CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

インド思想の読書案内 <入門〜編>

今回はインド思想の入門書を5冊紹介します。


『インドの思想』川崎信定ちくま学芸文庫

インド思想についてしかるべき研究を重ねた学者の書いた本は、一般の人にとってはまず難解だと思うのですが、この本は一般的な人がインドの何を知りたいのかという目線で書かれているように感じました。あとがきを読んで納得したのですが、もとは放送大学の教科書だったそうです。2019年に文庫化され、Kindle版もあって入手しやすいところも取り上げた理由のひとつです。

ヨガをやっている人であれば、最初のほうはスラスラと楽しく読めるでしょう。そのあとはやっぱり知らない単語がたくさん出てきますが、CHAZENの座学に出ている人なら、なんとなく聞いたことある言葉に出会いながら読み進められます。......と思いきや、そのうちにさっぱりわからない言葉のオンパレードになるでしょう。それは仕方ないです。目指すものがソレなんですから。ソレに言及しないでインド思想を語ることはできないわけです。

結局はインド学は、サンスクリット語も含めて独学がはなはだ難しいものなのです。先生に教わりながら、何年もかかってようやく理解していくようなものだと思っておけば間違いないでしょう。アシュタンガと同じですね。本はあくまで参照や理解を深めるためのものです。

それでも、この本はかなり読みやすく、わかりやすいおすすめ本といえます。


『ヨーガの哲学』立川武蔵講談社学術文庫

こちらはインド思想全般ではなくヨガというくくりで述べられているので、ヨガ界隈のみなさまには親しみやすい言葉が多く出てくると思われます。

ところで、厳密に言えばヨガは哲学ではありません。ヨガ哲学という言葉を私も便利に使わせていただいてますが、ヨガは哲学ではなく実践なのです。インド思想の中にヨガが含まれているので、そう言っても通じる「通称」のようなものだと私は考えています。(というより、ヨガが体操だと思われがちなのでそれを修正したいのと、インド思想というとまたハードルが高くなるだろうという懸念があるので、ヨガ哲学と言ってみたりしています)

ヴェーダウパニシャッドというあたりから始まるのが、この手の本の常套なのですが、この本は少し違っていて、最後のほうに出てきます。教科書的な構成でないところ、ある視点が入っているところがこの本のおもしろさだと思います。ヨーガ・スートラにひとつの章を、ハタヨーガに別の章をあてていて、仏教の中のヨーガにも触れていますが、全体をとおして流れているのが「聖なるもの・俗なるもの」という視点です。

エリアーデの翻訳をした影響だと本書で言及されていますが、次に紹介する『はじめてのインド哲学』でもこの視点でみています。ものごとを見極めるとき「善悪」ではなく「聖俗」で見ると収まりがよくなります。よくサットヴァ(純質)かラジャス(激質)かと言っているのに近いと思いますが、正しいか正しくないかという見方を避けるための方便としてもよく使っています。

その辺が個人的に好みなので、この本をおすすめとして取り上げました。


『はじめてのインド哲学立川武蔵講談社現代新書

『ヨーガの哲学』の著者によるインド哲学の入門書。
ヨガだけではなく、インド哲学全般について知りたい方はこちらがおすすめです。第1章が「自己と宇宙の同一性をもとめて」というタイトルになっているとおり、序盤から興味を引き、ヴェーダウパニシャッド、仏教と六派哲学について述べられています。進むにつれて難しくなるのは上記と同様当然の理ですね。(そもそもこの文章ももはや読まれていないと思われ)

インド思想ではなく「哲学」という名のとおり、論理学など哲学そのものにも触れていて、以前ヨーガ・スートラクラスで習った「ダルマとダルミン」的なものが好きな人には、より興味深く読めると思います。


『インド思想史』J・ゴンダ著 鎧淳訳 岩波文庫/中公文庫ほか

ずいぶん昔に読んだ本なのでなつかしく、古本で(しか手に入らない)買ってみました。が、今読んでも決して読みやすくなかったので、おすすめの入門書とは言いかねます。こんなのもあるよっていう参考まで。


