CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

7日目:リトル・フォレストという映画

ごきげんよう
瞬く間に1週間がすぎようとしている臨時休校7日目のたわごと日記です。

4月の初めに毎日新聞で”「傷だらけの天使」がいた時代”という記事を読んだら、モーレツに当時のショーケンが観たくなった。調べたらAmazonプライム・ビデオで配信していたので、絶対入るまいと思っていたプライム会員になってまで観たのだった。いろんな意味でおもしろかったけど、キョーレツ過ぎて翌日以降に残る。ラジャスが増大する。明らかに修行の妨げなので、もっと観たかったけどやめた。

で、次は観終わっても穏やかでいられる「リトル・フォレスト」という映画にした。
橋本愛演じる主人公が、岩手の農村で米を作り畑を耕しながら暮らすさまを、四季を通じて描いている作品で、その土地の風習や人々に対する敬愛が感じられて好感がもてた。シングルマザーの母が突然出ていったあとの古民家に一人暮らししている設定なので、農作業も薪の調達もほとんど単独でやっている。しかも、車もなくて買い出しは自転車で30分......。

ってそんな若い女子いないでしょーよ。
昨年、車なしでお山にこもっていたときのことをちょっと思い出したけど、米と野菜を自給できれば車なくてもなんとかなるかー。

夏から始まって、その田んぼのシーンのあれこれがかなりリアルに感じられたね。田んぼ作業したことないときだったら、こんなふうに楽しめなかっただろう。稲刈りの前の水抜きは大事だよねとか、東北では刈った稲を縦に積んで干すのかとか、興味深いったら。

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みんなで並んで田植えしたのは2年前の今時分


薪はチェーンソーで玉切りするところからやっていた。
橋本愛って知らなかったけど、農作業も薪割りもチェーンソーもいつもやっている人のフォームになってる。板についている。ただのきれいな女優さんではできないと思うけど、天然なのか、努力の賜物なのか。

昨年分校に来た人たちにもれなく薪割りを体験してもらったけど、みんな笑っちゃうくらい都会のお嬢様だったことを思うと、すごい肉体派(意味違うけど)。

見どころは料理。
山菜やら栗、きのこなど、山で採れたものを使ったごちそうや郷土料理、薪ストーブで焼くパン、干し柿など、お金をかけずに手間ひまをかけたさまざまなおいしいものが登場する。

あと、ホンモノの地元の人たちも出演しているのだろうけど、フィクションとノンフィクションが絡み合ってて、ノンフィクション的なところが味わい深い。いいひとたちだな、いいところだなと思わせる描き方だ。東北移住もよさそうだなと一瞬考えたもの。

私の農作業体験も、薪割り生活もそれぞれ2年で終了することになり、結局は元の東京生活に戻ってきた。それが私の宿命なのか。またまた次の(予期せぬ)展開が待ち受けているのか......。

確実なものなどなにもない時代。

ショーケンの時代は不良がカッコよかったんだよねー。
なんていう話を居酒屋でツバ飛ばしながらしゃべり倒せる日はいつになるのだろう。

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やったー田植えだ〜(2019年)

6日目:同情に違和感

ごきげんよう
もう眠いのに、なぜかサボれなくなっている、臨時休校6日目の「毎日やるのが」つぶやき日記です。


ロバを引いて歩いているので、道ゆく人から好奇の目で見られる。

「何歳ですか?」

「がんばれ、かんばれ!」

というのはわかるけど、「たいへんねえ〜」とか「どうしたの?」って言われたりもする(知らない人だよ)。決まって年配の人だ。

「たいへんねえ〜」の意味がよくわからないが、高齢者を介護するのがたいへんってことなのかな? だけど、街で高齢者を連れて歩いている人に「たいへんねえ〜」なんて声をかけないと思うんだけどな。

そこへいくとちっちゃい子はいい。

「ワンワン!」

それだけだ(それだけをエンドレスで繰り返すので親は困った顔をしているけれど)。子どもはただそれがワンワンという物体であることだけを認識してそう叫ぶ。


もうちょっと大きくなって小学生くらいになってもシンプルだ。

「かわいい! さわってもいいですか?」

どんな犬だからかわいいとかいうのではなく、ただ犬がかわいいという感じで声をかけてくる。そこに、歩き方がヘンだとか、年取ってるという眼差しはない。


大人になると、「歳をとった犬=かわいそう」という図式しか思い浮かばなくなるのかな。

車椅子とか、ハンディキャップのある人に対しても気の毒としか思わないのかな。

もっとなんでもない目で見てほしいな。
なんでもない目で見ているのに、お手伝いが必要なときはさっと駆け寄って手を貸すってこと、西洋人は得意なんだけどな。そのあたりはキリスト教文化にかなわないよねー。


