CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

オレより掟

内田樹先生がおもしろいことを書いていらっしゃったのですよ。
いわく、ドラマ『北の国から』と映画『ゴッドファーザー』はほとんど同じ話なのだと。

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なかなか思いつかない視点ですわ。
ドン・コルレオーネが個人的感情や利害得失ではなく「掟」に従って生きたのに対し、その息子マイケル・コルレオーネは、家族に「オレの気持ちをわかってくれ」と懇願し続けたゆえに家族を失ったのだと。

私たちは相手に理解を求める生き物なのですね。自分を認めてほしい。この気持ちをわかってほしいと。それゆえに、認めてもらえないとき、わかってもらえなかったときに失望してしまうわけです。

「わかってくれなくてもいいから、変人と思われてもいいから、自分の好きなように生きている」私ではありますが、近ごろは変人の言うことを理解してくれる人が続出しております。

今月に入って連発している特別クラスでは、毎回ずっしりとした手応えが感じられます。アーサナのワークショップをやれば、参加された方たちの練習が翌日からあからさまに変化しているのが見てとれる。また座学ではそれぞれが自分の肚に落ちてきた言葉として、感想をシェアしてくれる。

インド哲学の概念は、用語を覚えたりするような知識ではなく、日常生活に結びつく知恵として、プラクティスの指針として理解するものと強調しているので、どんどん力みがとれて、すべてわからなくてもいいんだということがわかってきているように感じられます。

きょうは急遽予定を変更して呼吸法〜瞑想のクラスを行ったのですが、初参加の人もたちどころに呼吸法のすばらしさを実感して、私が言葉を使って説明する必要がないくらい、ねらいどおりのことを体感してくれました。

そんな調子なので、私は「オレの気持ちをわかってくれ」と思うことなしに、「ただひたすら修練あるのみ」という「掟」に従って粛々となすべきことをなせばいいのです。要は「オレの気持ち」なんざ、どうでもいいわけです。苦をとりのぞくためのこの修練を、各自が実践によって身に付けていくことが目的なのですから。

家族など身近な人にはつい共感を求めて「わかってほしい」などと期待してしまいがちですが、家族それぞれの「自己」よりも「掟」のようなものを共有できたなら、そっちのほうがうまくいくような気がします。

古代インドの哲人たちは、何千年も前にそれに気づいていたのです。ゾクゾクしますね。

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こちらがCHAZENファミリーのドン


&満開になったミモザ(パールアカシア)。

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雨上がりで下向いてる