうだいぶ前の話だけれど、東長崎(豊島区)でおみこしを担いだときがそうだった。そのときはまだヨガに結びつけては考えてなかったけどね。

このとき誘ってくれたひとたちがヨガを習いたいと言ってくれて、CHAZENの前身であるchayogaが東長崎でスタートしたのが翌年だったように記憶する。神さまを運んで、神さまが運んでくれたご縁だったかも。


その後何年かして、今度は新潟のヨガスタジオご縁で、chayogaのメンバーで長岡祭り(花火で有名な)に行ったときもおみこしを担がせてもらった。東長崎のトランス体験が忘れられなかったのでしょうかね。今思うと、規模の大きいお祭りなのによく飛び入りさせてもらったとブルブルしちゃう。担ぐ前の儀式というか、なんつーんですかアレ、チアアップ的なのが(察してくれ)本格的で、升酒1合くらいを一気飲みしてから「ウォ〜!」と雄叫びを上げて出陣するんですわー。

このときは楽しすぎて盛り上がりすぎて騒ぎすぎて、翌日からダメになり、シャバの楽しみがヨガのシャンティとは逆方向に向かうことを学んだ貴重な体験でもありました。まだまだラジャス風味たっぷりでヨガを教えていたですね。


ところで、そのころの写真を見ていて思わず二度見したのがこちら。

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この犬デカすぎやしませんか?


東長崎のみんなとのお花見会にシューを連れて行ったときのもの(3〜4才)で、トリミング前でボサボサなのと、実際このころは大きかったのもあるけど、スタンダードプードルかと思ったわ。

今の姿からは想像できない、ワルすぎてどうしようもなかったシュー。
そして、つい昔のあれこれを思い出してはなつかしんでいる、終活モードに入りかけの私です。

めぐらせよう

先日の星覚さんの言葉でお経の功徳をめぐらせるという「回向」の話が響いたのには、ふたつ理由がありました。

ひとつ目は先日も書いたように、利他の心をもっているといろいろなことがうまく回ると感じたこと。反対に、自分のことばかり考えていると(執着していると)停滞して、ものごとが進まなかったり、よくない方向へ進んだりするものです。なにか落ち込んだり、うまくいかないと嘆いているときは、だいたい<私>にとらわれているときです。余裕がなく、感謝を忘れているときでもあります。

そして、もうひとつには「めぐらせる」という言葉が、中医学の気血をめぐらせることと重なったからです。

病気や不調の原因の多くは、血液やリンパなどのめぐりが悪くなることによって起こるのではないかと感じています。たとえば、冬からずっと右足の股関節が痛いのですが、原因のひとつがお山で肉体労働をしなくなり、代わりにデスクワークで座りっぱなしの時間が増えたことにあるのではないかとにらんでいます。

人体というのは「流れてナンボ」なんでしょうね。
流れることによって私たちは生きているわけですから。

そして、血液の流れが悪くなると、気の流れも悪くなるものです。それが上記の停滞ということですが、体調ばかりか、仕事や人間関係などにも影響します。

コロナ禍で思うようにものごとが動かなくなっている今は、まさにこのめぐりが悪くなっている状態だと思います。社会の「気」がめぐっていないからです。ニュースを見ると、停滞どころか鬱血して壊死するのではないかと思うようなことばかりです。私たち一人ひとりがみんな、この星にすむ生きとし生けるもののために祈るこころをもって、そういう心のある人がリーダーとなって社会がめぐるようになれば、いろいろが落ち着くはずなのです。

私たちにできることは、カラダを動かして血液をめぐらせ、深い呼吸によって気をめぐらせるとともに、この星ぜんたいのために祈りをめぐらせることです。

そんなわけで、GWには、気をめぐらせるための陰ヨガと、星覚さんによるオンライン坐禅会を行います。

www.chazenyoga.com


私自身は、先日のオンライン朝課でスイッチが入ったところに中医学の学生生活がスタートして、ゆるんでいた気がピシッと締まったところです。まずは午前中食べすぎないように、できたら炭水化物を抜いて、勉強しても眠くならないコンディションづくりを始めています。そして勉強の合間には、ひとりで(理事長の昼寝中)早足散歩をしています。

変異株の第4波は第3波を軽く超えていきそうです。
どんな展開になろうとも、気をめぐらせて、祈りをめぐらせて、乗り越えていきましょう。

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祈りをめぐらせて「無」になる理事長

なんて気持ちのよい朝

今朝のオンライン坐禅会は坐禅と朝課(朝の勤行)という特別バージョンでした。

これがよかった〜。
参加者それぞれの朝が永平寺の朝になったのですから......。

6時からの坐禅は短めバージョンでした。
坐禅の最後に星覚さんがお袈裟を頭に乗せて偈文を唱えます。

何と唱えていたか知りたい方はこちらをご覧ください。

chayoga.exblog.jp


久しぶりにこれを聞いて、ハッと我に帰る思いがしました。
続く朝課もフルで唱えるのはずいぶん久しぶりで、口が回らなくなっていましたが、ダメ人間にやる気スイッチが入ったように背骨シャキーンです。あとで「浄化された」という感想があったように、オンラインでもマイナスイオンのシャワーが降り注いでいるがごとく、聖なる時間と空間に変わりました。

永平寺の修行を終えてすでにかなりの年月が経っている今も、お経以外の細部までちゃんと再現できるほどにこの儀式を行じ続けている星覚さんに、改めて畏敬の念を抱きました。仕事でもなく、何かの得になるわけでもないことを、ただひたすら毎朝行う。それこそが只管=BeTubeなのです。

参加された方は、おそらくそのサットヴァによって心が浄化されるのを感じたことでしょう。ただのお経ではない何かを受け止めたことでしょう。頭で理解する必要などこれっぽっちもありません。感じるだけでいいのですから。


朝課で、それぞれのお経を読んだあとに回向といって略三宝を唱えましたが、その意味について星覚さんが事前に解説コメントをくださいました。

ご縁でつながるこの星全てに祈りを届け、お経の功徳を巡らせる作法です。

自分のためだけではないのです。
上記リンクの「衆生を渡す」ということは大乗仏教の基本です。自分よりも先に、生きとし生けるものすべてが救われることを願うのですね。私たちから見たら、それこそがお経のありがたさなのだと思いますが、よく考えると修行者としてもそれが理に叶っています。

なぜなら、自分が悟りを開くことに執着している間は悟れないからです。
 
自我を離れたところに悟りが「訪れる」わけですから、いかに数多く坐ろうがお経を唱えようが、自分が何者かになるために行っている間は悟りはやってきません。

衆生のため」というのは、字義どおり衆生を救うという目的以外にも、自己を忘れるために重要なのですね。

月曜の早朝にもかかわらず、今朝は多くの方が参加してくださいましたが、CHAZENの禅仲間には、ひとの役に立ちたい、祈りをめぐらせたいという観音様的な人が多いような気がしました。そして、そういう人には、やはり福がまわってきているのを感じます。

すがすがしさ極まる朝でした。
これを持続させるべく、今週はこの星に棲む生きとし生けるもののことを考えて、「ひたすら」な時間を過ごすことを課題にします。

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太陽がいっぱい


さて、今度の日曜日のヨーガ・スートラクラスには、そんなこんなの仏教からめての、インド哲学史にも触れての、ちゃみこ節注意報が出ております。ご参加をお待ちしております。

www.chazenyoga.com