「ねこバカ いぬバカ」という本を読んだ。
ねこバカ→養老孟司、いぬバカ→近藤誠が愛猫愛犬自慢をし、動物の医療や終末期について対談されている本だ。ちょっと古い2015年刊(養老先生のまるはその後虹の橋を渡っている)。タイトルはたぶん「バカの壁」所以と思われる。
近藤誠さんの『患者よ、がんと闘うな』はセンセーショナルな本であった。独自の「がんもどき」理論で抗がん剤や手術を否定してきた近藤さんは、発刊以来勤務先では村八分にされ、医療界から大批判、大パッシングを浴びながら、それでも定年まで職を辞することなく、今に至るまで持論を発表し続けている。大論争を展開してきただけに長いこと眠れない日々があったそうだ。この本ではその論争自体には触れず、そんなとき犬に慰められたという話として出てくる。
20年以上前に『患者よ、がんと闘うな』を読んでかなり影響を受けた私も、今はまた別の見解をもつようになってはいるが、そんな話を読むうち、改めて『患者よ、がんと闘うな』が世に出たことの大きさを思ったのであった。暴走しているところもあるけれど、もしも近藤誠がいなかったら、もっと多くのひとが医者の言いなりに手術したり抗がん剤を飲んで不本意なガンとの戦いを強いられていたように思う。
おもしろいのは、対談しているふたりが両者とも医者でありながら医者にはかかりたくない人たちで、近藤さんは飼い犬も動物病院に連れて行かないらしい。それで代々の犬たちは苦しまずおだやかな死を迎えられたという。ふむふむ納得だ。今や動物医療も行き過ぎている。犬猫をわが子のようにかわいがるのと、やたら切ったり、検査したり、薬を飲ませたりして、ほんのわずかな寿命を延ばすことを一緒に考えている飼い主もいる。
そうやって犬猫も人間と同じように本来の治る力を失っていくのだろう。
10年前にはやはりお医者さんの書いた「大往生したければ医療とかかわるな」という本を読んで、両手を挙げて賛成した。そうやって少しずつ、マイナーではあるけれども医療界のアンチ医療が日の目を見るようになってきた。漢方の勉強をしていると、漢方をバカにしていた医者が今では漢方を頼みの綱にしているという話をあちこちで見かける。
私の医療嫌いは、母親の西洋医療絶対主義と関係が深いと思う。ほぼ毎日のように頭が痛いと言ってはおそろしい量の薬を飲みながら、食生活や生活習慣を改めようとは考えない人だった。晩年の母はコンビニで買ったサンドイッチとかお菓子などをよく食べていた。医者の予想以上に早くガンが進行したのは、そうやってガンにどんどん栄養を与えていたからだと思う。
そういう反面教師のおかげで今の私があると思えば感謝したいくらいだけれど、医療や薬に対する疑問というのは、おそらく頭で考えるのではなく身体感覚だという気がする。だから、そういう感覚がわからない人には、何を言っても無駄なのだ。それこそ「バカの壁」である。
まあ、母自身は満足だったのだからそれでよしとして、バカではない人には単に知らなかったことを知ってもらったり、考えるきっかけを作ってもらいたいので、あれこれおせっかいを焼いているというのが私というバカのやっていることである。ときどき虚しくなって「こんなことやってなんになるのだろうか」と思ったりもするけれど、『患者よ、がんと闘うな』のように、やっていることの是非や正当性の評価よりも、石を投げて波紋を起こすことのほうに意味があるのかもしれない。
ことの是非を決めるのは受信者であり、ヨガをやるもやらないも、食事をどうするか、生活習慣をどうするかもその人自身が決めることなのだから、私はこれまでに自分が見たり聞いたり考えたり実験したりして培ったことを伝えるだけだ。大きな波紋を起こすことはできないけれど、ご縁がなければ知らないで終わっていたかもしれないほんの一握りのひとに何かを感じてもらえるように。
そう思ったら気が楽になって、ますます調子に乗ってスケジュールをびっしり埋めてしまいそう。
それもこれも、理事長のV字回復あってこそ。
それもこれも、こと腫瘍に関しては医療とかかわらないと覚悟を決めて戦いを放棄したゆえか? 漢方ドッグの免疫力ゆえか? いずれにせよ、あの毒々しい腫瘍が消え去って、跡形もなくきれいになり、この先何年でも生きていそうなほど元気になった理事長である。
最近は、朝ごはん食べてからマイソールの間じゅうぐっすり眠りこけていることが多い。ちょっかい出しても起きないので、鼻の近くにおやつを置いてみた。
さすが。食べ物には反応して目を覚ました。
食べ終わったら再びぐっすり。
食べ物以外のことは何も考えない、このバカさ加減こそ免疫力の源、だろうな。