CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

「気」にかけるということ

今朝お山から帰ってきた。早起きはお家芸で道路もガラガラだから、日曜マイソールの1時間前には到着。何より涼しい時間帯は犬もラクだろう。何より自分が東京のコンクリート的猛暑にもはや虫の息だ。

しかし、CHAZEN生たちはいつもどおり練習に来るし、そのあとのギータークラスも熱心に耳を傾けていただき、暑さに辟易しているのは私くらいで、みんな元気だなあ......なんて、クラスを終えてベランダ作務を始めたところ、大きい鉢にいたメダカちゃんたちが全滅していることに気づいた。オスとメス各4匹ずついた大人のメダカが、見るも無残な形で死に絶えていた。

この猛暑で急激に水質が悪化して、あるいは水温が上がりすぎてしまったのだろう。2つある小さい鉢もかなり水質が悪くなっていたのだけど、子メダカたちが元気に泳いでいたので、大きい鉢のことは心配していなかったのだ。

かわいそうなことをしてしまった。
暑かっただろう。苦しかっただろう。今自分が感じている暑さなんてもんじゃなかったであろうその苦痛を思うといたたまれない。ほんとうにごめんなさい。

もっともっと気を配ってあげればよかった。
生まれてひと月くらいの子どもたちのことばかり気にして、大人のほうはなんの心配もしていなかった。今まで大きな鉢にいるメダカは受難したことがなかったので、安心しすぎていた。

いつも思うことなのだけれど、植物も生物も、気にかけてあげないとダメになる。枯らしてしまうとか、死なせてしまうのは、うっかり忘れたり、面倒がったりしてないがしろにしたときだ。

「気にかける」とは「気」をかける、すなわちエネルギーを注いであげるということなのだと思う。大事に思っていたら、もっと想像力を働かせて出かける前にあれこれ手を尽くしたであろうものを......。

私は、CHAZENの植物やメダカとCHAZEN生を同じように考えている(へんな言い方だけれど)。大事にしてあげないと育たない子もいれば、放っておいても勝手に育っていく子もいるのは、マイソールの練習生も同じだ。特別大事な扱いはしてなくても、大事に思っているという「気」は伝わるものだと思っている。

だから、もし私がCHAZEN生を気にかけなくなったり、アシュタンガヨガに対する思いがなくなったりしたら、CHAZENは成り立たなくなる。ちょっとでも手を抜いたらダメになるだろう。そういうのは必ず練習生に伝わるものだから。

考えてみれば、今まで夏休みなんてとったことがなかった。CHAZENを留守にするのもせいぜい1〜2日だから、メダカの生育環境にも目が届いていたのだね。放ったらかしにしているように見えても、ちょっとした変化に対応できていた。大したことしてないようでも、毎日目を配っていれば変化には気づくんだよ。

練習生も同じなんだよね。ただ、年間通して週6日ひとりでマイソールやるというのは土台無理があることなのかもしれないけれど、どうなんだろう。なんだかいろいろ考えてしまう。

そういえば、山の家で小さい木を切らせてもらった。雑草だってなんだって命には変わりないけれど、やっぱり木を切るのは特別申し訳ないので、謝って、祈りを捧げてから切った。ヒトと他の生命体との共生について、お山では考えさせられることばかりだ。

メダカたちにはすまないことをしたけれど、これを教訓とすることで供養したい。猛省して、子メダカたちを大事にしよう。

ほんの6日前の写真。このときはなんの問題もなさそうだったのにな。

f:id:chazenyoga:20190804200945j:plain
この子たちがみんなお星様に......