CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

食べることの基本に戻ろう

ゆる断食を始めて、いかに自分が慢心であったかを思い知らされた。

まずブログから過去の断食を振り返ってみた。
最近では2015年に、炭水化物依存について知り、断食反応が出たのも糖質をとりすぎていたからだと気づいていたのに、そんなことすっかり忘れていた。いや、うすうすは感づいていたのだけれど、ごはんが大好きなあまりに、ごはんを食べ続けたいあまりに、記憶の引き出しに鍵をかけていたのだと思う。

特にこの野口法蔵さんの言葉を見たら、泣きたくなった。

ラダックの人たちの栄養の吸収は非常に高く、われわれのようにくだらないものをたくさん食べてむだに排泄していません。


ラダックの旅は、胸を衝かれるような、「気づき」なんてもんじゃなく「どつき」のような教えに満ちていた。この言葉でそれが瞬時に甦り、くだらないものをたくさん食べてむだに排泄している自分が情けなくて泣きたくなったのだ。ラダックでは排泄物でさえ有効に利用しているというのに......。そして、これを書いた時点で今と同様心を動かされていたのに、5年ですっかりもとの木阿弥になっている事実にも......。

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永平寺でいちばん感動したのが「いのちをいただく」という食事作法だった。そこから禅に傾倒していったのに、田んぼやお山で忙しくなり、コロナに通せんぼされて、お粥の会もずいぶんご無沙汰になっている。五観の偈を唱えてから食べていた習慣もいつの間にかどこかへ行ってしまい、食事作法はかなり乱れてもいた。

味噌汁だけで過ごした翌朝、目ヤニの出た目を開け、気怠いカラダを感じ、ずいぶん毒をため込んだことを実感した。何年分もの毒がたまっていたのかもしれない。自分を甘やかしすぎた。あげく、コロナの影響でこれまでのポリシーが変更され、くだらないものをたくさん食べてもいた。なにものもムダにしないという姿勢をつらぬくと、まわりとの調和がとりにくくなるので、心も折れる。人は便利なほうへと流れるものだから、そっちに合わせたほうがどんなにか楽だ。その楽なほうへと行きかけていた。


もう一度ビギナーズマインドに戻ろう。
発心こそが道の始まりであり、発心があればもうちゃんと道を歩き始めている。道を逸れたらまた元の道に戻ってやり直せばいい。

そういった心境なので、11月3日には太陽礼拝のワークショップを行うことにしました。
グルジの太陽礼拝本からマントラなどにも触れ、またチベット五体投地やいのちをいただくことなど、ヒンドゥー教から仏教まで感謝と祈りをテーマにした座学と実際にカラダを動かしての太陽礼拝までの濃い構成を考えています。初心者からベテランまで、みなさまに楽しんでいただける内容です。今週中にウェブにて告知します。


買ったばかりの新米と、いただいた手作りの新米が待っているので、ごはんも少しずついただきますよ。

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先日のおにぎり御膳をいただいたお店の田んぼ