なんなん三昧

旧「CHAZEN三昧」からタイトル変えました

あるギーター受講生のこと

来月最終回を迎えるバガヴァッド・ギータークラスは、当初の触れ込みどおり今回をもって完全に終了する。

初めてのギータークラスは10年前。初回は玄関に靴が置けないほどの大入り満員でスタートしたけれど、1年後に残ったのはほんの数人だった。期を経るに従ってインド思想の土壌が育ち、初めての人でも理解が早くなっていったのだけれど、いっとう最初のそのときは、印哲風味がちらっと出ただけで次の回から人が減っていくようなありさまだった。

そのなかで、ギーターの勘所をたちまちに把握して最後までコンプリートし、私自身が感じたのと同様にインドの思想に影響を受けた人がいた。これまで、詳細はほとんど話してこなかった。本人と連絡がとれないので、語るべきタイミングを逸したまま時がすぎてしまったが、ギーターを卒業するにあたって、彼女のことを書いておきたい。

その方は太陽礼拝から始めたマイソールの練習生で、多くの人と同様、最初は朝起きられなかったりしたものの、座学効果もあって次第にいいリズムで練習が続けられ、毎日が一変して規則正しく生活し、仕事も順調で思いを実現していった。年齢はうろ覚えだが、たぶん40代だったかと思う。

あるとき彼女にガンが見つかり、手術をすることになった。最初は動揺し、葛藤もあったけれど、しっかりとそこに向き合い、それを乗り越えて練習にも復帰したので、ほんとうによかったと共に喜んだ。しかし、いったん整ったリズムが崩れ、不調も重なったのか、やがてマイソールには来なくなった。坐禅会などたまに来ていたものの、そのうちすっかり顔を見せなくなった。

そんなある日、再発転移して末期となり緩和治療をしていると連絡がきた。ずっとブログを見てはシューのことCHAZENのことを見守ってくれていたようで、この記事を見たらメールしたくなって......と。

chazen.hatenablog.com


そこには、余命3ヶ月を宣告されながらも心は満たされていることが綴られていた。

私自身は新しい体験を一つ一つ「過程を楽しんで」います。おそらくギーターや座禅の世界を覗き見たことが影響しているのだと思います。特にギーターで頭の中身をひっくり返された経験は大きいです。短い期間でしたがchami先生とお会いできたことに感謝をしています。

身体的にはシビアな状況ですが、心の中はもしかしたら今までで1番平穏な日々かもしれません。


「過程を楽しんで」いるというのは、まさに私がシーシュポスの神話の記事に書いた「報いとはその努力(行為)そのものにある」の体現にほかならない。それで、感謝の気持ちを伝えておきたくなったのだと思う。あるいはお別れの挨拶をしたかったのかもしれない。

二度ほどやりとりしたけれど、それ以降返信は来なかった。それが彼女の美学であることは明らかだったので、それ以上私も連絡をしていない。


それから4年の月日が流れ、今回最後のギータークラスをやると決めたとき、思い出したのは彼女のことだった。それで、仕事で使っていたWebサイトを手掛かりに辿っていったら、再発後の日々を綴ったページを見つけた。そこには、脳に転移してさまざまな障害が出たことをそのまま受け止めて、でもあきらめることなくさまざまな方法を試していることや、最後まで仕事に取り組んでいたこと、その不自由な日々を心から楽しんでいる様子が窺えた。

2020年の年末には「病気さえも栄養にして人生を楽しんでいる」とあった。決して無理しているのではない。心の底から湧いてくるような満ち足りた思いにあふれていた。

来年もよろしくお願いします。というその記事を最後に、更新はされていない。

彼女は今どの世界にいるのだろう。

奇跡の快復を遂げて、どこかで「ちゃみせんせー!」って声をかけられるような気がしないでもない。あるいは、すでにシューと再会を果たしたかもしれない。いずれにしても、どの世界にいようとも、今が幸せ、ずっと幸せであることは間違いないから、なにも祈らなくて大丈夫。

人はどれだけ長く生きるかよりも、今をどう生きるかだ。

インド思想との出会いが、彼女のような生き方に直結するのなら、これはもうできるだけ多くの人に出会ってもらいたい。「頭の中身をひっくり返されて」生き生きとした人生をそのまま味わっていただきたい。

ついそんなふうに願ってしまう私は、お坊さんとして誰かの役に立つことに執着しているらしい。そういえば、あのころ、私は誰かの役に立ちたいなどという願望はなかった。ただ自分がいいと思ったから伝えようと思っただけだ。

ただ、その大事なポイントを理解する前に断念してしまう人も多い。そもそも最初から敬遠される。それでも、これが私のスヴァダルマと心得て、あっちにぶつかりこっちにぶつかりながら、手探りで歩いていくしかない。

彼女もまたスヴァダルマ(自分に果された義務)はなんだろうと深く考察し、スヴァダルマをまっとうしていた。己に課された任務を遂行することがギーターのテーマのひとつでもある。スヴァダルマに生きることができる人は幸せである。

2024年10月 長崎の小さな漁村にて