CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

5日目:ちゃんとchant

ごきげんよう
マイソールクラスがないのにずっと東京にいることが「なんかヘン」な臨時休校5日目の思いつき日記です。

突然、米をつくったり、分校をつくったりするので、CHAZEN生はもう私が何をしでかしても驚かなくなったらしいです。とはいえ、休校の知らせを受けてアカウント乗っ取られてる!と思った人も。

残念ながらホンモノでした。


さて、この機会を利用してマイソールの代わりに何かしたいと考えたら、そうだ、チャンティング!ということになりまして、GWの祝日と日曜日を使ってオンラインで30分ほどマントラ&スートラを唱える試みを始めました。今朝が初回だったのですが、なじみでないマントラにはちょっと難儀しているようでした。

ですよね。
インドのシャーラーで最初にチャンティングクラスに出たときに、ぜんぜん口がついていけなかったことを思い出しました。容赦なくどんどん進んでいくので、うっかり遅刻などすると、今どこを読んでいるのかもわからなかったものです。あのときの疎外感ったら......。

チャンティングは理屈ではないので、ただ耳で聞き、何度も唱えることで慣れるしかないです。数やったらなんとかなる......ってことは、アーサナと同じ類のものですね。

その後全員必修になったチャンティングクラスではギーターを読んでいましたが、CHAZENではギータークラスにサンスクリットは取り入れていないので(将来はやってみたい)、ヨーガ・スートラの1〜3章を日替わりでchantします。オンラインなら飛沫を心配することがないので、またマイクをオフにして参加できるので、ある意味絶好のチャンスです。

CHAZEN生向けのクラスですが、もしもご興味がある方がいたらCHAZENのウェブページよりお問い合わせください。

チャンティングにしようと思ったのは、先日の星覚さんのお経にインスパイアされたこともあります。ヨガも禅も実践第一ですから、理屈じゃなく、頭じゃなく、身体に染み込ませるしかないのです。

習うより慣れろ。デスネ。

連休中は星覚さんによるオンライン坐禅会もあります。
茶話会の時間には、先日「成瀬くん」こと成瀬雅春先生と対談されたばかりの星覚さんに、成瀬くんの話を聞くのが楽しみです。お申し込みお待ちしております!

肉球の間の毛を切っていたら、その形のままお休みに......

4日目:財宝は身を苦しめる

ごきげんよう
誰にも頼まれていないのに、なぜか毎日書かないといけないような気がしてきた臨時休校4日目のテキトー日記です。

今のところ着実にTO DOリストを消し込んでいる感じではありますが、何かに着手すると次の課題がどんどん出てくるもので、消し込むそばからリストが増え続けております。そのひとつが断捨離マター。

家や車を所有しないと決めてから、もう15年くらいかけていろんなものを手放してきたのですが、どうしても捨てられないものというのがけっこうありまして。それらは実家に置いてあったのですが、その実家も手放し、さてどうするかと考えるときがやってきました。

そのひとつが着物。
洋服とは価値が違うことに加え、母が残してくれたものでもあり、どうしたものかと思っていたのでした。そんなある日、坐禅会で読んだ随聞記にこういうくだりが出てきたのです。

龐居士は俗人であったが、僧に劣らず禅席に名を残したのは、次のようなわけがあったからである。龐居士が参禅し初めた時、家の財宝を持ち出して海に沈めようとした。人がこれを見て、「人に与えるなり、仏事にでも使われるがよかろう。」と言って意見した。彼はその人にこたえて、「わたし自身すでに身のためにならないと思って捨てるのである。どうして他人に与えることができよう。財宝は身を苦しめるあだかたきである」と言った。そして、とうとう全部海に捨ててしまった。

ちくま学芸文庫正法眼蔵随聞記』 4−9 学道の人は先ずすべからく貧なるべし より引用


これを読んだあと、着物を手放すことにしました。
買った時の金額を考えるともったいないと思いますが、業者に売ったらボロ切れ同然の値段にしかならないものです。龐居士(ほうこじ)の財宝がどれだけのものだったかは書いてないのでわかりませんが、うちの着物など財宝でもありません。

そもそも、この10年ほどはそれらの着物を着ていませんし、「すべからく貧なるべし」の教えに従って生きる生活にはこの先必要になることもないでしょう。それこそ持ち腐れです。

