CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

前のめりを手放す

CHAZENのお正月マイソールは、ほどほどの混み方で落ち着いた雰囲気です。もう明日までですけどね。

本日は年末に急遽決めたお年始茶禅会でした。
常連さんのみでガイドの必要もなかったので、まるまる一炷ゆっくり坐っていると、何も心に引っかかるものがなく、どっしりと腰を据えて坐蒲の上に乗っているこの身に気づきました。カラダが無意識にベストポジションを知っていて、骨盤から背骨、肩や腕、頭の位置が、計算されたようにしかるべきところにセットされるようになっています。

アシュタンガで言えば、バンダの感覚と似た感じ。条件反射のようにそのアクションが「起こる」。起こそうとするのではなく、勝手に向こうからやってくるのです。

そういえば、ウェブのリニューアル作業中、写真を選ぶためにヨガや禅の写真を見直していたのですが、初めての禅の旅のときに星覚さんが撮ってくれた私の坐禅姿は、ひどく前のめり感があるものでした。当時はそれなりにいいポジションで坐れていると思っていただけに赤面の至りです。「微動だにせず背骨シャキーン」みたいな坐禅をしていたのですね。永平寺などでも「われこそはヨガ人でござる〜」的な坐り方でいたのかと想像するといたたまれず......。

今がいい坐相なのかどうかはさておき、禅の旅でも新しい写真ほどリラックスしたポジションで坐れています。そして、年々、いろいろなことが気に障らなくなり、嫌な人とか嫌なことがなくなっていく気がします。

アシュタンガの練習も、夢中になって前のめりだったころは、見る人が見たらさぞや滑稽な姿であっただろうと推測されます。それを思えば、今、力んで練習している人たちもいつか脱力するときが来るのだろうなあと、ほほえましく思えてきます。恥ずかしいけど、そういう時もあるものです。というより、そういう時期があったからこそ、脱力が感じられるのかもしれません。ただ前のめりは視野が狭くなります。ちょっと引くといろいろなものが視界に入るのにね。

アシュタンガも禅も前のめりを手放したら、逆にどちらも真に大切なものであることがよくわかりました。CHAZENのアシュタンガヨガは、ますます世にあるアシュタンガヨガとは違うものになっていくと思いますが、それが伝統的なアシュタンガヨガであると信じてこのまま歩んでいこうと思います。

そんなこんなの今日読んだ随聞記がいいお話で、今の心境にも新年にもぴったりの茶禅会となりました。よき禅仲間も得られて、満ち足りた2019年の禅始め。満たされちゃって、どーもすいません。

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お茶の時間に食べたリンゴをかっさらっていきやがった常に満たされてない犬withいのししコスプレのコボちゃん