CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

コンビニに食べるものはありません

今期のギータークラスを受講している方がアーユルヴェーダのパンチャカルマという集中セラピーを受けに南インドに行かれるそうだ。私もかつて、ケララでパンチャカルマという妄想の虜になっていたものだ。

永平寺以降、私の関心は禅に注がれてアーユルヴェーダが少し遠のいてはいたけれど、付かず離れずの距離感で学びは続けていた。このところアーユルヴェーダのプログラムのために昔の資料を読みなおしたりしていると、マイブームだった時代がなつかしく思い出される。と言っても、たかだかこの10年くらいのことなのだけど、時代が動いたことを感じるのだ。

ツボだったのは、先生のおっしゃった言葉を「」つきで言ったまま書き込んであった数年前に受けた講義のメモ。

「コンビニに食べるものはありません」


これを聞いて人はどう思うだろうか。
驚く? 反論したくなる? それとも納得する?


今や、お年寄りから子供まで、全国民にその名のとおり便利なお店として認知され、誰もが愛用しているコンビニで売っているものは、アーユルヴェーダ的に見たらまずほとんどが死んだ食べ物だという意味だったと思う。まずコンビニで食べ物を買わない私だけれど、ここまでは言えない。

ただし、ヨガ人は別だ。ヨガとこういうアーユルヴェーダの考え方をまったく切り離している人がけっこう多いのに驚かされるのだけど、ヨガの練習がマットの上のポーズの練習のみである限り、それも致し方ないことなのだろう。

私がリトリートをやっていきたいと思う理由のひとつが、オフザマットの時間を長く共有することでヨガを伝えていくことにある。寝起きや食事を共にして、アーサナ練習だけでは学べない生活の調え方について何かヒントを持って帰ってもらえたらいいなと考えている。

ヨガ哲学や禅は個人的にいちばんの武器なのだけど、人によっては難しいと感じるらしく敬遠されがち。そして、頭でっかちにもなりがちだし、マニアックになりがちでもある。その点アーユルヴェーダは身近な生活習慣マターなので、誰にも親しんでいただけるのは間違いないから、今後のリトリートではスタンダードとして盛り込んでいくつもり。


それにしても、お山のリトリート効果を最も大きく感じられるのがシュー部長のエネルギー度。東京では散歩したがらなくなり、坂道なんかカメ並みの速度なのに、お山に行くと急坂もへっちゃらで犬が変わったようによく歩く。これが不思議でたまらない。

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秋晴れの浅間山は大迫力でいつもより大きく見える