ここ数日、シューが起きている時間が多いので、自分のための散歩に行くときもシューをカートに乗せて連れていく。S川急便の台車並みのスピードで(ほぼ小走り)歩いていると、誰からも同情されず、むしろ嫌われているかもしれない。

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バトラーの給仕するティールームも休業かな


同情するなら嫌ってくれ。

5日目:ちゃんとchant

ごきげんよう
マイソールクラスがないのにずっと東京にいることが「なんかヘン」な臨時休校5日目の思いつき日記です。

突然、米をつくったり、分校をつくったりするので、CHAZEN生はもう私が何をしでかしても驚かなくなったらしいです。とはいえ、休校の知らせを受けてアカウント乗っ取られてる!と思った人も。

残念ながらホンモノでした。


さて、この機会を利用してマイソールの代わりに何かしたいと考えたら、そうだ、チャンティング!ということになりまして、GWの祝日と日曜日を使ってオンラインで30分ほどマントラ&スートラを唱える試みを始めました。今朝が初回だったのですが、なじみでないマントラにはちょっと難儀しているようでした。

ですよね。
インドのシャーラーで最初にチャンティングクラスに出たときに、ぜんぜん口がついていけなかったことを思い出しました。容赦なくどんどん進んでいくので、うっかり遅刻などすると、今どこを読んでいるのかもわからなかったものです。あのときの疎外感ったら......。

チャンティングは理屈ではないので、ただ耳で聞き、何度も唱えることで慣れるしかないです。数やったらなんとかなる......ってことは、アーサナと同じ類のものですね。

その後全員必修になったチャンティングクラスではギーターを読んでいましたが、CHAZENではギータークラスにサンスクリットは取り入れていないので(将来はやってみたい)、ヨーガ・スートラの1〜3章を日替わりでchantします。オンラインなら飛沫を心配することがないので、またマイクをオフにして参加できるので、ある意味絶好のチャンスです。

CHAZEN生向けのクラスですが、もしもご興味がある方がいたらCHAZENのウェブページよりお問い合わせください。

チャンティングにしようと思ったのは、先日の星覚さんのお経にインスパイアされたこともあります。ヨガも禅も実践第一ですから、理屈じゃなく、頭じゃなく、身体に染み込ませるしかないのです。

習うより慣れろ。デスネ。

連休中は星覚さんによるオンライン坐禅会もあります。
茶話会の時間には、先日「成瀬くん」こと成瀬雅春先生と対談されたばかりの星覚さんに、成瀬くんの話を聞くのが楽しみです。お申し込みお待ちしております!

肉球の間の毛を切っていたら、その形のままお休みに......

4日目:財宝は身を苦しめる

ごきげんよう
誰にも頼まれていないのに、なぜか毎日書かないといけないような気がしてきた臨時休校4日目のテキトー日記です。

今のところ着実にTO DOリストを消し込んでいる感じではありますが、何かに着手すると次の課題がどんどん出てくるもので、消し込むそばからリストが増え続けております。そのひとつが断捨離マター。

家や車を所有しないと決めてから、もう15年くらいかけていろんなものを手放してきたのですが、どうしても捨てられないものというのがけっこうありまして。それらは実家に置いてあったのですが、その実家も手放し、さてどうするかと考えるときがやってきました。

そのひとつが着物。
洋服とは価値が違うことに加え、母が残してくれたものでもあり、どうしたものかと思っていたのでした。そんなある日、坐禅会で読んだ随聞記にこういうくだりが出てきたのです。

龐居士は俗人であったが、僧に劣らず禅席に名を残したのは、次のようなわけがあったからである。龐居士が参禅し初めた時、家の財宝を持ち出して海に沈めようとした。人がこれを見て、「人に与えるなり、仏事にでも使われるがよかろう。」と言って意見した。彼はその人にこたえて、「わたし自身すでに身のためにならないと思って捨てるのである。どうして他人に与えることができよう。財宝は身を苦しめるあだかたきである」と言った。そして、とうとう全部海に捨ててしまった。

