CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

自然界と調和する

数年前まではせっせと植え替えたり、新しいのを仕入れたりしていたベランダの植物は、アフターお山の今ではすっかり放置されております。それでも、たまさかYouTubeで園芸の情報など見ては、ちょっとはお世話もしているのですが、昨年植え替えておいたアイビーが明らかにこれまでとは違う生育ぶりだったのを見て、申し訳ないことをしたと思ったりしています。

写真上のハンギングバスケットのアイビーはしょぼい育ち方なのに、そこからベランダ菜園用の深い鉢に移した子たちは青々と大きく育ったのです。

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違いはレキゼン


これを見て「な、ちゃんと根をしっかり張ったら、のびのびと育つんやで」などと、ポーズの基本ワークショップで伝えた「ゆらがない土台があれば、身体は自由に伸びることができる」ことを強調していた私ですが、実に、大事なことは自然の摂理が教えてくれるものです。

最近読んでいた本の中で、鍼の効果は「放電」にあるのではないかという説があり、(真偽は不明ですが)なるほどと思ったのでした。家電にアースが必要なのと同様、人間もアースが必要だということです。アース=earth、すなわち大地のことですから、畑を耕したり、田んぼに入ったりすることで放電できるのですが、現代人はこれが足りないということです。人間の身体にもアースが重要な役割を果たしているというのは納得できます。

それにしても、古代中国の人たちはよくもまあ鍼で心身が調うことを発見したものだと思います(放電と思ってたかどうかはわかりませんが)。中医学は自然の法則から成り立っていて、自然界の理からさまざまなことを導き出し、バランスの崩れたところを立て直すシステムなのです。

ヨガでも五元素の概念がありますが、中医学では木・火・土・金・水がそれぞれ五臓に対応しており、たとえば「木」は「肝」につながります。自然界の中で、木(植物)はのびのびと上に成長していく性質をもっていますが、上のハンギングバスケットのアイビーのような環境にあると成長が制限されるように、ストレスなどで気が弱ったり、滞ってしまうのは「肝」の失調と考えます。そこで「肝」を養うような食生活や生活習慣を中心とする養生や経絡治療、方剤を選ぶという仕組みです(実際の治療はその他の要素も考慮しますが)。

5月の漢方喫茶では、そういった漢方の基本概念「陰陽五行」について紹介します。これまでは実用的な漢方や養生のお話しが中心でしたが、その哲学を知るとさらに興味がわき、理解はより深まるはず。多少難しい内容ではありますが、そこは漢方喫茶ですから、どなたにもわかりやすく、楽しんでいただける内容にしてお話ししますので、お気軽にご参加ください。もちろん基礎知識など一切不要です。

そのほか、ゴールデンウィーク中は、疲労回復の漢方養生ヨガ、呼吸法〜瞑想などの特別クラスも行います。

www.chazen.yoga


さて、私は明日からまた理事長と「放電」に行って参ります。今度はなにごともなく帰って来れますように......。

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薄着になられた理事長

アシュタンガもメジャーに

先週の事件後の疲れが尾を引いて、時間が経ってしまったのですが、日曜日の漢方喫茶は主に女性の「秋」に起こってくるさまざまな症状と漢方の使い方などについて話しました。これまでは冷えだとか頭痛、かぜなど、自分の経験をもとにした「体験談」的なリアリティがあったと思うのですが、今回はちょっと説得力に欠けたかもしれません。

というのも、私はほとんど更年期の不調を感じないで老年期に突入してしまったからです。個人差があるものですが、たぶん私の身体にも何かしらの不具合は出ていたとは思うのです。ただ、まさに更年期に差し掛かろうとするときにアシュタンガを始めたので、毎日に張りがあり充実していたせいか、それらしいものを感じなかっただけなのだと思います。

人間、前を向いてせっせと歩みを進めているときは、そう大きなことでない限り気にならないものです。けれども、その歩みがなんらかの原因により妨げられたときに、さまざまなことのリズムが崩れて、うまく進まなくなったりします。子どもが成長して手元を離れていったり、親の介護が始まったり、そういう時期に重なってよけい症状がつらく感じられるのが更年期なのでしょう。

