CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

出会うというカルマ

第6期「バガヴァッド・ギーターを読む」の初回クラスは、史上最小規模でスタートした。だいたい初回は大入りだけど、残る人はわずかというパターンなので、今期は堅実に進むのかもしれないな。

今日はかつて公民館でやっていた”チャミソール”時代の方が参加してくださった。ヨギーをやめて早3年。ヨガスタジオから姿を消しても、まだ憶えていてくださったとはうれしい。聞けば初めてヨガをしたのが私のリラックスクラスで、そのとき彼女の動きがいいのを見た私に「今度アシュタンガクラスにおいでよ」って勧誘されてアシュタンガを始めたのだそう。もうすっかり忘れていたけれど、さもありなん、だ。

初めてヨガをしたときの先生って印象が強いのかもしれない。
それは、生まれて初めておっぱいをもらった人をお母さんと認識する赤ちゃんのようなもの。そのままお母さんのもとで育てば世の中のお母さんがみんなうちのお母さんと同じだと思ってしまう。オオカミに育てられた赤ちゃんはオオカミを当たり前のお母さんだと思うように、たとえばCHAZENで初めてヨガをした人はこれをスタンダードだと思う。善悪はともかくとして......。

これもひとつのカルマ(業)なのだと考えることがよくある。
どんなところでヨガを始めるか、どんな先生に教わるか。これがその人のカルマによって決まっているのだろう。以前、ドミニク・コリリアーノ先生に昔のアシュタンガの話など聞いていた時のこと。ドミニクは最初どこでどうヨガを始めたのか尋ねたら、グルジがアメリカにやってきたとき友達に誘われて行ったのが初ヨガだというのでびっくりしたことがある。たまたま初めてやったヨガがグルジ直伝のアシュタンガだったって、うらやましすぎるヨガデビューだ。

すべては起こるべくして起こっている。
さんざん右往左往して生きてきた人生後半になってやっとヨガと出会った私ですら、そこで出会えたというカルマに感謝せずにはいられない。最初に受けたアシュタンガヨガはぜんぜん楽しくなかったのに、その後なぜかアシュタンガ道をまっしぐらで、今のようになったこともすべて、自分の意志を超えた力が働いているように思えてならない。

不思議なことに、ヨガにかかわってからは、すべてがいい方にいい方にと導かれている。それは運が開いたと言うこともできるけれど、とりもなおさず、何が起きても悪いことだと思わなくなったからであり、思い通りにしようと考えなくなったからなのかもしれない。なにもかも自分の自由意志で選択して生きていこうとしていたヨガ以前の私は、なんという思い上がった人間だったのかとつくづく思う。

成り行きを静かに見守っていれば、心はいつもおだやかでいられる。


ギータークラスは連続ものですが、途中からの参加も大いにアリです。来月(7日)からスタートできればなおよし。ぜひどうぞ。

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クリスマスローズのうつむきかげんがたまらなくかわいい