そのほか、インド思想・インド哲学全般の本は何種類かざっと目を通してみました。概して古いものは読みにくいかもしれませんが、まだご活躍なさっている先生(たとえば、宮元啓一、前田専学)の書かれた比較的新しい本はどれも比較的読みやすいかと思います。



ブッダが説いたこと』ワールポラ・ラーフラ著 今枝由郎訳 岩波文庫

ヨガもそうですが、仏教はお釈迦様以来の歴史の中でさまざまに形を変え、さまざまな国に伝わって発展してきたので、何が仏教なのかがとらえにくいのです。お釈迦さまの生涯についてはなんとなく見聞きしていても、何を説いて何を説かなかったのかまでは知らない人がほとんどです。

原始仏教は当然のことながらシンプルです。その本質を知るために、ぜひ読んでみてください。インド思想をいろいろと聞き齧ってみて、やっぱり私はお釈迦様の説いたことがいちばん腑に落ちます。

以前にこちらでも書いてます。

chayoga.exblog.jp

あと、思いついたのがこれらの本を教科書にしたインド思想のクラス。スートラクラスの中に組み込んでいくのもおもしろいかもしれません。

これで休校中の宿題完了です。
気が向いたらマニアック編も書いてみたいと思います。

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ゴンダ本はジャケ買いだったな

15日目:ネコちゃんとchant

ごきげんよう
こんなに長い間、シャーラーを独占・私物化したことは初めて。臨時休校15日目のエプロンおばさん日記です。

チャンティングマラソンの最終日。
きょうはだいぶ慣れていい感じになってきました。今回の休校で得られた最大の「ひょうたんから駒」だったかもしれません。また別途企画したいと思っています。

オンラインでちょっと楽しいことといったら、ときおり予期せぬ「家族」が映り込むことです。ヒトの場合もありますが、ネコちゃん登場のケースが多い。イヌは近くにいたとしても下にいるので、抱き上げない限り画面に映り込むことはないのですが、ネコは棚の上からモニター見てたりするのです。きょうはチャンティングの最中にフンギャとかミャーとか、一緒にチャンティングもされていました。

家族が気になる人はトイレに籠ってでも声を出すべし。
と言っているのですが、ご主人のとなりで声を出していたら「ねえねえ。そのニャーニャーは何語?」って聞かれたそうです。ニャっていう音が気になったとは、なかなかお目が高い。次はご一緒にどぞ。

終了後のチャットで話していたのですが、この休校期間中なぜかカレーにはまり、毎日がカレー曜日でした。ふだんカレーはそれほど頻繁に食べないのですが、なぜかスパイスの効いたカレーが食べたくて仕方ない。薬膳としてのカレーを意識したせいですね。

ターメリックを扱うときは黄色い汚れに要注意。
エプロンなど持っていないワタクシなので、ティータオル(フキン)に紐を通して首からかけ、もう一枚を前掛けのようにしてエプロンを作ったんですよ。リメイクして再利用するのがシュミなのです。

エプロンおばさんったら、裏返しに着てるわ


ちなみに、エプロンおばさんとは長谷川町子のマンガです。が、私もタイトルくらいしか知りません。


さて、休校も11日までとなりました。
16日のヨーガ・スートラクラスは、予定どおりCHAZENにて行います。せっかくCHAZENで開講できるのだから、実習を入れようと考えています。超能力実習を。ふっふっふ。

ご参加お待ちしています。

13日目:バカだからバカなのだ

ごきげんよう
お読みいただき感謝します。臨時休校12日目の、失意のずんどこ日記です。


あれは大学生のとき。
一人暮らしの部屋に中学生くらいの知らない男の子から電話がかかってきました。寂しいから話してもいいかと言うので、いいよと相手をしました。当時、家庭教師をしていたこともあり、その目線で親身になって話を聞き、助言をしていたのですが、そのうち急にハアハア言い出したのでびっくりして切りました。

