CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

13日目:バカだからバカなのだ

ごきげんよう
お読みいただき感謝します。臨時休校12日目の、失意のずんどこ日記です。


あれは大学生のとき。
一人暮らしの部屋に中学生くらいの知らない男の子から電話がかかってきました。寂しいから話してもいいかと言うので、いいよと相手をしました。当時、家庭教師をしていたこともあり、その目線で親身になって話を聞き、助言をしていたのですが、そのうち急にハアハア言い出したのでびっくりして切りました。

でもしつこくかけてくるので、どうしようとオロオロしていたちょうどそこへ友人男子が遊びに来た。「何してんだ、ごらぁ〜!」と一喝してもらい(今なら自分で言ってるけど)助かったのですが、子どもといえど見知らぬ人には注意しないといけないと学んだわけです。

そのころは世間知らずでしたから、宗教勧誘に来た人とまじめくさって聖書について話しこんだりしてました。「聖書学」とか「キリスト教概論」とかの講義で得たテキトーな知識を総動員してね。そのときの会話を今再現テープで流されたら、抱腹絶倒まちがいなし。

バイト先で知り合って、わたしのことを「おねえさん」と慕ってくれた元暴走族で保護観察中の子にお金を貸して、やっぱり返してもらえなくて、親に怒られたり。いわく、親の脛をかじっている身分で金を貸すな。貸すのなら返ってくることを期待するなと。

田舎育ちのせいか、ヘンタイ電話も宗教勧誘も知らなかったし、困っている人の力になることがいいことだと思っていました。

フツーにバカでしたわー。

でも、今思えば純粋でしたわー。

そうやって痛い思いをして分別がつき、人は世の中を渡る術を身につけていくのですが、ヨガ目線で言えば、そうやって背中を丸くして防御の体勢をとり、こころを閉ざすようになっていくのです。そうなる前だったら私も胸ぱっかーんと開いて、バックベンドで苦労することはなかったかもしれません(あくまで推測)。

みんな大人になる過程で、見えない鎧をまとい、傷つかないように痛い目に遭わないように、面倒なことには関わらないようになっていくのですね。今では勧誘やセールスと分かった時点で「結構です」と言って電話やインターフォンを冷酷に切る大人になっちまった私です。哀しいけれど、それが生きるための知恵なのでしょう。

とはいえ、たまにはうかつに何かを信じてしくじっています。

今度もうっかり......。
いたたまれない気持ちにはなりましたが、邪な思いから信じたのでない限り、その失敗も、滑稽さもすがすがしく受け止めることができます。

利口になろうとしなくていいのです。
そのままの私が精一杯修行をするだけです。

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自撮りにしないとうまく顔が撮れなくなった