CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

9度目の3.11がめぐってきた

昨日、多くの人が黙祷を捧げていた時間に出発して、めずらしくお山でもクリアに受信できているJ-WAVEを聴いていたら、クリス智子さんが詩を朗読していた。図らずも震災の記憶が蘇ることになって考えていること、ここでも書いていることに重なったので紹介します。

空の下

黙る。そして、静けさを集める。
こころの籠を、静けさで一杯にする。
そうやって、時間をきれいにする。
独りでいることができなくてはできない。
静けさのなかには、ひとの
語ることのできない意味がある。
言葉をもたないものらが語る言葉がある。
独りでいることができなくてはいけない。
草の実が語る。樫の木の幹が語る。
曲がってゆく小道が語る。
真昼の影が語る。ジョウビタキが語る。
独りでいることができなくてはいけない。
時間の速度をゆっくりにするのだ。
考えるとは、ゆっくりした時間を
いま、ここにつくりだすということだ。
独りでいることができなくてはできない。
空の青さが語る。賢いクモが語る。
記憶が語る。懐かしい死者たちが語る。
何物もけっして無くなってしまわない。
独りでいることができなくてはいけない。
この世はうつくしいと言えないかもしれない。
幼いときは、しかしわからなかった。
この世には、独りでいることができて、
初めてできることがある。ひとは
祈ることができるのだ。


長田弘『一日の終わりの詩集』より


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