だいぶご無沙汰いたしました。
田んぼが始まり、星覚さんが帰国して坐禅会......という中で、まったく予定になかったプロジェクトが発足して、大わらわでございます。ええ、誰にも頼まれていないのに、でございます。
なんと申しましょうか、火中に身を投ぜずにはおられない性分なのでございまして。
社会の底辺をひっそりと生きている身分でありながら、「リトリートハウス」などという大それた思いつきが、妄想を超えて実現してしまいましたのでございます。
ちょうど昨年の今時分に森のリトリートを行って以来、にわかにCHAZENのリトリートセンター妄想が活発となったのでしたが、私もある程度はまともな分別のある大人なので、そういった非現実な妄想は理性によって完全に否定されたのでした。それが、3月に一人接心をしてとことん坐ったあと、サンスクリット語の勉強に頭脳を使っていたある日、その否定が肯定の方向へ突如向きを変えたのです。
あ、いや、そんなことはどうでもよろしゅうございました。
結果としてプロジェクトが動き始め、この週末から現場での作業がはじまったのでございます。
現場は木々に囲まれた小さな家。
使われなくなって数年が経過した敷地は落ち葉が積もり放題。かわいらしい木のテーブルも椅子も、さらにはウッドデッキも朽ちております。
まず落ち葉をどうにかして、次に雑草を抜いて......。田んぼのように泥に足を取られることはありませんが、気が遠くなるような作業です。
いや、今回はとても外までは手が回りませんでした。まずは家の中をなんとかしないと寝ることもできません。着いた瞬間から、帰る間際までひたすら肉体労働の嵐でした。ごはんを食べる余裕がない、あるいは食べることを忘れて働いていて、ふと気づくと飢餓状態で全身食欲となって食料を求めて出かけていく自分は、まるで飢えたオオカミあるいはシュー太郎氏のようでした。
でも、夢中になって熊手で枯葉を集めていると、私はこういうことがしたかったのだなと気づいたのでした。ヨガ→禅→田んぼという流れで学んだのは、お金で解決しないで自分の身体を動かしなさいという教えでした(労働をするためにお金をつぎ込んでいるとも言えますが)。
これからしばらく通ってなんとかして、7月にはリトリートを実施したいと目論んでおります。もちろん「とりあえず」リトリートができるまでにするという意味でありまして、いろいろが整うには長い時間が必要になるでしょう。都会のCHAZENだって最初は何もないところからスタートしましたが、こっちのCHAZENはそれ以前のスタートラインに立つところが最大の山場。さて、どうなりますことやら。
ともあれ、浅間山は美しく、部長は人間でいうと10才は若返った感じでした。
今朝、急坂をぐいぐい私を引っ張るように上っていた部長なのですが、帰ってきてからの神楽坂散歩はまるでやる気のない老犬というあからさまな違い。お山大好きな部長と静かな朝を楽しむリトリートをどうぞ楽しみにお待ちください。