CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

やっぱりナマ

私はヘッドフォンで音楽を聴くことが好きではない。もちろん微細な音を聞き分けたりするには耳に意識が集中するヘッドフォンのほうが優れているし、まわりに雑音があったり、他の人がいる場所ではなくてはならない。でも、できれば音楽はスピーカーで部屋中に音を充満させて聴きたい。耳だけではなくて、全身で、肌で音を感じたいからだ。

そんなことが思い出されたのは、急遽東京に用事ができた星覚さんに立ち寄っていただいてナマ坐禅会をしたら、内容そのものよりもエネルギーや空気感、言葉以上のナニカが肌から伝わっているような気がしたからである。

星覚さんがいなくても坐れることは坐れるわけで、いないからできないことはないのだけれど、お坊さんがいるといないとでは、いや、ただのお坊さんではなくて、星覚さんがいるといないのでは大違いだ。星覚さんは何にも媚びていないなと思う。参加者に対してウケのいいことを言おうとしていない。かといって上から目線でものを言ったりもしない。というか、作為がない。いつもただの星覚さんでいるのがいい。

ただの、そのままの存在だけでいいというのは、ふだんの時間をどう過ごしているか、これまでどんな態度で生きてきたかということだ。今日の坐禅会の2時間に発信できる言葉はとても限られているけれど、そこにはこの2時間以外のものが全部詰まっているから、取り立てて気の利いたことなど言わなくても、ふだんの生き方が言葉の端々から滲み出る。

さすがの只管、BeTuber。

とはいえ、受信側にアンテナが立ってないとそれをキャッチすることができないのだけれど、受信側の感度もバッチリ。星覚さんに来ていただいてもう7年になるが、細々とでも続けてきてよかったと思うし、星覚さんと会ってなかったらCHAZENは別なものになっていたかもしれない。

星覚さんと初めて会って打ち合わせした日のことをよく覚えている。東京に大雪が降ったからだ。待ち合わせしたのが今はもう無き表参道のピュアカフェだったのだけど、行ったらオープン時間が変更になっていて営業しておらず、別の場所に変更すべく星覚さんにメールをしていたら、お店の人が(営業してないのに)お茶を持ってきてくれて、とても温かい気持ちになった。

今そのときのブログを見てたら、そのあと寄ったナチュラルハウスに書いてあった理念が、きょうの茶話会で出た話とかぶっていて、あの最初の日が今日につながっていることを実感した。

chayoga.exblog.jp


当時の私はヨガを禅をもっと多くの人にと前のめりだったけど、今はアピールしなくてもいいような気がしている。来るべき人はちゃんとCHAZENに来てくれることがわかったし。ただ何気ないご縁が自然に広がることだけを願っている。 今日読んだ随聞記にもちらっと出てきたことば「天然自然(てんねんじねん)」を大切に生きていきたい。

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この姿だけでも十分空間が清められる