とはいえ、海に捨ててはいません(現代では不法投棄)。
タンスごとそっくり、着付けの先生でもある叔母に引き取ってもらいました。思えば、形見分けのとき、一枚一枚の着物を広げては母がそれを着ていたときの思い出話に華が咲き、大笑いしながら故人を偲んだのですが、その時間こそが最大の価値ある形見だったのでした。心でそれらすべての着物を着尽くしたのだからもう十分満足なのです。


お山を片付けていて思ったのですが、断捨離してものを減らしたいが、ゴミを出したくはない。アンビヴァレントやなーと。

私にとっては不要のものでも、誰かにとっては必要なものかもしれないと思うと、そう簡単にゴミとして出せません。貰ってくださる方を募集してだいぶ片付きましたけれど、それでもなお捨てられず持ってきたものをこの休み中になんとかしたいと思っています。

f:id:chazenyoga:20210428201437j:plain
いろいろなものを残してきたのですがね


今や、あとひとつ壁をクリアしたらスナフキンになれるところまではきたのですが、ゴミ同然のモノが捨てられないタチでして......。

f:id:chazenyoga:20210428201645j:plain
この子は連れて帰りました


地球にやさしいフリをしながら、すぐまた新しい風呂敷を広げてムダなものを増やしてしまうサガでもあります。

それでも、所有にとらわれないで、つまり<私のもの>という思いをもたないことによって得られる心の平穏さは、もつことの喜びをはるかにしのぐものだと思っています。今はモノを所有することがその人のステータスにはならない時代なのだろうなと思います。

3日目:医療現場を思う

ごきげんよう
臨時休校3日目のよしなしごと日記です。

インド思想の本、どれを紹介しようかと考えてみたら、かなり自分の好みが反映されたものになることが予測された。スートラの解説などもそうだけれど、それぞれ書き手の研究テーマや主張があるので、三者三様、十人十色、千差万別。かといって、学校の教科書のように一切の個人感情が入らないと、それはまた読み物としての面白みに欠けるしね。

西洋人からみたインドは、東洋的な私たちの感覚とはまた違う驚きに満ちていることだろう。日本人の学者が書けば、それはほとんど仏教的な視点を通したものとなる。

それで思ったのは、コロナに対する感覚も人によってかなり異なるのと同様、緊急事態に対するスタンスにおいても相当な違いがあるということ。医療現場からは悲痛な叫びが上がっていても、直接関係ない人は飲み会して何が悪いってなる。でも、時短や休業により、もはやアウトというところまできている店だったら、医療現場でなくとも悲痛な叫びが上がるだろう。

私だって休業協力依頼の対象になっていると知るまでは、今までどおりのつもりでノンキに構えていた。ただ、都がそう決めたとわかってからスイッチが切り替わった。本気度が伝わったら人は協力するものなのだ。オリンピックはやめるから感染拡大を止めようではないかというリーダーがいれば、人民の心はそっちに向かうはず。お隣さんが協力してたら、うちもってことになるはず。

とにかく私が気になるのは医療現場のこと。
それこそ「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」だろう。現場の苦労を思うといたたまれない。CHAZENが休業しても何も貢献できないけれど、休まなかったらきっと後悔すると思った。治療したら助かる人を救えないという無念さは、労働のキツさ以上に現場の人の心を痛めつけているだろう。

などと考えてばかりで、肝心の読書案内はもう少しお待ちくだされ(いつかはきっと)。

ところで、休校のおかげで理事長の散歩は1日3回になりました。
距離はすこぶる短く、速度はカメ並みですが、それなりに楽しんでおられるようです。

毎朝、御殿坂を上って、筑土八幡神社の裏からお参りするのが日課です。御殿坂の由来は、江戸時代、将軍が鷹狩りをするときの仮御殿が設けられていたからだそうな。

f:id:chazenyoga:20210427185703j:plain
この坂を上りながらウンをなさるのが決まり

2日目:濁っていたことに気づく

ごきげんよう
臨時休校2日目の思いつき日記です。

きのうは夕方から復活したので夜眠くならず。
布団の中で『哲学トレーニングブック』なる本を読んでもぜんぜん眠くならず、夜更かし(ワタシ時間のね)。

それでも、暗い時間に起きて坐禅
シューさんが起きたので散歩〜もろもろお世話してから、朝練の前に読書。

休みになる前にどういう風の吹き回しか宇宙科学の本を借りてきていて、それを読みたくなった。パラパラっとめくって終わりのつもりが、1ページ目からストライクゾーンだよ(詳細は改めて)。

