CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

8度目の3.11がめぐってきた

もう8年にもなるのか。
朝一の坐禅を早めに切り上げて、犠牲になった方たち、今も苦しんでいる方たちに思いを馳せて読経。誰かのために祈るときの定番となった「念彼観音力」の普門品偈などいくつかを読みながら、被災した人たちの味わった恐怖、寒さを思う。

初めて永平寺に行ったのが震災から3か月後だった。その前から行くつもりでいたのだけど、震災がなかったらもっと先延ばしにしていたのかもしれない。震災後はひたすら坐った。永平寺以前だったので、坐禅ではなく瞑想スタイルだったけど、もしかしたら、あのときのほうが純粋に只管打坐できてたかもしれない。そうせずにはいられなかったし、自分にできることがそれしかなかった。いろいろがだいぶわかってきた今よりもずっとピュアな心で坐っていたように思える。

それから「生活すべてが禅」の実践がいかに人を救うかということを知ったのは、森健著『「つなみ」の子どもたち』を読んだとき。高台にある石巻の洞源院は、津波で避難してきた人々を受け入れて、半年間共同生活をしていたという。毎日仕事の分担を決め、秩序と精神的なよりどころのある避難生活だったそうだ。曹洞宗のお寺さんだけに、この住職は永平寺とか總持寺で修行生活を送られているだろうから、きっとその経験がものを言ったのだと想像する。作務をしたり、お経を読んだり、掃除をし環境を整え、お互い助け合うということが被災者の心のよりどころになったに違いない。お寺というのはこういう存在であってほしいものだ。

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私の考えるヨガや禅は、こういった不測の事態を乗り越えるための、落ち着きと智慧と勇気を与えてくれるものである。とどのつまり、私がCHAZENを続けているのはそのためなのだと妙に得心した今日という日であった。


当時マイソールもクローズになり、一時家で練習していた。地震の恐怖で情緒不安定となり、異常なまでにまとわりついてきていた、まだ7才のシュー太郎氏。

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このころはいつもドコモダケをカジカジしてたね