CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

ゴミ問題について考える

軽井沢町はゴミの分別がかなりシビアである。
まず、可燃ゴミ、容器包装、不燃ゴミの3種類の町指定のゴミ袋に入れなければならない。そして、分別の仕方も厳しく、不燃ゴミに至っては10種類に分けて出す。たとえば透明のビンと色付きのビンは別の袋に入れて出さないといけなかったりする。

この数十年、可燃ゴミはかなりテキトーにスーパーのレジ袋に入れて、曜日に関係なくマンションのゴミステーションに出すという生活を続けてきた私にとって、ちょっとしたゴミ革命がやってきた。

革命の始まりは昨年の5月軽井沢のリトリートにて。去年借りた別荘地にはゴミの集積所がなく、直接自分で「塵芥処理場」つまりゴミの処理施設に持ち込むことになっていた。車でゴミを運び、広い施設内をゴミの種類ごとに順番に巡ってゴミを出すうちに、今までテキトーだった分別に対する意識が変わったのだった。

そうだよね、ちゃんと分けなくちゃ。
何が資源として使えるのか、どうやって資源になるのかをちゃんと知るべきだ。
そして、それ以前にゴミを減らさねば。

もちろん、ずっと以前からその意識はあった。けど、もっとゴミを処理する側の視点で考えようと思ったのだ。

そんなわけでお山にいくたびにゴミをどう出すかいろいろ考えている私なのだが、先日、まるで逆の発想を見せつけられてまた考えてしまった。

CHAZENでマットやヨガラグを注文したら、同じブランドの商品が二カ所から別々に配送されてきた。一部の商品をamazonに委託しているらしく、いくつか注文した中の2点だけそこから配送されたのだけど、同じブランドの同じヨガラグが、色が違うだけで別の箱に梱包されて、同時に届いたのだった。

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犬は注文してませんが写り込んでいます


どう考えてもこの箱ひとつで収まるはずだけれど、なぜこういうことになるのだろう。コストと効率を考えるとこれがベストということか。現代のロジスティックシステムとはそういうものかと思うと寒気を感じる。

けれど、よく考えれば私たちがなんでも一緒くたにポイっと捨てているのも同じことなのではないか。

面倒だから。
分別している時間がもったいないから。
効率が悪いから。


今日もまたエコバッグを持たずに買い物をして紙袋をもらってしまった私も、この梱包と同じようなことをしているのではないか。

ゴミを減らすと言っても、たとえば本気でゴミを出さないようにしたら、そのためにそうとうな時間とエネルギーを費やさなければならないし、一般家庭でどれだけゴミを減らそうが、工場とか解体現場で出るようなゴミの量を考えると焼け石に水としか思えない。


考えれば考えるほど答えは遠くなる。

遠くはなっても、ゴミについて考えておきたい。というか、お山に行ったら考えざるを得ないのよ。