やればやるほど、ポーズはどっちでもよくなる。
それがアシュタンガでしょうかね。
アシュタンガヨガといえば、伝統的かそうでないかは別にして、やっぱりポーズが飛び抜けて目立ちます。世間的にもまずほとんどの人はポーズに目を奪われるというか、そこに魅力を感じたり、それだから敬遠したりするのが、あの動き出したら止まらないダイナミックなシークエンスなのです。
これでまず10年は楽しめますよ。
最初のうち途切れ途切れだった人が、がぜん楽しくなって毎日練習するようになるポイントは、やっぱり身体が変わってきて動けるようになったときでしょう。どんどん楽しんでほしいと思います。
それでも、なかなか思うように動けない、柔らかくならないという人もいます。
人の身体はほんとうに千差万別で、不可思議なもの。骨・体格的に不可能なこともあるでしょう。私も最初のうちはそれで限界を感じたりしてたのですが、そう思うこと自体がアシュタンガヨガとしてはまったく的はずれなのです。
才能がない。センスがない。
スポーツの世界ではそういう表現がありますが、アシュタンガヨガはヨガであって、才能があるとか能力が上だとかを云々するものではないのです。
おもしろいなあと思うのは、思い込みの激しい人はおしなべて体が硬いということです。つまり、ほんとうのところ、自らが潜在意識的に身体を開きたくないと思っているのかもしれません。そして、ポーズだけではなく、日常でも心を閉ざしたり、かたくなだったりするのですね。
後屈に悩んでいたころの自分はまさにそのとおりでした。その後、少しずつ開いてきたと同時に、心のバリアもはがされたように思います。
もちろん、単純に体が硬いから頑固な人、閉じた人というわけではありませんし、性格の良し悪しを言うわけではないですが、練習生の個性が身体とリンクしているのに気づくことがままあります。
畢竟、ポーズなんてどうでもいいわけです。
目的地に近づくための乗り物(道具)なわけですから。
目的地に着きさえすれば、ママチャリでも、ポルシェでもいいのです。
ポルシェでかっこよく、人々の視線を浴びて走るのもいいですが、走らせることが目的になると、目的地を間違えたり、どこが目的地かわからなくなったりします。そもそも、速すぎたら景色を楽しむという本来の醍醐味が失われます。
それよりは、ママチャリでえっちらおっちら、パンクしては泣きながら押したり、上り坂にめげたり、下り坂で爽快感を楽しんだりしながら、ゆっくり進んだほうがいいような気がします。いつかポルシェに乗ってやるぜ!と思いながら、ね。
私は昔、60才くらいになったらスポーツカーに乗りたいと思ってたのですが、いま乗りたいと思うのは軽トラ。いつか田舎に移住したら、愛車は軽トラにするつもり。
そういえば......8年前の私はこんなこと書いていた。
若干矛盾しているようですが「ヨガという乗り物」と「ポーズという乗り物」の違いということでご了承ください。
なんだかんだ言っても、アシュタンガのいいところは陰気にならないところ。
エネルギー発散してすっきりするので、どよよよーんという雰囲気にはなりませんからね。
なんでもいいから、まずは身体動かしましょ。