喫茶去会に続き、今度は禅飯の会が行われました。禅飯の会というのは、難しい作法なしで、でも簡単なお唱えをしたり、最後にたくあんでお茶碗をきれいにしたり、略式の禅寺の食事に近いスタイルでご飯をいただく集まりです。
これ、実は夏にパイロット版を行っておりました。そのときは、とうもろこしご飯も焼き野菜やお浸し、味噌汁までわりとよくできたのですが、今回は典座スイッチがなかなかオンにならず、献立のアイデアが思い浮かばず......。
しかし、もともとは「侘び飯」がコンセプトだったのでした。2018年みんなでお米を育てた年のこと。
そう、おいしい手作りの米と手作り味噌があれば、それが十分ごちそうだったではないですか。福井の某嬢から手作り米いただいていましたし、参加のT嬢が今年初めての手作り味噌に挑戦し、樽を開けたばかりのほやっほやの味噌を持参してくれたのです。これは感激です。T嬢は以前リトリートに参加したときに私の手前味噌の味噌汁がおいしいと何杯もおかわりしてくれたので、ホームレスになる際、余った味噌をもらっていただいたのでした。そうして手作り味噌が伝播され、ついにT嬢の手前味噌がいただけるなんて......。
喫茶去会、禅飯の会の趣旨は「分かち合いの連鎖」です。坐禅会やワークショップでお布施を頂戴したり、お米やさまざまな物をご供養いただいたり、オンラインクラスに参加して金銭的にも精神的にも私の活動を支えてくださる方々がいることに深く感謝をいたしております。そのせっかくのお気持ちを「お返し」してしまってはもったいないので、循環させようと思って始めた企画です。Aさんにいただいたお礼としてAさんに何かを返すのではなく、BさんやCさんほか多くの人にお裾分けしたり、別のもの(無形のものを含む)にして回したらいいのじゃないかと思うのです。
今回、裸足のリクエストがあり、山は季節的・時間的にビミョーなので、ごはんをいただいた後で逗子海岸に行ってみました。海岸ではトーゼンのような裸足ですが、やっぱり気持ちよかです。海水は気温より遅れて冷たくなるので、まだぜんぜんいけます。波が来て無邪気に逃げるのは、いくつになっても楽しいものです。

実は、食べ物だけではなく人もつながります。先日の喫茶去会の人たちが海に来てくれて、再びマンドリンの音色を聴かせてくださったのでした。これぞ贈与の連鎖です。何も狙ってなかったのに(狙ってなかったから?)ほんのひとときの至福を共有できました。初対面でも気持ちが通じ、その場は純粋であたたかい空気に包まれました。まるで天使と天使が出会ったような邂逅でした。
思えば、いただいたものもお米や味噌だけではありません。京都みやげのしば漬けも、サラダに入れた夏みかんも、食後にいただいたキャロットケーキも、みんないただきものですし、お布施のおかげで買い物もできますから、すべてが施しなのです。その場にいない人もどこかでかかわっている。私自身が修行をするために必要な栄養をいただき、仏道が伝えられるというそのことも循環といえば循環です。
澤木老師の「もらいっぱなし」は実はそういうことなのでしょう。「もらったから返さないと」ってつい考えてしまうけど、これからはもらっても決して返さないようにしようと思います(!)。
ただ気をつけないといけないのが「溜め込まない」ということ。どんどん回したく思いますので、どうぞ喫茶去会・禅飯の会にご参加くださいませ。