夏になると私の身体は別人になります。自分では「夏の病」とか「半袖症候群」と名付けていますが、漢方で言うところの水毒つまり水が捌けない状態になるのです。
症状としては、頭にモヤがかかっておりポワーっとした状態。首の上から血の気が引いて、生きている感じがしないというか自分じゃない感じというか。頭を下げるとめまいがある(中医学的にいうと頭に水がたまって溺れているのだそう)。ぐるぐる系のめまいではない。倦怠疲労がひどく、肉体労働のあとなどは倒れるように横になる。泥のように眠り、目が覚めても重いものが覆い被さっているかのようで身体を起こせない。
5年ほど前、犬のために中医学の勉強を始めたのをきっかけに漢方薬を飲むようになったら、目に見えて楽になりましたが、昨年の僧堂修行中はあまり効果が感じられませんでした。地元のクリニックで、東京にいるとき飲んで効果抜群だった漢方を処方してもらったのですが、身体への負荷が強すぎて漢方の力及ばずでした。
僧堂では基本的に休みというものがありません。週休ゼロ日で、毎日朝4時から夜9時まで修行が続きます。騙し騙し(休み休み)やればなんとかなるので、今まで夏の病で仕事に穴を開けたことはなかったのですが、休みがないのでは騙せません。申告すれば休ませてくれましたが、それではなんのために修行に来たのかわからなくなります。限界までがんばってダウンするというパターンでした。
限界がきたときは断食してひたすら眠り続けます。いくら寝ても眠れるのです(そもそも起き上がれない)。私は夏以外昼寝の習慣がなく、みんなが昼休みのわずかな時間に昼寝していてもひとりだけ起きていましたから、昼も夜も眠り続けている私にルームメイトはびっくりでした。
今年は早めに漢方生活に入り、無理のないように活動してなんとか過ごしていたのですが、新しい土地でクリニックに行くのが面倒という理由で漢方を中断したせいか、8月後半から徐々に重症化しました。暑すぎたというのもあります。
こういった慢性的な症状というのは、熱を出して休むのとは違ってココロにきます。命にはぜんぜん別条がなく、ただしんどいから休んでいるだけなのです。倦怠感で寝るというのは、怠惰であるという負い目を感じさせます。「怠けずに修行しなさい」とか「寝るのを惜しんで坐禅せよ」という教えを毎日目にしながら、買い物に行っただけで(自転車で坂を上る)また泥のように眠るわけですから、ダメ人間感もひとしおです。
そうなると負の連鎖で、ぜんぜん関係ない昔のことまで想起されて、長いことお手入れしていない排水溝を開けたようにドロドロした思いが出てくるものです。体調が戻ればなくなるとわかっているので放っておきますが、しまいには、具合悪いからネガティブになるのか、ネガティブだから具合悪いのかわからなくなってきます。
そんな先日、朝3時ごろ頭の中がブラックになっていることに気づいたのですが(夢のせいかも)、寝返りを打ったら胃が引き攣っていました。起きていつもと違う漢方薬を煎じながら、考えました。
そうか、肉体の不調と精神の不調は同時に起こるのだ。ただ、気づくタイミングにラグがあるので、どっちが先かと考えてしまうだけかも......。
そもそも、ココロとカラダを分けることが間違いなんですね。ココロ即カラダなのです。
ちょうど今朝読んでいた道元禅師の言葉にこう書いてありました。
仏法にはもとより身心一如にして、性相不二なりと談ずる............
身と心とをわくことなし
これはアートマンと肉体とを分ける考え方についての言及なので、ちょっとニュアンスは違うのですが、仏教的には身心一如であり、二つに分かれているものではないのです。身と心とを分け隔てするなということです。ココロはカラダそのものなのです。
早く別人じゃないほうのちゃみこさんに戻りたいですが、よくないことばかりでもないとは思います。丈夫そうでいて、ちょっと弱い(漢方でいうと虚)がために気をつけて生活するようになったこととか。丈夫すぎたら、虚弱な人の気持ちもわからないでしょうし。
さしあたっては、明後日の浦安WSでみなさんとのチャンティング・読経してパワーを充電しようともくろんでいます。
ぜひご参加ください!
断食養生したあと、同室のオーストラリア人に伝言してお粥と梅干し(1個は梅湯用)を用意してもらったときのメモ。
