毎年年初には、練習生ひとりひとりにメッセージを書いて渡しているが、もっと簡潔な、禅の言葉などを書くべきだと思ったのが昨年。しかし、毛筆が苦手すぎて諦めた。
まず習字の練習をしなければ、と思いつつ、気づけば一度も筆を持たないまま1年が過ぎていた。とりあえず、1日2日猛練習して......とウラ紙で練習してみたが、そんなドロナワでうまく書けるようになるはずがない。無謀な試みだった。
いや、ヘタ字だっていいじゃないか。
ヘタな字は裸をさらすくらい恥ずかしい。
でも、だからといって書かないのは、「身体が硬いからヨガできません」と同じことだと思うのだ。ヘタでも心を込めて書けばいいじゃないか(ヘタすぎて心を込めたように見えないか)。
それでも、あらかじめ考えておいた言葉は、字画が多かったり文字数が多くてどうにもこうにも手が出ないので、簡単な言葉を選んで、シューの写真を印刷した年賀葉書の宛名欄に書いていった。
そして、わざとみんなに見えるよう並べておいた。
情けない字だけど、どうぞ受け取っておくれ、と。この恥ずかしさを忘れないように。
現状できないことは、それをやらないための言い訳にならない。力が及ばないからといって行動を控えるよりも、思いっきり恥をかいて、そのパワーを精進に注ぎ込めばいいのさ(今年こそ練習するぞ)。
ところで、今日遊びに来た友人に失敗作の一枚を差し上げた。
まっさらな年賀状の余りがなかったから、ま、いいかと、文字もとびきりヘタだけど、何より「一行三昧(いちぎょうざんまい)」の昧を味と書いてしまい、これは練習生には渡せないと反故にして落書きまでした一枚を(あくまでメインはシューの写真)。
あとから送られてきた写真に青ざめた。

入ってくるなり発した言葉がヒーター指して「ダイソン!」だったご子息には秘蔵のミニカーを。たいへん気に入ったようで、ずっと離さず、握りしめたまま帰っていった。
