CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

林住期の楽しみ

生やしてる白髪が伸びてきて、鏡を見ては「かっけえ〜」と悦に入ってるワタクシ。なぜ白髪が忌まわしいものだと思っていたのか不思議だ。いらないもの、いらない考えを捨てていくと人生はますます楽しいものになる。

夜明け前に犬と散歩していたら、急に「あとは死ぬだけだ」という言葉が浮かんだ。誤解のないよう断っておくと、生きる希望がないわけではなく、もはや望むものはないという充足感に満ちた境地ゆえの言葉。

  • 好きなように生きてきた。
  • やりたいことはやった。
  • 無駄に暴れたけど、今は平穏。
  • 親もいなけりゃ、子や孫もいない。

「好きに生きてきたから、いつ死んでも後悔しない」というのは若い時から思っていたのだけど、それは今思えばただの強がり。今朝思ったのは、今は「生まれて、生きて、死ぬ」というプロセスの二つ目にいるから、あとは死ぬだけだなということ。(またわかりにくいことを言ってる?)

ヨガをやっていなかったら、こんな気持ちにはなれなかっただろう。寂しさが大きくのしかかって、それをなんとか払いのけようとあがいていたかもしれない。老後に不安ばかりがあったかもしれない。

人は孤独を怖れるけれども、孤独をどうとらえるかでそれは正反対のものになる。私が孤独を感じることがあれば、それは人の中にいながら誰とも心が通じ合えないときであって、独りでいるときではない。

先日、災害に備えて断食せよと書いたけれど、老後に備えるのも同じこと。お金や物ではなく、何がなくても大丈夫と思える心こそがいちばん頼りになる。もちろん、物質が足りていることも重要だけれども、これはどこまで備えたら安心するのかが難しい。運を天に任せて、なけりゃないで野垂れ死にすればいいと思えたら、もう怖いものなどない(大反論が聞こえてきそう......)。

インド思想クラスで話した四住期の林住期。子どもが成人して家庭での役割を終えたら、家を出て森で修行をするという人生のステージ。それは結婚して配偶者を得たり、子どもを得たり、家を得たりする「家住期」を終えて、それらを少しずつ手放していくステージなのだ。

物や人間関係は手放すけれども、そこには修行という大きなよりどころがある。枯れていくようでいながら、それなりの課題に満ちているから、ワクワクする毎日が送れる。「あとは死ぬだけ」と思えたら、自分なりの楽しみをいくらでも実現できる。

最近CHAZENには再び若い人たちが増えてきたけれど、林住期の方にこそアシュタンガヨガをおすすめします。配偶者や子よりも、自分自身の中に揺らがないよりどころを作ったら、人生後半きっと楽しめますよ。

www.chazenyoga.com

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