ちくま学芸文庫正法眼蔵随聞記』 4−9 学道の人は先ずすべからく貧なるべし より引用


これを読んだあと、着物を手放すことにしました。
買った時の金額を考えるともったいないと思いますが、業者に売ったらボロ切れ同然の値段にしかならないものです。龐居士(ほうこじ)の財宝がどれだけのものだったかは書いてないのでわかりませんが、うちの着物など財宝でもありません。

そもそも、この10年ほどはそれらの着物を着ていませんし、「すべからく貧なるべし」の教えに従って生きる生活にはこの先必要になることもないでしょう。それこそ持ち腐れです。

とはいえ、海に捨ててはいません(現代では不法投棄)。
タンスごとそっくり、着付けの先生でもある叔母に引き取ってもらいました。思えば、形見分けのとき、一枚一枚の着物を広げては母がそれを着ていたときの思い出話に華が咲き、大笑いしながら故人を偲んだのですが、その時間こそが最大の価値ある形見だったのでした。心でそれらすべての着物を着尽くしたのだからもう十分満足なのです。


お山を片付けていて思ったのですが、断捨離してものを減らしたいが、ゴミを出したくはない。アンビヴァレントやなーと。

私にとっては不要のものでも、誰かにとっては必要なものかもしれないと思うと、そう簡単にゴミとして出せません。貰ってくださる方を募集してだいぶ片付きましたけれど、それでもなお捨てられず持ってきたものをこの休み中になんとかしたいと思っています。

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いろいろなものを残してきたのですがね


今や、あとひとつ壁をクリアしたらスナフキンになれるところまではきたのですが、ゴミ同然のモノが捨てられないタチでして......。

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この子は連れて帰りました


地球にやさしいフリをしながら、すぐまた新しい風呂敷を広げてムダなものを増やしてしまうサガでもあります。

それでも、所有にとらわれないで、つまり<私のもの>という思いをもたないことによって得られる心の平穏さは、もつことの喜びをはるかにしのぐものだと思っています。今はモノを所有することがその人のステータスにはならない時代なのだろうなと思います。

3日目:医療現場を思う

ごきげんよう
臨時休校3日目のよしなしごと日記です。

インド思想の本、どれを紹介しようかと考えてみたら、かなり自分の好みが反映されたものになることが予測された。スートラの解説などもそうだけれど、それぞれ書き手の研究テーマや主張があるので、三者三様、十人十色、千差万別。かといって、学校の教科書のように一切の個人感情が入らないと、それはまた読み物としての面白みに欠けるしね。

西洋人からみたインドは、東洋的な私たちの感覚とはまた違う驚きに満ちていることだろう。日本人の学者が書けば、それはほとんど仏教的な視点を通したものとなる。

それで思ったのは、コロナに対する感覚も人によってかなり異なるのと同様、緊急事態に対するスタンスにおいても相当な違いがあるということ。医療現場からは悲痛な叫びが上がっていても、直接関係ない人は飲み会して何が悪いってなる。でも、時短や休業により、もはやアウトというところまできている店だったら、医療現場でなくとも悲痛な叫びが上がるだろう。

私だって休業協力依頼の対象になっていると知るまでは、今までどおりのつもりでノンキに構えていた。ただ、都がそう決めたとわかってからスイッチが切り替わった。本気度が伝わったら人は協力するものなのだ。オリンピックはやめるから感染拡大を止めようではないかというリーダーがいれば、人民の心はそっちに向かうはず。お隣さんが協力してたら、うちもってことになるはず。

とにかく私が気になるのは医療現場のこと。
それこそ「耐え難きを耐え忍び難きを忍び」だろう。現場の苦労を思うといたたまれない。CHAZENが休業しても何も貢献できないけれど、休まなかったらきっと後悔すると思った。治療したら助かる人を救えないという無念さは、労働のキツさ以上に現場の人の心を痛めつけているだろう。

