CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

足るを知る

本日の入門ヨーガ・スートラのテーマは、アパリグラハ(不貪)について。
必要以上に所有しない。貯め込まない。貪らない。ということです。これまで取り上げたヤマ(禁戒)のアヒムサー(傷つけない)、サティヤ(嘘をつかない)、アステーヤ(盗まない)などは、実践できるかどうかはさておき誰もが知っていて、肯定する観念ですが、アパリグラハに関しては世間の風潮の逆をいくものです。

世の中の情報の多くは、あれも買え、これも買え、もっと買えというものです。それによって経済が成長して豊かになるという仕組みです。アパリグラハを強調したら、経済成長が見込めなくなりますからね。

それでも、断捨離が流行ってからは、世間的にもこの考えは共有できてきたような気がします。実際に断捨離を試みたことのある人もかなりの確率でいます。そしてこれからの社会はこちらが主流になっていくのではないかと思います。少なくとも希望的観測では、そうなります。

この貪らないというヤマ(禁戒)を実践するには、貪る行為を抑止するよりも、次のニヤマ(勧戒)に出てくるサントーシャ(知足)を行うのが効果的です。足るを知るということです。いまあるもので満足する心さえあれば、貪る必要などないわけです。

幸福というのは、満たされているということです。
心が外的な物質や愛情や評価に左右されていると、満足は一時的なものでしかなく、幸福と不幸が行ったり来たりするだけです。

でも、自分の内側に、静かで、揺らがない幸福があれば、常に幸せでいられます。
ヨガとはその幸福を探すことなのかもしれません。

なぜ座学などやるのか?
という問いに対する答えがひとつ見つかりました。

座学を敬遠する理由として、ヤマを「〜してはいけない」という「制限」だと思ってそれを窮屈に感じるという人がいますが、実はその制限があるからこそ真の自由が得られるのです。多くの人は制限をしないことが自由だと思っているのですが、それは一時的な、仮の自由でしかないのです。そのメカニズムがわかったとき、ヤマは決して制限ではないことに気づくでしょう。

そういうカラクリを解き明かすことが、インド思想を学ぶ醍醐味だと私は考えています。それがわかりさえすれば、人生はいかようにもなります。どんな境遇をも楽しめるようになります。

それがわかった人はすべてがうまくいくようになります。必要なものは与えられるからです。厳密に言えば、必要なものはすでにそこにあるのです。外に求めるから得られないだけだったりします。

貯め込まないで与えていると、知らないうちにまた戻ってきます。いろいろが流れて、うまくまわっていくようになるのだと思います。

先日書いた『人生フルーツ』に感化されて、今はあのご夫婦の本を読んでいるのですが、昨夜寝る前に本を開いたら、見出しに「足るを知る」の言葉。このご夫婦がすてきなのは、まさにサントーシャでアパリグラハだからだったのだなと納得しました。ヨガ人でなくとも、知っている人は知っている大事なことなのですね。


ところで、必要なものは与えられる......といえば。
ヨーガ・スートラの資料で手に入れたいと思ってた本があったのです。たぶんインドに行けばすぐ見つかるのでしょうが、最近行ってないし、徹底的に探すというところまではしてなかったのです。

それが先日、ある禅寺のお坊さんのブログ(ふだん日本語で書かれている)に突然英語で、蔵書を手放したので興味のある人は以下の書店に問い合わせよ、と英語の書籍リストがずらーっとアップされていたのです。その多くがインド六派哲学関連のものでした。サーンキャ学派、ヨーガ学派のものもありました。

書店の所在地が本郷三丁目だったので(東大印晢ご出身のお坊さんなのかも)、速攻でメールして見に行きました。書店といっても倉庫のような事務所のようなお店でしたが、じっくり見せていただきました。

お目当てにしてた本のうち、リストには英語で書かれていたのに実際はヒンディー語の本だったり(タイトルしか読めない)、すでに売れてしまっていたりしたものもありましたが、本命の「ヴィヤーサによるヨーガ・スートラの註解」がズバリありました。

わーい!

第1章では中村元先生が訳しているヴィヤーサの註解を参考にしていたのですが、第2章は一部しかなかったので。

ということで、来週はヴィヤーサの註解を大いに参考にできるかと。
だからどうってことはないかとは思うのですが、来週も楽しいインド思想のお話になりそうです。お楽しみに!


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