CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

まずアシュタンガ、次いでインド思想

最近、インド思想クラスのことについてあれこれ考えていたのですが、先日のスートラクラスにて「ここで私が伝えたいことがすんなり伝わるのはある程度の価値観というベースを共有できているからだ」と実感したのでした。つまり、そのベースがないとまったく効果がない。暖簾に腕押しでしかないということです。

たとえば、犯罪になるような暴力行為をしてもなんとも思わない人に、アヒムサー(非暴力)の話をして暴力を止めることはできないでしょう。しょっちゅう万引きをしている人を更生させるために、アステーヤ(不盗)の話をして効果があるとも思えません。極端な例ですが、そういう次元の人に頭で理解させようとしても無理です。

インド思想のクラスから何かを学んで役立てることのできる人は、ごく限られているのかもしれません。それは知識でも教養でもなく、その準備ができた人、そこに自分の求めているものがありそうな気配を感じた人だけなのかもしれません。

昨年の私は「誰かの役に立ちたい欲」が強く顕れて、苦しんでいるように見える人を「楽にしてあげたい」と何度も思ったのですが、結果的に、そう思わせるような人ほど私の話を素直に聞く耳は持っていないということがよくわかっただけで終わりました。

困っている人に何かができるのは、その人が私に何かを求めてやってきて、私の話に耳を傾けたときだけです。こちらから何とかしてあげたいと思っても、何もできないのです。

たとえば、まわりに困ったちゃんがいたとして、その人に何かを気づかせたいからとCHAZENを勧めても、まずそこまでには至らないのですね。本人がその気にならなければ何かを変えることはできない。人が素行や考え方を改めるのはとても難しいことです。

でも、もし何かを考えすぎていたり、自分を責めてしまっていたり、さまざまな不安がある人で、その人自身がが強く変わりたいという気持ちをもっているなら、アシュタンガヨガが功を奏するかもしれません。インド思想クラスよりもずっと多くの人が、そこに求めているものがありそうな気配を感じることができるような気がします。

ただ気持ちいいから続けているだけだったのが、だんだんに自分の内部が変化していくのを実感します。カラダが浄化されていくことで考えも浄化されていくはずです。定期的なマイソール練習をある程度継続できたなら、ここまではまず間違いなく変わるのですよ。

私がどうしても気になってしまうのは、そこで終わってしまう人が多いことなのです。何か勘違いしたまま、ヨガ歴だけが多くなっていく人なのです。その先にある本物を知ってほしいと思うのです。インターネットや雑誌などで聞きかじったヨガ知識ではなくて、それが生きる上で大いなるヒントになるような知恵を知らずにいるのはもったいない。

そんなのは自分でいつかわかるものなのだから教える必要などないという意見もありますが、それもわかる。わかるけど、1%のセオリーを学ぶことをやっぱり大事にしたいと思う私なのでした。そして、CHAZENの座学クラスは、ヨガの知識を学ぶクラスというよりも、生き方講座みたいなものです。頭でっかちになるようなものではありませんので、気楽に参加していただければと思います。

今月の予定はこちらからどうぞ。
www.chazenyoga.com

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不調だった胃が復活。食欲の花開く〜