そう思うと、私はなかなかいいタイミングでアシュタンガに出会えました。当時は、マイソール友の多くが20代だった中で更年期だったわけで、負い目を感じていたのですが、人にはそれぞれ「その時」があり私には必要な時に与えられたのだなと思います。いつだって出会ったときが始めどきです。

さて、それから月日は流れ、いつの間にかヨガの世界も変わりました。今や、ヨガをやっていると言っても誰もビビったりしません。むしろ、健康的なエクササイズをやっているイメージが強くなりました。さらにはアシュタンガヨガの認知度もそれなりに高まってきているようで、4月から異動になった練習生が朝ヨガやっていることを新しい部署の同僚に話したら「アシュタンガ?」と返ってきたそうです。ご存じならば話は早い。
 
そういえば、もう先月のことですが、双子パンダの観覧抽選に当たったからとお誘いをいただき、ウホウホと上野動物園まで見物に行ってきました。月曜の午前の招集なのに6人もよくそろったなと思ったら、うち4人が早朝マイソールクラスの先生でした。

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ちょうど花見の時分


私がマイソール練習を始めたころは、指導者のほとんどが外国から来ていた先生でした。まだ日本人で経験のあるアシュタンギが少なかったのです。それが今や都内でも西や東にマイソールができて、自宅から近いところで練習ができるようになっています。マイソールが普及すれば、へんに誤解されたアシュタンガ観もなくなるでしょう。フツーのヨガですから。


パンダ? かわいかったけど、動画で見たほうが......。

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シャオシャオ♂は木登り中


レイレイ♀は室内でひたすら竹を食べていた。

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離れているけど同じ格好で食べてる母娘


シューシューはひたすら寝ております♡

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脚の間に湯たんぽはさんで

もっと困ろう

理事長がご機嫌うるわシューなさっているので、なつかしの信州へ行ってきた。が、出だしから予期せぬことの連続で、己の小ささを思い知らされる旅となったのだった。

可愛い子には旅をさせよ。
安穏としている自分にも旅をさせよ。

CHAZENがすべてみたいな狭い社会で生きている私にはいい薬になったと思う。インド思想以前の、シャバの哲学を思い出すいい機会でもあった。

不測の事態その1は、整備されていない砂利道でスタックして出られなくなってしまったこと。幸い管理された場所だったのでセンターに電話してヘルプを要請したら、除雪車が現れ牽引ワイヤで引っ張ってもらい脱出できた。田舎ではちょっとした「あるある」だから、さらっと軽く対応してくださったのだけど、その普通の親切さがなんだか身に沁みた。

同時に、自分の緊張感のなさを猛省。坂の途中で登りきれない気がしたのでUターンしようとして、安易にバックしてしまったのだ。ふだん「都会人はヤワだから」などとのたまっている自分が恥ずかしい。雪道でハマった経験は何度もあるが、牽引ワイヤが登場したのは40年の運転歴で初めてのことだ。

人並みに落ち込んだが、交通事故でもなく、理事長にも何事もなくよかったと気を取り直し、とりあえずは宿泊先のコテージに到着。

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理事長グッズ一式を持参して


あたたかい部屋で理事長がぐっすり眠っているので、車でひとっ走りして湖のほとりにある温泉に入ったら、緊張でこわばった身体がポカポカほぐれた。頭はまだ詮無いことを考えてしまうのだけれど、スヤスヤ眠る理事長に安心して私もいつしか眠りに落ちていた。

目が覚めたら12時半。ロフトのカーテンを開けてみると雪だった。みぞれの予報は出ていたけれど雪だ。しかも、すでにけっこう積もっている。不測の事態その2だ。春の雪は大丈夫とたかをくくってノーマルタイヤで来たが、ここは標高1300mなのだ。どうやって帰るかを案じ始めたら、もう眠れなくなってしまった......。

で、朝。

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一夜にして銀世界


春先の雪ではなくフツーに冬の雪。しかも、除雪車が来る気配もなく道路にも雪がかなり積もっている。いつもなら庭駆け回らんがばかりに喜ぶか美しい雪景色にうっとりするのだけど、とても気分じゃない。どうにも落ち着かないので、外に出てコテージの前を雪かき。

