CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

受け容れたとき、ラクになる

植物や動物を育てたり、田んぼで米を育てたり、何かを育てるのが趣味な私は、最近白髪を育てています(育てなくても自然に生えてきますが)。いつもは1〜2カ月ごとにヘナでトリートメントをして、白髪を赤く染めているのですが、白髪の密集地帯の分量が増えてきてメッシュみたいになりそうなのでヘナをやめてみているのです。今のところ、一本の長さの3割ほどの白い部分がどんどん伸びていくのが楽しみです。

これからはむしろ歳をとっていることをウリにしようと、老いていく自分を楽しんでいる私ですが、40才をすぎて白髪が出てきたときはちょっとしたショックでした。若いときにも数本くらいはある白髪が一本もなかった私にとって、それはまさに「老」の始まりを知らせるものだったからです。

前触れはその2〜3年前。突然「ミドルエイジクライシス」がやってきて、ひと月ほどふさぎ込んだことがありました。幼少期から高度成長の中で育ち、大人になったらバブルという年代ゆえか、それまでの人生「がんばったら必ずうまくいく」ということを信じて生きてきたわけです。バブルが弾けても個人的にはさほど問題はなく、うまくいかないのは努力が足りないからで、経済と同様、自分の成長も右肩上がりに進むと思っていた。それが、ある時急に、何があったわけでもないのに、限界を悟ってしまったのです。

それでもしばらくはまだ、表面上いろいろがうまくいっていたのですが、その後、考えてもみなかったことが次々に起こり、試練の年が数年続きました。ヨガに出会ったのはそんなつらい時代の真っ只中。運動以上のことを何も期待せずにただ始めて、ふと気づいたら心のよりどころになっていた。で、「これはタダモノではない。ちゃんと勉強せねば」と、かくかくしかじか、今に至るわけです。あのころは、悪いことをしたわけでもない自分がなぜこんな目にあうのだろうと思っていましたが、今ならよくわかります。すべて「迷い」だったということが。

つらかったですねえ。何もかもが悲惨でした。

でも、もうこの先あんなつらいことはないでしょう。なぜなら、何が起こっても、あの時と今の私は心の構造が違うのですから。白髪を楽しむ自分を見て、それを実感したのです。年々、欠点やマイナスの部分を隠して自分をよく見せようという気がしなくなったこともありますが、抵抗しないで受け容れると、ほんとうに心がラクなんですよ。

どんなにまじめにしっかり生きていても、人生に苦は付きものです。この世は思い通りにならないことばかりなのです。誰かの思い通りになることは、誰かを苦しめることかもしれないのです。抵抗するより流れに身を委ねて、受け容れるほうがずっとラクです。努力してもどうにもならないこと、嫌で嫌でたまらないことを嘆いたり、怒ったり、立ち向かったりするよりも、ふっと力を抜いてそれを受容したときに流れは変わっていくのだと思います。

一度手放してみると、執着していたことの多さにびっくりします。あんなことやこんなことにしがみついていた自分が見えてきます。あのまましがみついていたら、今もつらかったでしょう。思えば、あのミドルエイジクライシスは物語の伏線だったかもしれません。漠然とした不安感がやがて本物の危機に変わり、その後それらを根本から解決する方法に出会うという物語の。

いつだってアシュタンガを勧め、禅を勧め、インド・ヨガ思想を勧めるのは、こういう自分の体験からきています。そうそう、手放すこと、ゆるめることは陰ヨガでも実感できます。陰ヨガはポーズも意味も深いのです。今月は久しぶりに陰ヨガやりますので、ぜひどうぞ。

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