日曜の陰ヨガ終わってからお山へ。
着いたら夕方だなと思っていたのに、道路がひどく空いてて碓氷軽井沢インターまで1時間半で着いてしまった。日曜出発なかなかいいかも。
今回は来週末のリトリートの準備というミッション先行だったのでタスクも盛りだくさん、と同時にお楽しみも盛りだくさん。うーん、何から書こうか。
まず着いたとたんに、というか森の家に着く前に、いつものあたりで鹿が道路におりまして。
初の牡鹿。立派なツノ。車の前を逃げるように走って脇に逸れたところで、振り返ってこっちを見てるのもいつものパターン。
この子かどうかわからないけど、家の中にいると頻繁に鹿の鳴き声が聞こえてきた。ふと百人一首の歌が思い出される。
おくやまに もみじふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき
この歌を知ってから50年近く。ようやくその意味を身近に知る日が来たのであった。
それに花札。
もみじと鹿が描かれていたじゃないですか。
森の家のもみじはあまり美しくはなかったが、落ち葉のじゅうたんが敷き詰められていた@物置小屋付近。
翌朝3時ごろ起きて、拾っておいた小枝をストーブに投入すべく窓を開けたら、暗闇の中、カサっカサっと音がする。うちの庭に遊びに来るのはネコかシカだけど、どっちだろう。ヒトだったりしたら怖いけど、好奇心がまさってヘッドランプで照らしてみた。光が届かず見えないけれど、2つの目が光っている。その高さはシカだね。ずっと鳴いてた子かな。
午後からは街に出かけ、帰りにトンボの湯へ。
平日だけど駐車場はいっぱい。それでもちょっと前まで雨が降っていたせいか奥のほうは誰もおらず、晩秋の侘しさが感じられる。この侘しさというか寂しさ、あるいは物哀しさが私の心を落ち着かせる。生来の嗜好として、こういうのが好きなのね。いわゆる「もののあはれ」あるいは詩情。
こんなときは「風呂は静かに入るべかりけり」と思う。おしゃべりは野暮だ。三黙道場だ。お湯の音だけが聞こえるのがよろしい。
いい湯じゃったと帰る途中、月が山の端からひょこっと姿を見せた。満月前夜のほぼまん丸お月様に向かって車を走らせる形になり、これも風情だねえと悦に入っていると......。
またあの子に遭遇したではないですか。たぶん最初の写真の子だ。
月と鹿! これは絵になるぜ!
と狙ったところがシカは暗闇の影で写ってないわ、ピンボケだわ。野心をもつとしくじるものですな。
それにしても、日本の秋にシカはつきものだったと改めて知る。「ワビ・サビ・シカ」ってね。
(よい子は信じないでね)
この物哀しさがツボすぎて、私は愉しくてたまらない。寂しさにワクワクする。よっぽどの寂しさ好き。
そして、もうひとつホントの楽しいコトを見つけてしまったのだ。ぐふふ。楽しすぎてヤバイやつを。
長くなるので続きは明日。