CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

星のオンライン坐禅会

少し日が経ってしまったのですが、先日の「星のオンライン坐禅会」のことを。

実はホンモノの星覚さんがCHAZENに来てくれた先月の坐禅会で、インターネットというかバーチャルなことに対する非推奨的な内容の話が出まして、星覚さんも頼まれたらやるけれど「オンライン」にはあまり積極的でないと、自ら「星のオンライン坐禅会」をおとしめるような発言をしてから、「あっ、しまった」みたいなことになったのでした。

それが、先日のオンラインの会で随聞記の購読をしたあと、星覚さんがしみじみと「みんなで輪読することはいいものだ」というようなことを言われたのです。そやろそやろ?オンラインだって何もないよりはずっとええやろ? と心の中で(実際にも言ってたか)それみろと言わんばかりの私。

これまで地味に随聞記の3分の2を読んできて、ようやくお坊さんのいる会が実現したのですから、オンラインだって万々歳です。

それに、レギュラークラスになると前の回からの継続的な雰囲気で進行するので、話が通りやすく、また深まりやすいような印象があります。たまたまリアルで2回開催されたあとだったのも、シームレスにつながった一因のような気がします。

仏教とはなにか、禅とはなにかという根本的なことに関して毎回とてもよい質問をしてくださる方がいます。その外連味のない、素直な問いに対して、星覚さんが心の泉から湧いてくるような言葉で真摯に答えるのを聞いていると、オンラインということはなんら障害にはならないように思えます。

仏教とは生死について明らめること。
この言葉が私にはいつも以上のインパクトで胸に響きました。私たちはこの世界に生まれ、いつかこの仮の住まいである肉体を離れていく運命にあります。それはただそれだけのことです。ただ、人間にはさまざまな生き方ができます。どう生きるかによって、どう死ぬかも変わります。

それを考えたとき、できるだけ自然と調和するような生き方をしたいと思います。それが人としていちばん穏やかな死に方にもつながるような気がします。私たちはこの宇宙の一部なのですから。

おそらく、仏教はただシンプルに生きるということなのかもしれません。
本来目指すのはとても簡単なことなのですが、実はそれが人間にはいちばん難しいことなのでしょう。ただの命以上の欲望を持ちすぎた人間にとっては。

だから、持ちすぎてしまった思考を手放す練習をするわけです。ただの生物になる訓練をするわけです。そう考えると、人間というのはおかしな生き物ですね。


さて、来月は初の試みとして、ムーンデイの早朝に行います。
月曜日の朝から悠長に随聞記を読むというのもナンなので、この日はスペシャルバージョンということで坐禅+朝課の会にしました。朝課というのはいわゆる朝の勤行のようなもので、たとえば永平寺だと全山の修行僧が集まってお経を唱える儀式のことです。星覚さんは永平寺での修行を終えてからも、毎朝ひとりでこの朝課を続けていらっしゃいます。

どんなことをするのか見てみたい方はぜひご参加ください。
一緒にお経を唱えることもできますし、興味本位でのぞいてみるだけでも大丈夫です。

坐禅もちょっとだけ試してみたいという方が気軽に参加できるよう、星覚さんによるていねいなガイドを入れて30分のショートバージョンです。慣れている方はガイドが始まる前から坐ってください。また、入退室自由にしますので、時間がない方、10分だけという方も歓迎です。もちろんビデオもマイクもオフにして参加していただいても大丈夫です。

オンラインですので、東京以外の方、ほんの少しだけ禅や仏教に興味がある方の参加も大歓迎です。お経の意味がわかって聞いている人はほとんどいないと思います。仏教がわかっている人もそんなにはいないと思います。どうぞ肩の力を抜いて気楽にご参加ください。

www.chazenyoga.com

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ようやくスノードロップが咲き始めた@山の分校