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最高の瞑想タイムだね


雪かきに出てきたオーナーさん。地元の人たちも、まさかここまで積もるとは思わなかったらしい。本館で朝食をいただきながら話を聞くと、通常このエリアは午前4時ごろから除雪車が入るのだけれど、3月31日で終了したとのこと。くーっ。よりによって4月1日、なんてタイミングが悪いのだ。エイプリルフールのジョークであってほしい。

国道に出れば除雪してあるだろうし、車の通りが多いので大丈夫だと思うが、そこまでの道のりがけっこうある。しかも、対向車とすれ違うのがやっとの、ガードレールのない道。下りだからスタックはしないけれど、スリップしたら斜面を転がり落ちることになる。さすがにそんな危ない橋を渡る気はない。

とりあえず昼まで様子を見ることにして、チェックアウト時間後もコテージを使ってていいよと言ってくださったお言葉に甘えて昼過ぎまで理事長はぬくぬくした部屋で寝て過ごし、私はオーナーさんに送っていただいて予定をこなすことができた。人の情けがまた沁みる。人って本来こんなふうに暖かいものであると田舎育ちの私は認識しているけれど、世の中そうでないことも多いからね。

人はひとりでは生きていけないのだなあという当たり前のことが、いつになく胸に迫る。都会にいるとすべてが人工的に整えられているので、見ず知らずの人に助けてもらうことなどめったにない。助けが必要ならお金を払って何かしらのサービスを購入すれば済むから、ご近所付き合いもしなくていい。他人様に面倒をかけずに生きていくことができる。

だけど、それはただのカナシイ思い上がりのような気がする。現代人はとかく人に迷惑をかけないようにと思って生きているけれど、他人に面倒をかけてもいいんじゃないか。「もらったらもらいっぱなし」と同じく、面倒をかけたらお礼やお返しをするのではなく、困ったときはお互い様で面倒をかけ合えばいいのではないか。人とのかかわり合いができなくなっている世の中だからこそ、ポストコロナはお互いに支え合い助け合うようにしたいもの。

そしてしみじみと思ったのは、受講してくれる人がいてはじめてCHAZENが成り立つのであり、かかわる人があってはじめて私という存在が成り立つのだということ。それこそが仏教でいうところの縁起ではないか。私たちは意識の性質上どうしても<我>という存在を中心に据えてものごとを見たり考えたりしてしまうけれど、他の生きとし生けるものとのかかわり合いがあってはじめて<我>があるのだ。

東京に引きこもっていた1年の間に忘れかけていたことを思い出させてもらった気がする。

おかげで雪を楽しめる余裕ができて、理事長にも久しぶりの雪を一瞬味わっていただき、

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雪の上でちっこするのが好きだからさ


シカちゃんたちにも出会い、

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全部で4頭いるのわかるかな


昼過ぎにようやく溶けて来たので、無事山を下りることができた。夕方東京に戻り、無傷で車を返すことができたときは、超めでたい気分になったよ。

もしかしたら、私が欲していたのはこのピンチだったのかもしれない。もちろんピンチ自体は欲していないけれど、山の分校を恋しく思う気持ちの半分は、泣きそうになりながらもなんとかその場を切り抜けてきた経験から得られるものであったし、今回も結果として得られた心境は、そのピンチをはるかに凌駕するものだった。困難があってこそ生きている手応えが得られ、謙虚にもなれる。そう思うと、あの砂利道にも雪にも、自分の不注意さにも感謝したいくらいだ。

もっと困ろう。もっと面倒なことをしよう。もっと人とかかわり合おう。己の小ささを知ったことで、ひとまわり大きくなれそうな気がする。

こんにゃくで思い出したこと

本日、初の「漢方養生ヨガ」でした。
呼吸法から陰ヨガのポーズ、そして温活実習という流れだったのですが、参加者によると今日のお目当てはこの温活実習の「こんにゃく湿布」だと言うのでびっくり。いつだったか、何かのクラスのときにこんにゃく湿布の話をしたら、「え?!こんにゃく?」というリアクションが返ってきたので、遊び心で今回のプログラムに入れておいたのでした。

まず腰、そして首、最後にお腹と試してもらいましたが、こんにゃく湿布、想像どおり、いや想像以上に気持ちよかったそうです。

こんにゃくの保温性、保湿性に加え、肌への密着感(もちろんタオルを巻いていますが)がいい感じなのですね。その上毒を吸ってくれるというのだから、こんにゃくパワーおそるべしです。

