CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

カタチではなくカンジ

今日は8周年イベント第二弾のポーズ分解ワークショップであった。
レクチャーといえばいまや哲学方面が中心となり、精神論に終始することがほとんどなので、たまにカラダ方面の話をするとヨガスタジオのリヴァイヴァル的ななつかしさがあって楽しい。

ふだんは敢えてこういうポーズのことを解説するレクチャーをやらないようにしている。それはアシュタンガヨガの本懐とかけ離れるおそれがあるからなのだけれど、たまにはこういうクラスをやったほうがいいと感じた。

ちゃきちゃきのマイソール育ち、つまりヨガスタジオなどのマイソールではないアシュタンガを経験しないでCHAZENに来た人たちは、たいへん貴重な正統派であり、汚れなきお嬢様やお坊っちゃまだと思っている。ただこういった純粋無垢な、つまりアシュタンガに対する偏見からフリーなお嬢様やお坊っちゃまであっても、俗世間のヨガ情報は知らず知らずに入ってくるので、それを修正するためのポーズ解説クラスは大事かなと思う。

たとえば、美しいポーズや正しいポーズの形を追いかけてしまう俗ヨガ情報。
特に日本人はみんなと同じことをするのが正しいことだという思い込みが強いので、人と違っていると不安になる。そして正しいポーズの形になっているかどうかを気にする。

てやんでぇ、正しいポーズの形があると思ったら大間違いよ。

アシュタンガの場合、あるのは「正しいヴィンヤーサ」であって形ではない。ポーズの形は人それぞれの骨格や柔軟性、手足の長さなどによって違って当たり前。ただし、それならなんでもよいかというとそれも違う。適切なカラダの使い方を知ることでケガや痛みを避けてラクにポーズがとれるようになると、自然に呼吸は規則正しいリズムで深く入るようになり、よりディヤーナ(禅定)な練習が可能になる。

ポーズをとりながら確かめるのは、目に見える「形」ではなく内側にある「感じ」。
今どこが開いているか、どこが伸びているか、呼吸を深く入れるとどこがどう変わっていくか等々、カラダに起こっている「感じ」をキャッチしていくのがヨガなのだ。そういう訓練を毎日続けていくことが直感力を養い、なにをなすべきか、なすべきでないかが瞬時にわかる能力が身につく。ちなみにそれが並外れて高度になったとき、ヴィブーティ(超能力・自在力)が発揮されるというのが、最近のスートラクラスでのお話。

......とついついやっぱり座学的な話にもっていってしまう私なのであるが、本来のヨガのキモはそこにある。カラダを鍛えているように見えて、実は感覚器官および精神を鍛えているのがヨガ。カラダだけ鍛えるなら通い放題何千円のジムに行ったほうが断然コスパがいい。

世界中がコロナに脅かされたとき、ほんじゃどうすっぺか?というのは、考えてもわからないことで、そんなとき頼れるのがこの内なる声。カラダとココロが研ぎ澄まされていればいるほど、この内なる声の精度も高くなる。そういう声を聞く訓練をすることでこの能力は開発されるはずだ。

もちろん、欲が強いうちは内側の声は単なる欲望でしかないので当てにならないし、食べすぎていたり不摂生をしていたら直感が鈍るのは自明の理だ。ポーズの形を追い求めることは自我の欲望を助長させるだけで、本来のヨガで得られる能力はむしろ鈍ると思う。

ま、その本来のヨガで得られる能力を目指すのも邪道ではあるけれど。

今日のワークショップでやや意外に思ったのは、あるポーズについてそのポーズの目指すべきポイントを伝えて実際にやってもらうと劇的にポーズが変わる。もちろん好ましい方向にね。あからさまに向上している。それだけにみんなキツいキツいと言っていたけれど、今後の練習へのよい刺激となるであろうことは間違いない。とりあえず明日は筋肉痛かな。

ともあれ、たいへん有意義なクラスだった。そして、これを有意義なクラスになさしめたものは、参加者が定期的な練習をちゃんと続けているという事実。これなしには理解も浅いものでしかなくなる。結局は「毎日やるのがアシュタンガ」だね。

その毎日の練習がよりラクに、より楽しくなるよう、今後はポーズ分解講座をシリーズ化してときどきorたまに行う予定です。


最近部長は冷えないようにあったか御殿にてオンナたちを待機している。

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某嬢がドアを開けて見えた光景がコレ