早いもので、シューがお空に上ってからひと月が過ぎました。
仏教がそこにあったために短期間で苦しみから抜け出すことができ、その後福井の天龍寺で摂心にも参加し、おだやかな毎日を送っています。
失って初めてシューの存在の大きさを知ることになりました。CHAZENはすべてシューのおかげで成り立っていたと気づいたのです。
なんの意図も計らいもなく、ただそこにいるだけで人を和ませ、また励ましてもくれました。存在そのもので多くのことを教えてくれました。私が努力したことなどその足元にも及びません。
考えれば考えるほど、CHAZENをCHAZENたらしめたのは理事長の存在でした。

そして、私にとってシューは、天から与えられた最良のパートナーでした。もしかしたら神そのものだったかもしれません。

11月は引っ越しの混乱やら、シューの旅立ち、おまけにインターネットの不具合などいろいろありましたが、オンラインで継続しているCHAZENサンガからは、想像以上によい感触を得ております。
ところで、いつぞやの捨てる寸前に実がなっていることに気づき引き取ってもらったトマトは、M嬢にたくさんのプラーナを与えて元気にさせながら、自分自身もすくすくと育っているそうです。その写真が送られてくるのを毎回楽しみにしている私ですが、先日なんと色づいたとの報告をいただきました。
えー、12月なのに〜?!

生ゴミから生まれた「生ゴミ太郎」、よくぞここまで育ってくれました。私の手を離れてもしっかりと大地に根差し、力強く生きている生命は、まるでCHAZEN生そのものです。
家族として、友だちとして、また食べ物として、私たちはみんな他のいのちからプラーナをもらい合って生きているのですね。
山の中でひとり暮らしていても、ひとりではない。たくさんのいのちに支えられて生きております。