私がこんにゃく湿布をヘヴィに使ってたのはもう10年以上前。いつも腰首肩とあちこちが痛くて、しょっちゅうお世話になっておりました。かぜのひき始めにもよく効きます。ヨガに仕事にひどく無理していたころなので、よくかぜを引いており、鍼灸師のご主人をもつ生徒さんに教えてもらったのが始めでした。

結果的に大満足いただけたこんにゃく湿布ですが、若干失敗したことがあります......。

こんにゃくが大きかったのです。

こんにゃくを買いに行ったら、BIGサイズをウリにしたものがあることに気づきました。しかも、ふだん買っている有機JASマーク付きのこんにゃくより安い。実習後はお持ち帰りしてもらうつもりでしたから、何度も茹でているうちに小さくなってくるのなら、大きい方が何度も使えていいのではないかとBIGこんにゃくを購入したのです。

が、大きすぎて全員分がひとつの鍋に収まらず。しかも、分厚いのでしなやかさに欠け、首にはフィットしにくい。大きな問題ではないですが、なんともつまらない「お得」に走ったものです。思えば私はお得を目指して無駄なエネルギーを使うことがよくあります。

ちょうど昨日、星覚さんと読む「正法眼蔵随聞記」のオンラインクラスのあと、とあるピソードを思い出していました。

それは禅ワゴンで行く「禅の旅」でのことでした。
昭和時代に運転免許をとった私は、高速道路のSAのガソリンはひどく高いというイメージを強くもっており、途中のSAで給油するときは満タンにせず下りてから安いスタンドで入れようとしていました。そのとき星覚さんに「たとえ高くても何百円かの違いだから」というようなことを言われたのです。

ほんとうに。
日常使いであれば安いところをみつけて利用するでしょうが、旅先では確実に給油するべきです。思うに、経費を抑えることばかり考えて「事業仕分け」のようなマインドでいた私でした。

何でも安ければいいというものではない。得するように見えて、実は損していることも多い。大きいこんにゃくを選んだ私が再びそれを思い出したのは言うまでもありません。

禅の旅のように長い時間行動を共にすると、短時間の坐禅会やクラスなどでは経験することのない、日常のさまざまなシーンに遭遇します。そういうちょっとしたところで、人間は本来の思考や習慣が表れるものです。本に書いてあるようなことではなく、生きた教えを学べる。自分の思い込みに気づいてハッとしたり、誰かの何かしらの行動に刺激を受けて自分の行動を省みることができる機会なのです。

理事長的事情に加えて感染症的事情もあり、長らく禅の旅が実施できずにいますが、長いブランクを経ていつか再びみんなで禅ワゴンに乗って旅をしたいなあと、こんにゃくからそんな思いを馳せておりました。

陰ヨガポーズの時間はエッセンシャルオイルを焚いて、森林浴のアロマで免疫アップを狙ってみました。CHAZEN初のアロマヨガ?

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理事長はベッドから流出スタイルでご休息に


来週は漢方喫茶で女性のための漢方レッスンを行います。お年頃の女性みなさまにおすすめします。漢方に興味のある方、漢方薬を使ってみたい方はぜひご参加ください。

www.chazen.yoga

オレより掟

内田樹先生がおもしろいことを書いていらっしゃったのですよ。
いわく、ドラマ『北の国から』と映画『ゴッドファーザー』はほとんど同じ話なのだと。

blog.tatsuru.com


なかなか思いつかない視点ですわ。
ドン・コルレオーネが個人的感情や利害得失ではなく「掟」に従って生きたのに対し、その息子マイケル・コルレオーネは、家族に「オレの気持ちをわかってくれ」と懇願し続けたゆえに家族を失ったのだと。

私たちは相手に理解を求める生き物なのですね。自分を認めてほしい。この気持ちをわかってほしいと。それゆえに、認めてもらえないとき、わかってもらえなかったときに失望してしまうわけです。

「わかってくれなくてもいいから、変人と思われてもいいから、自分の好きなように生きている」私ではありますが、近ごろは変人の言うことを理解してくれる人が続出しております。

