なんなん三昧

旧「CHAZEN三昧」からタイトル変えました

印哲の大海原へ〜2つの新しいスートラクラス

6月に本山(永平寺)に行く予定がキャンセルになり、2週間ぽっかり予定が空きました。こんなとき何をしますか?

これまでの私だったら、たぶんどこか別のところに旅していたかもしれませんが、ホームレスで旅の暮らしはお腹いっぱいなのか、今はそんな気にならず。

代わりに、ひたすら家で勉強に励んでいました。オンラインクラスの資料をつくる時間がまるっと空きましたから、学ぶはずであった「正法眼蔵」を読み、今年から取り組んでいる仏教の課題を進め、交通費ゼロで実りのある時間になったと悦に入ってます。

これまで仏教のことは聞き齧ってきたつもりでしたが、あまりにも知らないことばかりで気が遠くなります。「海は広くて大きい」ということはわかっていても、実際に小さなヨットで航海を始めたら、その広さ大きさが実感できて畏れをなしている、といったような感じでしょうか。どんなにがんばっても、とうてい追いつける量ではありません。

けれども、「無知の無知」だった自分を情けなく恥ずかしく思うと同時に、その「知らないことだらけの海」に舟を繰り出して、果てしのない航海に出られたことがうれしくてたまりません。残りの人生を飽きることなく過ごせるのは確実です。さらには、それをサンガの人たちとシェアする愉しみを思うと、どこまでもおめでたい気分になるのです。

そんなおめでたい妄想が次々と開花して、この秋からオンラインクラスに「印哲スートラ(仮)」を設けることになりました。

そもそもは、現在行っているヨーガ・スートラクラスの難易度が高く初めての人に申し訳ないような気がして、9月から新しくヨーガ・スートラの第一章から学ぶクラスを新設することにしました(こちらのほうが大事なアナウンスです)。それで、現行のヨーガ・スートラクラスは堂々とマニアック路線で行くことにしたのです。

マニアックを宣言した私は、「よし、これで遠慮なく好きなことを盛り込んでいける!」と自由人の本領を発揮して、スートラそっちのけでやりたい放題のクラスにしたところ、これがなんと受講者にたいへんウケて、むしろ理解は深まるという結果をもたらしたのでした。

ならば、です。いっそ何でもアリのインド哲学クラスにしてしまおうと考えたのが「印哲スートラ(仮)」です。ヨーガ・スートラのクラスが2つあると紛らわしく間違えやすいという問題も生じますから、名前だけでなく実質のコンセプトから変えてしまえというわけです。

「印哲スートラ(仮)」では、現在第三章を読んでいるヨーガ・スートラ自体もちゃんと第四章の終わりまで継続します。ただ、ホームである「ヨーガ・スートラ」湾を拠点にしつつも、どんどん沖に出て「ウパニシャッド」海を彷徨ったり、他の学派の文献に寄港したり、仏教哲学の潮流に流されてみたり、どこまでも印哲の海を渡って冒険してみようというのが、花開いた妄想のひとつです。とはいえ、学者でもない私が船頭ですから、ジャングルクルーズみたいなものでしょうか。

一方で、新設のヨーガ・スートラクラスは正統派を目指しつつも、オンラインのテクニックを駆使することもあり、これまで以上にわかりやすい内容になることはほぼ間違いないでしょう。初めての人にはサンスクリット語などに戸惑いがあるかもしれませんが、予備知識は不要ですし、ただ慣れていけばよいだけなので安心して受講していただけると思います。

お坊さんになった私ですが、ヨーガ・スートラを学ぶことは仏教の学びにもプラスになると感じています。仏教からしたら「外道」になるサーンキヤ・ヨーガの学説ですが、俯瞰が加わって仏教哲学の理解が深まるような気がするのです。

もちろんお釈迦さまの仏教という基本もしっかり押さえておきたいので、原始仏典クラスは今後も継続していきます。実を言うと原始仏典クラスもちょっと遊びを取り入れたいという気持ちがあるのですが(妄想は止まるところを知らず)、それは文京の坐禅会でのお楽しみにして、当面は従来どおりお釈迦さまの教えを味わい、仏教の基本を学んでいきます。

仏教を学べば学ぶほどに、実践である坐禅が今まで以上に大きな意味をもち、坐ることに喜びと安らぎがもたらされます。どっしりとただ何もせずに坐る、それがすべてです。果てしない海ではあっても、本質はとてもシンプル。安住の場所、本来の自分に帰るだけです。どんなにマニアックになっても、難しく考える必要はないということに気づかされます。おもしろいですね。

次期オンラインクラスの詳細については、後日改めてご案内いたしますので、もうしばらくお待ちください。本日は妄想まで。


まだ7月なのにゲキアツなので、2年前に私が毎週歩いていた尾白川渓谷の滝をどうぞ。

とことん水のうつくしい場所でした