CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

來りては去ってゆく

ごきげんよう
カラマツの枝を燃やすといい匂い。ストーブの取説には針葉樹を燃やすなと書いてあるけど。25日目の山籠もり日記です。

夢を見て夜中に目を覚ましました。

どこか異国の地で、パレードを見ています。友だちのルイーズ(イメージ)がシューを連れて歩いてきます。が、その犬はシューではなくて、なんだか高級そうな、背中に茶色いまだら模様のある毛並みのよい犬です。

私はものすごく衝撃を受けます。ルイーズにシューを譲ったのに、彼女はシューみたいなワルい犬が気に入らないので、もっとすてきな犬を買ってシューを捨てちゃったのです。(ちなみに夢の中のシューのイメージは、10年ほど前のワル犬時代のものです)

なんとかシューを探し出そうと、遺失物の捜索を依頼する電話ボックスみたいなところへ行きます。65番の札をもらって待っていると、手がかりが見つかった印が現れてきます。交信先は母のようで、固唾を飲んで待っていると、クリアファイルにぬいぐるみを作るキットが入ってきました(中学生の時にクマちゃんのぬいぐるみを作ったチェックの布)。

それで犬のぬいぐるみを作ると、それが本物のシューに変身して無事シューが帰ってきたのでした。私は安堵して「シューがワルいからこういうことになるんだ〜!」と言いながら、声をあげてわんわん泣いて、それで目が覚めたのでした。

どれだけシューが老いたことを寂しく思っているのでしょう。
あんなにバトルを繰り広げてきたシューなのに、今や目も見えず、耳もよく聞こえず、脚も弱って、もはやケンカすることもできません。

頭では納得していても、もしかしたら頭で納得しているからこそ、すでに失われた若いときの(と言ってもほんの2~3年前)シューへの執着が夢になって出てくるのですね。夢は深層心理をついてきます。

有情のものに老いは必定です。
すべては來りては去ってゆくものなのに、以前あったものがなくなって寂しいと嘆いているのが私たちなのです。その來りては去ってゆくものには実体がなく、いわば作り物の映画のようなものでしかないのに、私たちはそれをリアルな実体のあるものと勘違いしてしまうのです。しかし、夢でさえリアルな感覚があるわけですから、この現実世界が虚構であると真に悟るのはかんたんではありません。

とはいえ、そんな夢とは裏腹に私の「サマスティティ」は確実に変わっており、皮を一枚脱いだような、今までにない新鮮な感覚があります。

そして、そんなサットヴァな感覚とは裏腹に、きょう買い出しに行って、いつもは買うことのないビスケットなどのお菓子をたくさん買ってきました。

それもこれも含めて、いろいろが、ちょっとだけおもしろい毎日です。


お山の桜もようやく咲いて、春の訪れがやってきました。

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桜の向こうに浅間山が見えるかな

それではまた近いうちに。