今月に入って連発している特別クラスでは、毎回ずっしりとした手応えが感じられます。アーサナのワークショップをやれば、参加された方たちの練習が翌日からあからさまに変化しているのが見てとれる。また座学ではそれぞれが自分の肚に落ちてきた言葉として、感想をシェアしてくれる。

インド哲学の概念は、用語を覚えたりするような知識ではなく、日常生活に結びつく知恵として、プラクティスの指針として理解するものと強調しているので、どんどん力みがとれて、すべてわからなくてもいいんだということがわかってきているように感じられます。

きょうは急遽予定を変更して呼吸法〜瞑想のクラスを行ったのですが、初参加の人もたちどころに呼吸法のすばらしさを実感して、私が言葉を使って説明する必要がないくらい、ねらいどおりのことを体感してくれました。

そんな調子なので、私は「オレの気持ちをわかってくれ」と思うことなしに、「ただひたすら修練あるのみ」という「掟」に従って粛々となすべきことをなせばいいのです。要は「オレの気持ち」なんざ、どうでもいいわけです。苦をとりのぞくためのこの修練を、各自が実践によって身に付けていくことが目的なのですから。

家族など身近な人にはつい共感を求めて「わかってほしい」などと期待してしまいがちですが、家族それぞれの「自己」よりも「掟」のようなものを共有できたなら、そっちのほうがうまくいくような気がします。

古代インドの哲人たちは、何千年も前にそれに気づいていたのです。ゾクゾクしますね。

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こちらがCHAZENファミリーのドン


&満開になったミモザ(パールアカシア)。

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雨上がりで下向いてる

脱力系の教え

先日311のことなど書いたばかりでまた大きな地震です。コロナは収束しないし、ウクライナのことがあり、またしても地震があり、気の休まることがない世の中です。

とはいえ、私自身は昨夜の地震発生時、ひどく冷静に布団の中で揺れを分析していました。ここは大丈夫だけど、東北かどこかで相当な規模の揺れがあっただろうと。起きて2時間ほどニュースなど見て情報収集し、大きな津波が来ないとみて再び寝たのですが、アラームが鳴っても目が開けられない。まさに春眠というような重だるさ。やっと起きてもボケボケで、エレベーターが止まっているのにその対応も遅れてしまいました。緊張感なし......。

逆に、地震の緊張感からか練習生の集まりは早めで、6時過ぎには満員。早い時間帯に人が多いと、マイソールらしい活気にあふれます。それに、早朝というのは「締まる」感覚が強くなるので、精神的な修行と考えるとやはり早朝が理想的です。もちろん、インドのシャーラーと違ってアシュタンガの練習だけしているわけではないので、無理のない時間帯に練習すればいいのですけれどね。


さて、先日ひどいサブちゃん顔をアップしてしまって申し訳なかったので、みなさまへのお口直しと理事長の名誉挽回を。

最近は妙にあたたかいので、午後は外を散策などしておられる理事長。体力維持に努め、生涯現役を貫くそうです。

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はだかんぼだと保護色で認識しにくい


マイソールクラスの終盤、理事長を陽だまりに配置しましたところ、居眠りしてはコロンと転がって笑いを振りまいていらっしゃいました。こんな世の中だからこそ笑いが必要という教えだったようです。

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ウトウト〜(のちコテっ)


ちなみに、311ではたいへんな恐怖を味わった理事長ですが、今じゃ地震があったことすら気づかず、グースカピースカお休みになっておいででした。

緊張には弛緩を、弛緩には緊張を。

よいムーンデイと週末を!

打たれまいとするな、打たれに行け

本日、久方ぶりのアーサナワークショップでした。ヨガポーズのワークショップもたまにやる分には新鮮でいいものです。

ふだんの練習ではあまりポーズのことを事細かく説明しないようにしているので、年に一度くらいはファンダメンタルな原理をお話しする機会をつくるようにしています。それが、毎日の練習の励みになり、またポーズへの方向性が明確になり、ひいてはヨガへの理解を深めるように思います。

しかし、ポーズのことを説明していても、ついつい印哲風味を出してしまう私なのでした。結局言ってることはスートラクラスでもギータークラスでも、バックベンドクラスでも一緒やん、ていう話です。考えてみれば、すべて目指すところが同じなのだから当然なのですが、一般のヨガスタジオでは通じないかもしれません(というかクレームが入る)。

