CHAZEN学園
知れば知るほどそのすばらしさに気づくようになった佐保田鶴治先生のことは、昨年何度か記事にしたのを記憶している方もありましょう(言葉遣いが佐保田調に......)。
その佐保田先生が「ヨガは宗教か」について語られている中で、ヨガを一つの学園だと言っておられます。
以下、引用はすべて佐保田鶴治著『ヨーガ根本経典』平河出版社刊 より
ヨーガは一つの大きな学園です。この学園には幼稚園から大学院まであります。この学園に入園すれば、幼稚園から始めて順序よく教育をうけて、能力さえあればそれほど無理をしなくても大学院まで進むことができます。ところが、他の高等宗教には、大学や大学院はあるが、高等学校以下の学校を欠いている場合が多いのです。
CHAZENは小規模ながら、この学園のようなものだと私は考えています。もっと遠慮がちに言えば、一貫した教育を行う学園のようでありたい。入学して登校していれば、エスカレーター式に大学院まで進むことができる学園。
名門ではないのでお受験はありませんが、どうもアシュタンガ学園と聞いただけで難関と思われてしまう傾向があります。しかも「毎日」をスローガンにしているから、選抜試験をせずとも、優秀な生徒ばかりが集まってしまう。
もっと誰もが気安く始められる学園でなくては......。そう思って「朝ヨガ」を始めることにしたのです。
アシュタンガヨガのことをなにも知らずにCHAZENでヨガを始めた人たちが、ヨガを知るほどに、楽しそうに練習を継続しています。その人たちには「アシュタンガヨガをやっている」というような特別な思いがなく、たまたま縁あって始めたヨガを楽しんでいるだけです。
それがいいんですよね。
もちろんアシュタンガヨガのなんたるかを理解しようという動機でマイソールを始められたらすばらしいですが、アシュタンガヨガをかじった人ほど、ポーズのイメージが先行して間違った認識をもっていることが多いように感じます。
アシュタンガヨガは実にすぐれたシステムですが、ポーズの上達はモチベーションアップのツールにすぎません。昨日書いたように、技術を追い求めるあまり、本来の道から逸れてしまうこともあるくらいですから、柔軟性など必要ないわけです。
とはいっても、一歩が踏み出せない人、体力に自信がなかったり、痛みがある人、毎日は無理という人のことも理解できます。
それで「朝ヨガ」なのです。
ただ単に早起きして、ほどほどにカラダを動かすという習慣をつくる。それをCHAZEN学園の初等科として設置してみました。入学は随時受け付けています。義務教育ではないのでずっとのんびり初等科ですごしてもいいですし、アーサナをもっとやりたくなれば中等部のアシュタンガヨガコースに進むこともできます。そして、初等科に通いながら、高等部や大学である哲学クラス、あるいはオプションとして用意されている禅のコースを選択することも可能なのです。
ヨガには他の宗教との両立が可能な、自由さがあります。
ヨガを深めるのにヒンドゥー教徒である必要はなく、思想としては禅や仏教の教えを取り入れながら、アーサナやプラーナーヤーマを修練することも可能です。マットの上だけが練習の場ではなく、24時間を禅の精神ですごすことで、道に迷いにくくなります。
佐保田先生も言っておられます。
特定の信条やドグマや信仰形式にとらわれないから、ヨーガは他の宗教と対立することはありません。......ヨーガも一定の形をもった宗教ではありますけれども、他の宗教は捨ててしまえ、などとは申しません。むしろ、ヨーガで心の田地を養った上で、他の宗教に入られたならば、その宗教のほんとうに善い処がわかるようになるでしょう、と言います。ヨーガをやれば、真のキリスト者、真の仏者になれる、とヨーガは言います。それはちょうど、高等学校までヨーガ学園で学んで外の大学へ入学するようなものです。
それにしても、なぜ私がことほどさように朝練を勧めまくるかと言えば、朝練を始めてからの練習生たちの変化を見ているからです。それぞれが輝いていくのを目の当たりにしているからです。朝ヨガを続けた先にある心身の浄化をひとりでも多くの方に実感してみてほしい。それは頭で考えるのではなく、とにかく実践してみないことにはわからないのです。
「朝ヨガ」はごく簡単な、たとえて言うならラジオ体操のようなものでしょう。
ラジオ体操なら習わなくても家でもできると思うかもしれませんが、その簡単なラジオ体操をひとりでちゃんと続けられる人がどれだけいるでしょうか。最初は週に3回、とにかくCHAZENに寄ってから仕事を始めるというルーティンを作ることから始めてみてください。
2020年、何か自分を変えていきたいと思う方にぴったりです。もちろんアシュタンガヨガからのスタートも大歓迎です。