アーサナ練習もちょっと違うメニューを入れてみたり(詳細は改めて)。

洗濯して掃除して、クローゼットの中まで大掃除することにした。タンスの引き出しを抜いて、ホコリを拭いて、衣替え的なあれこれをして。暫定で置いてあるものの定位置を作って収納し、暑くなったらすぐ使えるように夏掛けを洗ったり。

よしすっきりした。
見えないところまで掃除をすることは、断食で内臓を掃除するようなもの。ホコリをためるのは宿便をためるようなものかもしれない。掃除をすれば「気」がめぐるような気がする。

ここまでで9時。
いつもならマイソールの終わる時間までに、かなりのタスクが完了した。ダメだった昨日の分を挽回して、気分爽快なり。

よく晴れた今日の空のように澄んだ心を自覚すると、この半年ぐらいはかなり濁っていたことに気づく。シューの発作以降、ドミノ倒しのように崩れていって、自分の修行がだいぶおざなりになっていたから。

今回の自粛休校は、ヨガーサナのような効果があるかもしれない。
たとえばねじりのポーズはよく、ホースを絞ることにたとえられる。いったんぎゅっと流れを堰き止めておいてから解放すると、水が勢いよく流れてこびりついた汚れをとっていく。ねじりのポーズは、内臓にそれと同じ刺激を与えるわけだ。

休校を決めるとき、いまちょうど調子が上がってきている人たちがペースを崩して、せっかくの勢いが止まってしまうのではないかと危惧したけど、杞憂だね。いったん止めることで流れはよくなるはずだし、もし止まるならあえて止めたっていいのだから。

この一旦停止がもたらすものは一様ではない。
けれど、これが「回向返照*」のよい機会であるという意味においては、みんなに等しく与えられている(もちろん私にも)。それぞれが何を思い、何を感じ、どんな行動をするのか。それがアシュタンガの試合なんだよね。

勝ち負けではなく。

*回向返照
成果や発展・向上をめざして外へ外へと広がる意識を、自分自身の内側へ向けて、自己に光を当てること。

f:id:chazenyoga:20210426181022j:plain
野苺よ、早く赤くなーれ

臨時休校1日目

ごきげんよう
臨時休校1日目の試合日記です。

昨日のドタバタで、と言ってもドタバタしたのは頭だけなのですが、今朝は頭痛で目が覚めました。胃の具合もよろしくなくて、朝練終えたらどんどん身体が冷えてくる。机に向かうも、目がショボショボで頭も働かず。ああだるいと横になって理事長を寝かしつけるうちに自分が爆睡してしまい、ガバっと飛び起きて「ここはどこ?」みたいな......。

心では迷いはないと納得した分、身体に反応が出たようです。

それとも、練習生に抜き打ちテストをした後ろめたさ?

夕方ようやく体調が回復したので活動開始。
せっかくの試合期間なので、ふだんできないことをやろうと目論んでおります。妄想レベルでは到底実現できないであろう数のTO DOリストを作っておりますが、初日からよだれたらして居眠りしているようでは実現は遠い。

いくつか、ここで宣言しておきます。

  • インド思想と仏教関連の読書案内(このブログで)
  • ヨーガ・スートラ第4章のテキスト作成
  • オンラインの企画
  • 紙の手紙を書く

でっきるかな〜。

みなさまもどうぞ充実したステイホームでありますように。


週末にお風呂に入って、ふっわふわのいい匂いちゃんになったのに、みんなに会えなくて残念がっている理事長をお届けします。

f:id:chazenyoga:20210425180852j:plain
誰も来なくてつまんないなー

明日からお休みします

ニュースサイトを見て、都の緊急事態宣言の休業協力依頼の対象になっていると知ったのが、ほんの数時間前。

びっくりして犬のごはんをふやかしたまま、あげるのも忘れて考え込んでいた。
要請ではなく協力依頼だから休業しなくても問題はない。

でも、今度やるならホントに人の流れを止めないと効果は出ないだろうと思っていたところなので、スパッと決めた。いや、しばらくは悩んだ。うちが協力したって大した影響ないやろ、と。

でもね、これは変異株の大増殖を阻止するためのキャンペーンなのだ。一人ひとりが当事者となって、都民が一丸となって取り組まねば意味はない。大阪はすでにとんでもないことになっている。

