いよいよ台風12号の雨風が強まってきました。今日は講演会を聴きに行く予定でしたが、台風で延期になり引きこもりの一日となりました。そういえば、8月の下旬までは予定がほとんど入っていません。田んぼの作業は9月の稲刈りまですることがないですし、高くて混雑する夏休み期は東京滞在主義なのです。
そこで8月は私的な夏安居として、学びに集中することに決めました。夏安居(げあんご)というのは、お釈迦様の時代に、雨季に遊行して不用意に虫を殺したりしないよう一カ所にとどまって修行したことにちなみ、修行道場などで集中的に修行する期間のことです。
座学のヨーガ・スートラクラスでは、内容そのものが難しかった第1章に比べたら余裕があるので、この4月からは自分でサンスクリット原文を読解して、先達の日本語訳を参考にしながらも、自分なりの訳をつくっています。いや、読解ではなく「解読」と言ったほうがいいかもしれません。途方もなく格変化したり、音がくっついて変化していく言語は、時として暗号を解読するような作業になるからです。血眼になって解読していたら誤植だったとわかってグッタリ......なんてことも。
昨年ヨーガ・スートラのクラスを始めて気づいたことは、解釈は解説書の数だけあるということです。習っては忘れ、習っては忘れを繰り返してきたサンスクリット語ですが、これはやはり自分で原文から読み解いて、自分なりに解釈しないと、解説に説得力が欠けると考えたのでした。しかし、ひとつの文を読解するのにも、参考書や辞書などがさまざまに必要になるので、文字通り店を広げるような作業になります。面倒くさいだけについつい後回しにしたりするわけです。
先日、22日のヨーガ・スートラクラスで、ちょっとしたサンスクリット語の間違いをしたことにあとから気づきました。ホワイトボードに書いた単語のそれ自体は間違いではないのですが、統一性に問題がありました。実はそのときにうっすらと違和感はあったのですが、明確な認識はありませんでした。サンスクリット語を学ぶクラスではないので間違い自体はさほど問題ではないのですが、気になるのはそのときの自分が鈍っていたことのほうです。サンスクリット語は難解なので、ちょっとサボっているともうサンスクリットマインドがどこかへ行ってしまうのです。
せっかくの実践チャンスなのですから、もっとしっかり取り組まなければと痛感しました。サンスクリット語もアシュタンガと同じで、一度にまとめて詰め込むよりも、一日ひとつのスートラを解読しながら文法を確認していくほうが身につくであろうと「一日いちスクリット」をスローガンに掲げて日々格闘しております。
そりゃそうです。「毎日やるのがアシュタンガ」ではないですか!
何ごともまず習慣にすること、それがヨガや禅の極意です。気持ちいいから、好きだからやるのは悪いことではありませんが、とにかくやらないと一日が始まらないとか、一日が終わらない、なんか気持ち悪いと感じるような習慣にすることがいちばんです。
早起きしてマットを広げて練習して......と同じように、この夏は特に、参考書や辞書を広げて、うんうん唸りながらサンスクリットを学ぶことを日課にしたいと思います。