CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

ニセモノからホンモノへ

ごきげんよう
賞味期限切れの牛乳を飲み続けて1週間。きょうも元気な23日目の山籠もり日記です。

きのう書き初めてすぐに寝てしまいました。
お風呂のあと、布団をこたつ代わりにベッドに入って書いてたらコテンと。ぬくぬくはヤバイですね。

というのも、夕方はストーブを焚かないことにしたのです。日中は室温も上がるし、異様に早寝の生活なので焚かなくても支障がないとわかりました。あったまるまでに時間のかかる薪ストーブは、立ち上がりにいちばん薪を使います。朝はじゃんじゃか燃やして夕方はなし、が合理的な私流の薪節約方法のようです。

きのう分校では晴れていましたが、浅間山は雪模様でした。

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上のほうが見えないのは降雪中ゆえ


雨による一回休みのあとなので、せっせと働きました。
庭に放置されてあったりウッドデッキを壊したあとの腐った木を処分してもらうことになったので、それを運んだり、状態のいいものは割って薪にしたり。滞在が短ければ手をつけないつもりだった敷地のいちばん端っこを掃除したり。

掃除はすればするほど、細かい汚れが見えてきます。
しないと漠然と汚いという印象しかないのですが、掃除すると、ああ、ここも汚れていたんだ、と初めてわかります。

ということを私はいつもアシュタンガの練習にたとえて話しています。アシュタンガの練習(毎日やるのが、のね)をしたからといって、すぐにココロが画期的に変わるわけではありません。

続けていくうちにカラダの浄化がすすんで、それまで喜んで摂取していたラジャス的なもの(ジャンクフードなど)を欲しなくなっていきます。夜更かしや飲み会続きの毎日を練習のために早寝するようになり、徐々に生活全体がサトヴィックな方向へ向かっていきます。精神的にもおだやかになり、イライラすることが少なくなっていきます。

でもそれは絶対的なものではなく、何かあるとまたジャンクなものを食べたり、お酒を飲んだり、怒ったり落ち込んだりします。それでも修行の習慣を続けていると、自然にそういうことが少なくなっていきます。それを繰り返すうちに少しずつ、自分のことがよくわかるようになってきます。ジャンクフードやイライラが「いけない」と思うのではなく、自然になくなってくる。

何か新しいものを獲得するのではなく、今までもずっとそこにあったものに気づく。見えなかったものが見えるようになる。つまり、目が開いてくるわけです。ブッダという言葉は「目覚めた人」という意味です。


山の分校の庭を通る人たちにびっくり(ドン引き?)されるほどきれいにしていると、そこで初めて見えてくることがたくさんあるのと同様に、もう粗方の欲はなくなってきたと思っていた私にも、あんなエゴこんなエゴがこびりついていることが見えてきました。

この状況下でさまざまなことを想いつつ掃除という瞑想に励んでいると、ヨガをして穏やかになったという幻想が吹き飛ぶほどに、自分の目がまだ閉じていることに気づかされます。自分はニセモノだなと。

表面はきれいに見えても、土の中に根が伸びている限り、条件がそろえば芽は出てくるものです。敷地の果てで熊笹の根っこを切りながら、そんな自分のエゴも同時に断ち切ってしまおうと思うのでした。

先日書いたサマスティティを見直すというのはそういうことです。
ニセモノが急にホンモノにはなれませんが、サマスティティからやり直したいと思います。

そろそろこちらでは雨が上がりそうです。外に出て、根っこを断ち切る作務を続けます。

それではまた近いうちに。

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師匠はシューさん