6日目:同情に違和感
ごきげんよう。
もう眠いのに、なぜかサボれなくなっている、臨時休校6日目の「毎日やるのが」つぶやき日記です。
ロバを引いて歩いているので、道ゆく人から好奇の目で見られる。
「何歳ですか?」
「がんばれ、かんばれ!」
というのはわかるけど、「たいへんねえ〜」とか「どうしたの?」って言われたりもする(知らない人だよ)。決まって年配の人だ。
「たいへんねえ〜」の意味がよくわからないが、高齢者を介護するのがたいへんってことなのかな? だけど、街で高齢者を連れて歩いている人に「たいへんねえ〜」なんて声をかけないと思うんだけどな。
そこへいくとちっちゃい子はいい。
「ワンワン!」
それだけだ(それだけをエンドレスで繰り返すので親は困った顔をしているけれど)。子どもはただそれがワンワンという物体であることだけを認識してそう叫ぶ。
もうちょっと大きくなって小学生くらいになってもシンプルだ。
「かわいい! さわってもいいですか?」
どんな犬だからかわいいとかいうのではなく、ただ犬がかわいいという感じで声をかけてくる。そこに、歩き方がヘンだとか、年取ってるという眼差しはない。
大人になると、「歳をとった犬=かわいそう」という図式しか思い浮かばなくなるのかな。
車椅子とか、ハンディキャップのある人に対しても気の毒としか思わないのかな。
もっとなんでもない目で見てほしいな。
なんでもない目で見ているのに、お手伝いが必要なときはさっと駆け寄って手を貸すってこと、西洋人は得意なんだけどな。そのあたりはキリスト教文化にかなわないよねー。
ここ数日、シューが起きている時間が多いので、自分のための散歩に行くときもシューをカートに乗せて連れていく。S川急便の台車並みのスピードで(ほぼ小走り)歩いていると、誰からも同情されず、むしろ嫌われているかもしれない。
同情するなら嫌ってくれ。