でもしつこくかけてくるので、どうしようとオロオロしていたちょうどそこへ友人男子が遊びに来た。「何してんだ、ごらぁ〜!」と一喝してもらい(今なら自分で言ってるけど)助かったのですが、子どもといえど見知らぬ人には注意しないといけないと学んだわけです。

そのころは世間知らずでしたから、宗教勧誘に来た人とまじめくさって聖書について話しこんだりしてました。「聖書学」とか「キリスト教概論」とかの講義で得たテキトーな知識を総動員してね。そのときの会話を今再現テープで流されたら、抱腹絶倒まちがいなし。

バイト先で知り合って、わたしのことを「おねえさん」と慕ってくれた元暴走族で保護観察中の子にお金を貸して、やっぱり返してもらえなくて、親に怒られたり。いわく、親の脛をかじっている身分で金を貸すな。貸すのなら返ってくることを期待するなと。

田舎育ちのせいか、ヘンタイ電話も宗教勧誘も知らなかったし、困っている人の力になることがいいことだと思っていました。

フツーにバカでしたわー。

でも、今思えば純粋でしたわー。

そうやって痛い思いをして分別がつき、人は世の中を渡る術を身につけていくのですが、ヨガ目線で言えば、そうやって背中を丸くして防御の体勢をとり、こころを閉ざすようになっていくのです。そうなる前だったら私も胸ぱっかーんと開いて、バックベンドで苦労することはなかったかもしれません(あくまで推測)。

みんな大人になる過程で、見えない鎧をまとい、傷つかないように痛い目に遭わないように、面倒なことには関わらないようになっていくのですね。今では勧誘やセールスと分かった時点で「結構です」と言って電話やインターフォンを冷酷に切る大人になっちまった私です。哀しいけれど、それが生きるための知恵なのでしょう。

とはいえ、たまにはうかつに何かを信じてしくじっています。

今度もうっかり......。
いたたまれない気持ちにはなりましたが、邪な思いから信じたのでない限り、その失敗も、滑稽さもすがすがしく受け止めることができます。

利口になろうとしなくていいのです。
そのままの私が精一杯修行をするだけです。

chazen.hatenablog.com

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自撮りにしないとうまく顔が撮れなくなった

11日目:オンライン二本立て

ごきげんよう
ヒトの早起きが定着するとイヌも早起きになる不都合な真実、臨時休校11日目のそれがどうした日記です。

9時からチャンティングマラソン
なかなか盛り上がってきました。サンスクリットだと思うと難しく感じられるけど、子どもだったらきっとすぐ口真似で覚えてしまいます。聞いたままを繰り返すだけなので、知性は必要ないはずなのに、大人は頭で記憶しようとしたり文字を読もうとするので、余計な情報を付け足してしまうんですよね。

次回がラストです。ぜひお見逃しなく。


そして、11時から星覚さんの坐禅会。
こちらはもうオンラインでも離れている感じがしない坐禅会になってきましたね。今日は特に終わりの時間に合わせて進行したので、テンポよく、バランスもよく、ムダのない時間配分だったように思います。的外れの質問やコメントで間延びしたり、ムダな時間があってもいいと思っていますが、スムーズに進行してみなさんが満足して終わるのは気持ちよいものです。

オンライン嫌いのオンライン礼賛ですが、もちろん同じ空間でできたほうがいいに決まっています。ただ、オンラインを毛嫌いするのはもったいないことだと思いますし、柔軟に対応することも必要かなと感じています。マイソールまではやりませんが......。

今日は立夏
マイソールクラスを再開する前に、シェードを出しておかねば。

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雨上がりの晴天

10日目:発作のその後

ごきげんよう
気づけば炭水化物とりすぎてコロナ太りしそうな、臨時休校10日目の懺悔日記です。

オンラインのチャンティングクラスも後半に入って、集中トレーニング風味が増してきた。サンスクリットの音をとるのはやはり難しいようなので、短く区切っての練習を多くしたら、なかなかハード。でも、キツいほうがなんか楽しそうに見える。乗り越えるよろこびが増す。終わったあと少しだけおしゃべりするのだけれど、それも含めてサットヴァな時間である。

