CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

手放すほどに豊かになる

朝日のアフロヘア記者のことは、なんとなくは知っていた。けれど、何ひとつ読んだことはなかった。

最近になって彼女の『寂しい生活』という本のことを知り、瞑想しているイラストの表紙に反応してさっそく図書館で借り、蓼科行きのお供にしたのだった。

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一晩で一気読み

稲垣サンは3.11後に電気を使わない生活を目指すようになり、掃除機、洗濯機、ついには冷蔵庫まで使わないようになったというツワモノ。テレビや電子レンジはさっさと捨てた私でさえも、冷蔵庫を手放すなんて考えたこともないからね。今じゃCHAZEN生の笑いのネタになるほどプリミティブ礼賛なちゃみこさんものけぞる大胆な試みだ。さすがアフロにする人は違う。

でも、読むべきは節電生活そのものではなく、そこから得られる気づきや、精神的な成長のほう。不便な生活になればなるほど、真理に近づいていくような痛快さがある。アフロで蓮華座してるイラストは、そんなケチケチ生活をするうちに、これがブッダの言う悟りではないかと思ったエピソードによるもので、ここはちょっと私が過度に期待してしまっただけで、内容的には仏教やヨガの話は出てこない(が、かなり近い)。


この本も十分おもしろかったけれど、同時に借りてきた『魂の退社』はそれを上回った。

何よりも、この本には、私が考えていることが全部書いてある(若干盛って言えば)。
この人は、アタシか? くらいに。

いや、考えてることは同じでも伝わるパワーがぜんぜん違う。
みんながこの本を読んで、ちゃみさんの言いたいことを理解してくれたらいいなとか思ってしまう。

経歴見たらだいたい同年代。
もちろん彼女のように一流大学から朝日新聞にというようなエリートコースは歩んでない私だけれど(そもそもあのバブリーな時代に就職をしなかったはみ出し者)、いろいろがよくわかるのよ。

そしてこの本を読んで痛切に感じたのが、彼女や私が育った高度成長期からバブル期とバブル崩壊を経て、気づけば時代はすっかり様相を異にしていたということ。昔の日本はビンボーだったから、みんな一生懸命働いて、マイホームとかマイカーとかほしがったけど、もう必要なものは持っていたり、必要なかったりして今の時代モノは売れないわけさ。

だから「もっと売れ」って言ったって限界があるの。根本から考え方を変えないと、やっていけないのよ。それを小賢しい作戦で需要をつくろうとするから無理が生じる。東京オリンピックがその最たるもの。サマータイムとか「無理が通れば道理が引っ込む」ってほんともう勘弁してほしい。

この先大きな成長なんてないわけだから、お金がなくても、物を所有していなくても幸せであるような日本になったらいいと思うのだ。それってまさにインド思想的だったりするのだけれど、稲垣サンは仏教やヨガという切り口ではなく節電生活でそれに気づいた。さらには申し分のない地位も高収入も捨てて、電気もつけない生活を楽しんでいるという。

別にヨガや宗教に染まらなくても、そういうことは可能だってこと。あっちのブログに書いたオバタさんなどは、天然で悟っていらっしゃるし。

chamico.hatenablog.com


便利な生活を手放すほどに、もっと大事なことに気づき、小さな喜びに満ちた生活になった稲垣サンの言葉にはリアリティと説得力がある。

というかですね、もうたぶん気づいてる人は気づいてるはず。所有することのつまらなさに。持っていて自慢できる時代はもう過去のもの。ぜいたくがステイタスは時代遅れだということに。

稲垣サンは指摘する。
日本の企業がブラック化するのは、社員が会社に依存しているからだと。

まったく同感。人は本来、特に日本人はそうだと思うが、誰かの役に立っているということがやりがいや生きがいにつながっている。より多くの収入を求めるよりも、仕事そのものから得られる喜びにフォーカスしたら、会社への依存は減って自分自身の充足感が増すだろう。

何かを所有して楽しいのはほんのいっときなのだ。持たなくても大丈夫だし、むしろ楽しく生きていけることがわかれば、お金や物に縛られることがなくなり、本当の意味での自由が手に入るのだ。

家を売り、車を手放し......から始まった私の断捨離ライフ、『寂しい生活』を読んだらまだまだ捨てられるものいっぱいあるなと思えてきた。さすがに冷蔵庫までは考えていないけど、震災のときは私も電気を消しまくったことを思い出した。

あの頃のことを思うと胸がキュンとなる。

chayoga.exblog.jp

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