CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

自己を正しく見積もる

今朝のマイソール参加者......5人。

ワクチン副反応組に、お盆休みでお出かけ組などが重なったらしい。休暇で出かける予定もない私なので、今年は夏の休みをなしにしたけど、お盆時期は練習生も理事長も(もちろん自分も)疲れているので、やっぱり来年は休もうと思った次第。

ヒマなので、理事長の相手をして差し上げたせいか、忙しい日ほど不機嫌になられる理事長も、今朝はノーオムツで問題なし。

それでもヒマなので、掃除してみたり、プチシューとちびシューで遊んでみたり。

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抱っこちゃん


さて、お盆真っ只中の15日にスートラクラスを設定しているので、漢字だらけの中医学をしまいこんでサンスクリットだらけのスートラにモードを切り替えた。

5月にいったん訳しておいた第4章の推敲にとりかかったら、ヤヴァイ、すっかり忘れている。あんなに悩んであちこち調べたのにまた同じところでつっかかってる。注釈本にあたると、すでにちゃんと線引いてあったりして愕然とする。アラカンの記憶は3カ月もたないらしい。これからはなんでも途中の試行錯誤をメモしておくことにしよう。

うすうす気づいていたことだけれど、下降の一途をたどる能力を受け入れず過信しているんだな。肉体(筋肉から内臓から)や脳力の衰えを経験値でカヴァーしているだけで、間違いなくパフォーマンスは落ちている。それを認めたくないがためにがんばりすぎるとオーバーワークになって、知らず知らずのうちにどこかにしわ寄せがくるのだ。

いつまでも若い気持ちでいること自体はいいのだけど、自分自身をリーズナブルに見極めることができず、経年変化を考慮せずに無理するから病気やケガ、痛みにつながるということを東洋医学から学んだ。同じ年齢でも個人差があるので、かならずしも世間一般の枠で考える必要はないけど、自分史上では確実に老化しているわけだから、そこを見極めて自分に合った適切な活動と養生をしていくべきである根拠が明確になった。

しかし、そのリーズナブルに自分を見積もることがいちばん難しい。

というのも自分のことに関してはバリバリ主観というか、いらない考えなんかが入るわけさね。過去のトラウマによって反射的に無意識的に目をつぶってしまうことがあったり、願望と現実がごっちゃになってしまったり。認めたくないもの、隠しておきたいことがたくさんある。そういうものに囚われた自分が正確に自分を見つめられるわけがない。だからヨガや坐禅が必要なの。これまでにくっついてきてしまった心のゴミを綺麗さっぱり掃除するのがヨガや坐禅なんだからさ。

自分を縛っているもの、自分を限定しているものから解放されれば、その見積もりはかなり正確になってくると思う。だから、養生は食生活などの習慣と同じくらい、精神的&肉体的な鍛錬が必要不可欠。漢方薬よりもまず日常の習慣ということで、東洋医学・ヨガ・禅がリンクする。そのあたり、またスートラクラスや今後の漢方喫茶で詳しくお話しいたします。


プチシューとちびシューその2

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かたぐるま


かわいーな。