CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

エゴを育てるのか殺すのか

年末年始のマイソールが始まった。
本日から年末までの3日間は、普段の平日マイソールの時間とほとんど同じ時間帯で、違うのは2部入れ替えで時間制限があること。

マイソールクラスのいいところは、好きな時間に来て好きなだけ練習ができることだけど、時にはきっちり決められた時間の中で練習することも大事。急いで終わらせようと呼吸が浅くなるのはよくないけれど、お金を払っているのだから当然の権利とばかり長すぎる練習をするのも考えものだ。

禅の世界から見ると、アシュタンガヨガはエゴを育てやすい。
自分の練習、自分の向上、自分の時間......と<自分>のことばかり考えるようになるからだ。アシュタンギは、自分のポーズがいかにしたら上達するか、自分の身体がいかにしたら柔らかくなったり、軽くなったりするかにフォーカスしすぎる傾向がある。エゴイストがさらにエゴイスト化しやすい。

私がそうだった。
たとえばカランダバーサナがうまくいかないと何回も納得いくまでやり直したりしていたのだけれど、今思うとエゴ全開だったなと赤面する。むしろ、そういう努力や試みこそが大事だと勘違いしていた(それも大事ではある)。

ある時、ドミニク先生がグルジのオールドシャーラーについて話す中で「アーサナを何回もやり直すものじゃない。なぜなら外で待っている人がいるのだ」ということを言われていてハッとした。

もちろん、場所が空くのを待っている人はいなかったからたしなめられることも自分で気づくこともなかったのだけれど、そもそも、アーサナを目的にしていたこと自体が間違いだと気づいてなかった。それじゃあシャバの競争世界の延長でしかないということがわかっていなかった。

禅の世界を知るとアシュタンギのエゴがよく見えるようになる。
たとえば禅寺で理不尽(と思われる)に怒鳴られたりするのは、実はこのエゴをやっつけてくれているのだ。怒鳴られてコンニャロと思うそのエゴをコテンパンにされて初めて、それがエゴだと気づくというシステムなのだ(うまく機能するかはさておき)。

禅に出会わなかったら、腕が動かなくならなかったら、私はどこまで<自分>に執着していたのだろう。

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昨日の陰ヨガにて

発作が怖くてずっと丸洗いできなかったのだけど、冷え込みが緩んだ先日ようやく洗髪してふわふわちゃんになった部長。顔の毛を切ろうとすると激しく抵抗されるのでボサボサはそのままだけどね。