実はそのあと散歩に出たら心ない言葉を浴びせられる出来事があり、ここがラジャタマなシャバ世界であることを思い出したのだった。CHAZENにいるとそれを忘れているからなーたすちゃー。


さて、シューの発作その後について書いておくと、2月2日のあと2か月以上発作なしだったがために、薬(西洋)をわざと「飲み忘れ」て、薬飲まなくても大丈夫じゃん! という風に持ち込もうと企んだら、4月6日に発作が出てしまった。急に寒くなった日で、寝る前に突然私の脚がつり、どうしたんだろうと思っていたらそのあとシューもけいれん発作。その日は歯医者で帰りが遅くなり、温灸のホームケアをしなかった。

その後薬をちゃんと飲ませてたけれど、今月の1日、突然雨が降り出し嵐のような天気になった日にやっぱり発作が出た。気温や気圧の急な低下というのは、この神経系の発作に多大な影響を与えるらしいことがよくわかる。

ちょうどその数日前から少し様子がおかしいと気づいていたのだけれど、その日はうっかり温灸を忘れた日でもあった。西洋医学の薬、漢方薬、温灸ケアのどれかが欠けてもダメらしい。

ふだん、つい何かに没頭してシューのことを忘れてしまう。その間シューは不安になっているみたいだ。抱っこしたり、そばにいて背中を撫でていれば安心してすぐに寝るのだから。視覚や聴覚が衰えているので、私の存在を確かに感じられるのが触覚であるらしい。

のんびりとソファに座ってテレビでも見ているのなら、シューも安心してそばで寝ているんだろうけど、やること山積みだ。パソコンに向かいながら足で背中を触っていても(ひどい!)つい足がおろそかになる。

飼い主としてちゃんと犬を大切にしているかというと、かなりアヤシイ。あまりにお世話がテキトーすぎる。それよりも、そもそも人としてちゃんとしていないんじゃないか?という考えにとりつかれているこのごろ。やたら、過去の失敗や後悔めいた思いがわきおこってくる。

明日はチャンティングと坐禅会のあと、シューちゃんとだらだら過ごしてみようかな。

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赤ちゃんみたいでかわいいおじいたん

インド思想の読書案内 <プレ入門編>

ずいぶん前に、仏教について学ぼうと思い買ったのが『ダライ・ラマの仏教入門』という本でした。仏教のなんたるかがまったくわかっていなかったころです。ダライ・ラマというだけで選んだのですが、入門なんてとんでもない。初学者にはいきなり十二支縁起などと言われてもさっぱりで、仏教が本一冊読んだだけでわかるようなものではないということだけが理解できました。入門書がやさしいとは限らないのです。

仏教の前に存在していたインドの思想から、現代の仏教やヒンドゥー教、あるいはヨーガに至るまでには、さまざまなものが分かれ、広がり、また重なり合い、複雑に発展(あるいは衰退)していった背景がなんとなくわかると、イメージしやすいのではないかと思います。

そこで、最初は気軽に読める「プレ・インド思想入門」を、本編はまた改めてアップしたいと思います。

まずは昨日予告したアレから。


『からだは星からできている』佐治晴夫著 春秋社

宇宙についての研究をしている著者が、宇宙科学を宗教、哲学にからめて、存在の根源から存在の意味、存在としてのありよう(生き方)について語っているものです。

インド思想が生まれたのは、この宇宙がどのようにできたのか、私とは何か、という疑問があったからだと思いますが、それが哲学のはじまりにつながります。

現代科学のさまざまなデータの裏付けから、宇宙のはじまりは何かのきっかけによって均一な状態から電波のゆらぎが発生したことで生まれたと推測されるそうです。それを読んで、サーンキヤ学派の考える、3つのグナの平衡状態が崩れたことによって現象界が流出したという説をが思い出されました。現在では科学の力で解明されつつある宇宙誕生のナゾを、古代インドの人はかなり解明していたのかもしれません。