毎日練習するのは、意識を無意識に昇華させることに尽きます。

つまり、頭で考えて行っていることが身体に刻まれて自動化するまでおやりなさいということなのです。ワークショップで伝えたことは、最初は意識しないとできないし、意識しなかったらそのうち忘れてしまうでしょうが、それを繰り返しているうちに、意識しなくてもオートでできるようになるのです。だから「毎日やるのが......」なのです(もう耳タコですね)。

そして、そこまで身体に落とし込まれたら、日常においてもさまざまな判断が自動で行われ、瞬時に適切な行動ができるようになる。それがいわゆる直観というものかと思います。

さて、予定通り(?)に時間をオーバーしてワークショップが終わるころ、某嬢がこんなことを言いました。

つい(ポーズが)できないって思ってしまうけれど、この年齢でこんなこと(ドロップバック)していると思うと、それだけですごいなあと思います。「中高年の星」だなって。

それを聞いて思わず「おっもっい〜こんだーら♪」と歌った私に、某嬢がまた言いました。

先生、星飛雄馬坐禅して大リーグボールが生まれたの知ってます?

知らなかったです。
なんでも、飛雄馬坐禅したときに何度も警策で打たれた。そのとき住職が「打たれまい打たれまいとするから、打たれるのだ。むしろ打たれに行くつもりでいなさい」と言ったそうなのです。

イエース!
かつて、ドロップバックがこわくて仕方のなかった某丈に「死んでもいいと思って!」と言っていたのはソレなのです。ふつうはそこまで強い言葉は使いませんが、まだ落ちたこともないのに、しかも絶対落とさないベルトを使ってサポートしているのに、こわくて途中でやめてしまうというのは妄想が過ぎるので強く言ったのです。

ただ、たまたままだマイソールを始めて間もない某嬢が隣でシャヴァーサナしていて、いつかは自分もそんな目に遭うのかと震えながら聞いていたそうで、すっかり伝説のちゃみこ語録になってしまいました。

ほかにも頭から落ちたことのある人はそれがトラウマになりがちですが、こわくないと思えば思うほどこわさに執着してしまうので、呼吸を深くしてそこに意識を集中したり、今日のワークショップで伝授した身体の使い方に意識を傾けるようにしてみてください。

こわいと思っているときはまずケガはしないものです。それよりも慢心、油断があるときが危ない。私の経験上、特に家で一人で練習していると、緊張感に欠けたり、ちょっと無理をしがちなので、気を引き締めて練習するよう心がけています。

あとで、飛雄馬坐禅が気になったのでググってみたら、そのシーンの漫画のコマが出てきました。ほう、なるほど。それから、円覚寺横田南嶺老師のブログがヒットしました。

ちょうど昨晩『不要不急 苦境と向き合う仏教の智慧』という本を読んでいて、コロナで坐禅会ができなくなってから横田老師が配信しているYouTubeを聞いてみようと思っていたところなのですが、そのYouTubeの対談でこの話をされていたのです。(9' 00"ごろから)

youtu.be


鎌倉の禅は臨済宗なので、ふだんはあまりアンテナを向けていないのですが、このところ鎌倉に行きたいと思っていて(お寺ではなく)本を読む前から横田老師のことを考えていたので、こんな風につながったことに袖擦り合うご縁を感じた次第です。

それにしても、この本の中で緊急事態宣言で坐禅会がなくなり、「坐禅会は『不要不急』だったのだ」と愕然としたと複数のお坊さんが書いておられます。そんな偉いお坊さんの坐禅会が不要不急なのに、「プラクティスは『不要不急』ではない」と平気で続けているCHAZENがちょっとおかしかったです。まあ、円覚寺ともなればわんさか人が集まってくるので、『不要不急』ではないけれど、開催は難しいでしょう。

いずれ時がきたら、円覚寺にも参禅してみようと思いました。

ともあれ、ふだん沈黙の中で練習しているだけに、終始笑いながら、やいのやいの言いながらのワークショップは楽しい時間でした。これからの練習がより一層充実しますように。

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そして作戦どおり終始寝ていてくれた理事長


そして、星といえば26日の「星の随聞記購読会」もお忘れなく。星覚さんにもこの話を振ってみようかな......。