それで、明日からの休みを決めて練習生に通知した。
1日の猶予もなく休みに入るなんて、CHAZEN生は寝耳に水だろう。

だけど、これもいい修行になると直感した。
何が起きても平気でいること。ただ自分の練習を続けるだけだということ。そのためのプラクティスの機会だ。

たぶん、座学クラスに来ている人たちは、少しは動揺くらいしたかもしれないけれど、すぐにこの状況を受け入れて、ふふーんと納得しているだろうなあと思うとニヤけてくる。なんたって最強の”チームCHAZEN”だからね。

そう、これがアシュタンガの試合なんだよ。
*意味がわからない方はこちら↓を参照されたし。

chayoga.exblog.jp


突然海に投げ込まれたような展開だけど、落ち着いて力を抜き、ゆっくり呼吸してから泳いだら、きっと海の青さや空の青さを堪能できると思うよ。

f:id:chazenyoga:20210424163532j:plain
まもなくビルができてCHAZENからは見えなくなる筑土八幡神社と八重桜


enjoy!

ヨガの始まりと神輿の思い出

ヨーガ・スートラクラスでは、まだまだ続く超自然力のお話真っ最中。ではあるが、これだけ超能力について延々と述べながら、そんなもんこの修行には妨げになるけんねーとクギを刺す経文のところまで来たので、簡単にヨガの歴史をおさらいしながら、ヨガと仏教の関わりなどにも触れながら、ヨーガ・スートラを俯瞰してみた昨日。

最近、とみに参加者の感想がおもしろい。
以前はもっとみんな構えてた感じがあったけど、今はわかんなくてもいいんだという空気が浸透したので、自由に思ったことを、心のままに発言しているからだと思う。アーサナと同じで、最初はまわりの人とくらべて自分ができないと思ったりするんだけど、慣れてくると、みんな自分の練習に集中しているし、指導者すらアーサナの出来具合を評価などしていないことがわかるから、リラックスして自分の練習ができるようになる。

ヨガの歴史の中で、ヨガの発祥はヴェーダの時代に祭祀を行って神と合一し忘我の状態になった体験から瞑想が生まれたのだろうという話をした。一心不乱に祈りの言葉を唱えたり、ひたすらに神を思って念じ続けたら、神と話したり、神が降りてくるのは想像に難くない。

そんなことから、クラスのあとでおみこしのことを思い出していた。
あれはちょっとしたトランス、プチ忘我だったなと。

考えたら、御神輿って神さまをお運びしているんだった。
そしてソイヤソイヤの掛け声。
あれは集団でのマントラと同じようなものだから、トランスにもなるなと今は納得する。

もうだいぶ前の話だけれど、東長崎(豊島区)でおみこしを担いだときがそうだった。そのときはまだヨガに結びつけては考えてなかったけどね。

このとき誘ってくれたひとたちがヨガを習いたいと言ってくれて、CHAZENの前身であるchayogaが東長崎でスタートしたのが翌年だったように記憶する。神さまを運んで、神さまが運んでくれたご縁だったかも。


その後何年かして、今度は新潟のヨガスタジオご縁で、chayogaのメンバーで長岡祭り(花火で有名な)に行ったときもおみこしを担がせてもらった。東長崎のトランス体験が忘れられなかったのでしょうかね。今思うと、規模の大きいお祭りなのによく飛び入りさせてもらったとブルブルしちゃう。担ぐ前の儀式というか、なんつーんですかアレ、チアアップ的なのが(察してくれ)本格的で、升酒1合くらいを一気飲みしてから「ウォ〜!」と雄叫びを上げて出陣するんですわー。

このときは楽しすぎて盛り上がりすぎて騒ぎすぎて、翌日からダメになり、シャバの楽しみがヨガのシャンティとは逆方向に向かうことを学んだ貴重な体験でもありました。まだまだラジャス風味たっぷりでヨガを教えていたですね。


ところで、そのころの写真を見ていて思わず二度見したのがこちら。

f:id:chazenyoga:20210419185941j:plain
この犬デカすぎやしませんか?


東長崎のみんなとのお花見会にシューを連れて行ったときのもの(3〜4才)で、トリミング前でボサボサなのと、実際このころは大きかったのもあるけど、スタンダードプードルかと思ったわ。

今の姿からは想像できない、ワルすぎてどうしようもなかったシュー。
そして、つい昔のあれこれを思い出してはなつかしんでいる、終活モードに入りかけの私です。