パソコンやスマホがあたりまえになった現代の私たちからすると、電気も通っていなかった古代人の知恵に感心することしきりなのですが、宇宙的な時間の観念から見れば、紀元前のヴェーダの時代の人たちと今の私たちは「同時代」の人たちなのです。コロナ収束まで数年かかると言われてがっかりしているその数年など、宇宙時間で考えれば一瞬(またたき)にもならないほどの、とてつもなく短い時間なんですね。

しかし、そんな小さな星のひとかけらにすぎない<私>は、この宇宙の一部であると同時に宇宙そのものであるわけです。といったら、アヤシイ響きが立ち上ってくるかもしれませんが、科学的に見てもそのようなのです。

小さな星のひとかけらである私たちが、ほんの瞬く間の一生をどう生きていくべきなのか。
あたたかいまなざしでそれを示してくれる良書です。



そのほか読み物としては、過去に紹介した以下の本がおすすめです。

文学として、小説として楽しめる、ヘッセの「シッダールタ」

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漫画なら挑戦できそうな人には手塚治虫の「ブッダ

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禅とはなにかを自らの体験から語る、星覚さんの「坐ればわかる」

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おすましシューちゃん推薦の書

8日目:出会ってしまった

ごきげんよう
思わせぶりなタイトルだけど中身は大したことない、臨時休校8日目のなんちゃって日記です。

まだ緊急事態になる前、量子力学について何か読んでみようと思い、図書館で検索して借りてきたのが、佐治晴夫著「14歳のための宇宙授業〜相対論と量子論のはなし」春秋社刊。そう「14歳のための」というところに強く引かれてね。

思えば中学2年くらいまでは数学も理科もまだいい成績だったような気がするが、高校までには大の理数ギライになっていた。14歳のあのころまで遡れば、なんとか理解できるのではという甘い期待を抱いて選んだ本。

ところが、とんでもない。
物理は大人になっても不可解なものでしかなかった。やっぱりわからんもんはわからん。

それでも日ごろ言っているとおり、「わからなくてもいいから、できなくてもいいから続けてみな」ということで、数式が出てくるたびに脳のフリーズ&リブートを繰り返しながらなんとか読了。

もしこの本が数式と論理だけだったら、きっと途中でパタンと閉じてしまっただろうが、あまりにも魅力的な言葉がそこかしこに散りばめられていたので完走せずにはいられなかったのだ。

読み始めてまもなく、リグヴェーダからの引用があり、そのうち「梵我一如」が出てきたときには、誰だこの人?って思わずプロフィールを読んだ。

迂闊だった。まったく佐治晴夫という人の存在を知らなかった。学者であり、教育者であるようだけど、詩的な文章も含まれているし、グランドピアノやパイプオルガンを弾いている写真もある。科学以外のあれこれがワタシの路線上に一致している。

理数ギライのせいで、見逃してきてしまったのだ。
あわてて、著書を検索すると、ダライ・ラマと対談やら、金子みすゞの詩をテーマにした本やら、そっちからいくらでもアプローチできたはずの本がヒットした。

インド思想の読書案内をと思いつつ、二冊目の本「からだは星からできている」を読み耽っていたら、こっちはもっとすごかった。ヴェーダの神話からはじまる古代インドの思想に触れ、宇宙の始まりに触れ、お釈迦様に触れ、宮沢賢治あり、星の王子さまあり、新見南吉あり、バッハあり......。

ここには、私がインド思想を知るべきだと思う理由がちゃんと書いてある。科学の視点から書かれているけれど、こちらは数式などがなく、文章もやわらかくて読みやすい。

これぞ究極のインド思想入門書なり。

今朝読み終えたばかりなのだけど、ちょうどその後チャンティングの始まるタイミングで「般若心経」についての箇所を読み、お経は黙読するのではなく唱えるものという言葉があったりして、ドンピシャ感もハンパない。

今日中に別記事にしてアップしたいところだけど、まもなく電池が切れそうなので(寝不足)明日にはきっと。

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あたりの白いちごを見つけた気分だ