なんなん三昧

旧「CHAZEN三昧」からタイトル変えました

おもしろがり力

2カ月ぶりの文京での定例坐禅会は、お天気が残念ではありましたが、なんだかとても楽しい時間でした。

今回の坐禅会は、これまでのように時間割とか話す内容などを事前に決めず、今自分の興味が向いているコトを伝えたのでした。もちろん、動いて・坐って・学んで・交流するという原則は外さずに、です。

脚のマッサージから始まったので、もしかすると気持ちよくなって眠くなっちゃう?と思いきや、血行がよくなって頭スッキリ、脚も開いて坐りやすかったとのことでした。お茶の時間には「無意識」というテーマで、今スートラクラスで話題のサンスカーラに関連したお話などして、これなら万人に受け入れてもらえるのになあ......と思ったりしたのでした。

それにしても、です。
いつだって私の遊びに付き合ってくれる人がいて、そのおかげで、のびのびと自由に好きなことを好きなように語るというちゃみこさんスタイルが実現できているのだという思いを新たにしました。私は決められた枠のなかでおとなしくしているのが苦手なんでしょうかね。特に軽井沢以降オテンバが過ぎております。出家得度したのはオテンバだからかもしれません。

それで思い出したのが、シュー太郎氏のこと。人工的に整えられたドッグランに行くと、いつも固まってしまうのです。せいぜいクンクン他の犬の痕跡を嗅ぎ回るくらいでぜんぜん走らない。野生児にはドッグランの意味がわからないようでした。なんたって、小さいころから広ーい大地を縦横無尽に駆け回っていたのですから。

chayoga.exblog.jp


同じ家に育った兄弟だけにそっくりです。つくづく、自分はちゃんとした器の中に収まれないタチなのだなと思います。ドッグランでは走れないけど、山の中に野放しにされると生き生きと走るという。得度してもそれは変わらないのですね。お坊さんの枠組みに嵌まろうとすると死んじゃうのかもしれません。

そんな野放しちゃみこと一緒に遊んでくれて、おもしろがってくれる人がいることに心から感謝します。そういう人たちがいてこそ、オテンバがオテンバでいられ、はみ出し者がはみ出し者として存在できるのですから。これからもちゃんとしないで生きていこうと思った次第です。

またまた澤木老師の言葉が聞こえてきました。

心においても身においても、どうせんならんということはない。

これは遊びじゃから何でもない。


こうなると困るという思いがあると人は不安になります。でも、困ることを恐れなければ、この世に困ることなどひとつもありません。ピンチは最大のチャンスということもあります。心配しようがしまいが、運命は決まっているのです。


これも坐禅会で話したことですが、幸福度を測るモノサシになるいくつかのポイントのひとつが「おもしろがり力」なんだそうです。この場合の「おもしろがり力」というのは知的好奇心のことで、難関のスートラクラスで「何言ってるかわからない、けどおもしろい」というソレのことです。

が、知的好奇心に限らず、おもしろがり力の高い人は幸福度が高いはずです。たとえ嫌な仕事が回ってきても、もしおもしろがってやることができたなら、それは「苦」ではなくなります。うまくいかないこの人生とか、苦手なあの人とか、おもしろがってみたらかなり苦痛は軽減されると思いますよ。

もっとインド思想的、仏教的に言えば「受け入れる」ということでしょうか。逃げない、抗わないという姿勢が実はいちばん「楽」なのです。


次回の、カラダとアタマをほぐし、静かに坐って楽しくお茶を飲む、欲張りな坐禅会は、7月21日(月・祝)@文京シビックセンター4F和室です。ぜひ一緒に遊びましょう。

生筍はやっぱり美味なり