などと考えてばかりで、肝心の読書案内はもう少しお待ちくだされ(いつかはきっと)。

ところで、休校のおかげで理事長の散歩は1日3回になりました。
距離はすこぶる短く、速度はカメ並みですが、それなりに楽しんでおられるようです。

毎朝、御殿坂を上って、筑土八幡神社の裏からお参りするのが日課です。御殿坂の由来は、江戸時代、将軍が鷹狩りをするときの仮御殿が設けられていたからだそうな。

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この坂を上りながらウンをなさるのが決まり

2日目:濁っていたことに気づく

ごきげんよう
臨時休校2日目の思いつき日記です。

きのうは夕方から復活したので夜眠くならず。
布団の中で『哲学トレーニングブック』なる本を読んでもぜんぜん眠くならず、夜更かし(ワタシ時間のね)。

それでも、暗い時間に起きて坐禅
シューさんが起きたので散歩〜もろもろお世話してから、朝練の前に読書。

休みになる前にどういう風の吹き回しか宇宙科学の本を借りてきていて、それを読みたくなった。パラパラっとめくって終わりのつもりが、1ページ目からストライクゾーンだよ(詳細は改めて)。

アーサナ練習もちょっと違うメニューを入れてみたり(詳細は改めて)。

洗濯して掃除して、クローゼットの中まで大掃除することにした。タンスの引き出しを抜いて、ホコリを拭いて、衣替え的なあれこれをして。暫定で置いてあるものの定位置を作って収納し、暑くなったらすぐ使えるように夏掛けを洗ったり。

よしすっきりした。
見えないところまで掃除をすることは、断食で内臓を掃除するようなもの。ホコリをためるのは宿便をためるようなものかもしれない。掃除をすれば「気」がめぐるような気がする。

ここまでで9時。
いつもならマイソールの終わる時間までに、かなりのタスクが完了した。ダメだった昨日の分を挽回して、気分爽快なり。

よく晴れた今日の空のように澄んだ心を自覚すると、この半年ぐらいはかなり濁っていたことに気づく。シューの発作以降、ドミノ倒しのように崩れていって、自分の修行がだいぶおざなりになっていたから。

今回の自粛休校は、ヨガーサナのような効果があるかもしれない。
たとえばねじりのポーズはよく、ホースを絞ることにたとえられる。いったんぎゅっと流れを堰き止めておいてから解放すると、水が勢いよく流れてこびりついた汚れをとっていく。ねじりのポーズは、内臓にそれと同じ刺激を与えるわけだ。

休校を決めるとき、いまちょうど調子が上がってきている人たちがペースを崩して、せっかくの勢いが止まってしまうのではないかと危惧したけど、杞憂だね。いったん止めることで流れはよくなるはずだし、もし止まるならあえて止めたっていいのだから。

この一旦停止がもたらすものは一様ではない。
けれど、これが「回向返照*」のよい機会であるという意味においては、みんなに等しく与えられている(もちろん私にも)。それぞれが何を思い、何を感じ、どんな行動をするのか。それがアシュタンガの試合なんだよね。

勝ち負けではなく。

*回向返照
成果や発展・向上をめざして外へ外へと広がる意識を、自分自身の内側へ向けて、自己に光を当てること。

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野苺よ、早く赤くなーれ

臨時休校1日目

ごきげんよう
臨時休校1日目の試合日記です。

昨日のドタバタで、と言ってもドタバタしたのは頭だけなのですが、今朝は頭痛で目が覚めました。胃の具合もよろしくなくて、朝練終えたらどんどん身体が冷えてくる。机に向かうも、目がショボショボで頭も働かず。ああだるいと横になって理事長を寝かしつけるうちに自分が爆睡してしまい、ガバっと飛び起きて「ここはどこ?」みたいな......。

心では迷いはないと納得した分、身体に反応が出たようです。

それとも、練習生に抜き打ちテストをした後ろめたさ?

夕方ようやく体調が回復したので活動開始。
せっかくの試合期間なので、ふだんできないことをやろうと目論んでおります。妄想レベルでは到底実現できないであろう数のTO DOリストを作っておりますが、初日からよだれたらして居眠りしているようでは実現は遠い。

いくつか、ここで宣言しておきます。

  • インド思想と仏教関連の読書案内(このブログで)
  • ヨーガ・スートラ第4章のテキスト作成
  • オンラインの企画
  • 紙の手紙を書く

でっきるかな〜。

みなさまもどうぞ充実したステイホームでありますように。


週末にお風呂に入って、ふっわふわのいい匂いちゃんになったのに、みんなに会えなくて残念がっている理事長をお届けします。

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誰も来なくてつまんないなー