夏が苦手な私は、これまで山にばかり住みたがってきたのですが、いったい全体どういうご縁なのか、居住場所として候補にも上がったことのない逗子に腰を落ち着けることになりました。住んでから気がついたのですが、ここはなんとも住みやすい。
夕刻にはカナカナカナ......というヒグラシの輪唱。この声が聞こえると、なんとも言えない独特の夏の夕涼み感にあふれて心が和みます。山暮らしを断念して、東京に近いところに住んだはずなのに、山にいるときと同じ音に囲まれて過ごせていることは想定外のヨロコビです。
小鳥たちの囀りも山の家とそう変わらないです。さすがに坐禅中にフクロウが目の前を横切ったり、窓のすぐそばで美しい色の小鳥が羽ばたいていることはないですが、かなり近い音が聞こえます。南側は住宅が並び、ゴミ集積所もあるのでカラスが鳴き、トンビも飛び回っていますが、北側は木々が生い茂っていて小鳥やリスの声というのも、そこそこ便利でそこそこ自然な土地柄を物語っています。
そういう自然の音のほかは、ときおり子どもが外で遊ぶ声が聞こえる程度で、朝も昼も夜も静かです。ありがたいです。車がなくても、自転車だけでなんとかなります。坂がきついですが、それはトレーニングになるので幸と思っています。
それよりなにより私がいちばん気に入っているのが、仕事をしている机の位置から遠くに海が見えること。反対側からの富士山の眺めがほんのちょっとだけなのと同様、海も遠くに見えるだけなのですが、海の真ん前よりもむしろちょうどいいような気がします。

東京にいるときは、ほどよい自然のある暮らしがある場所にはまったく目もくれず、でした。修行を終えたばかりの修行僧に住みたい家の希望や願望はほとんどなく、予算的都合でどれもこれもあきらめた結果、ようやくひとつだけ住めそうな家があっただけなのです。
道元禅師の声が聞こえてきました。
いとふことなかれ、ねがふことなかれ。
強く願っていることは叶わないのです。願っていることが執着になってしまうからでしょう。どっちにどう転んでもいいという心持ちで、ゆらゆら居たらいいのです。願わずに、ただ自分の為すべきことを為していたらいいのだと思います。
仏となるに、いとやすきみちあり。もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のために、あはれみふかくして、上をうやまひ下をあはれみ、よろづをいとふこころなく、ねがふ心なくて、心におもふことなく、うれふることなき、これを仏となづく。又ほかにたづぬることなかれ。
明日の坐禅会で、仏となる道の話をするのが楽しみです。
