CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

コラム再録 #5 時は駆け足(&休止のご挨拶)

京の五条の橋の上♪

と歌っていそうなサギくん(手前)


小さい時、牛若丸の絵本がお気に入りだった(らしい)私は、あのキスチョコみたいな欄干の飾り「擬宝珠」を見ると、とても懐かしい気持ちになります。

そして、きょうのkawaiiはカモでした。

二度と「鴨せいろ」を食べることはない......カモね


急展開です。
これまで楽に予約がとれていたのですが、連休を前に急に安くてよい宿の空きがなくなってしまい、どうしたものかと思っていたところ、明日から修行に行けることになりました。

ということで、鴨川日記はこれが最後です(もういいって)。
そしてコラム再録は、なぜ、僧堂で修行をしようと思ったかについて昨年10月に書いたこちらです。

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というわけで、私はしばらくシャバ世界からドロンします。
みなさまどうぞお元気で!

コラム再録 #4 慈しみ(&鴨川日記)

今日も今日とて京都で徘徊中です。

食欲が出ないので、1日一食にしてみたら、突然食欲とやる気が戻ってきました。やはり、食べないことがいちばんの薬になるようです。定食屋さんで朝定食ご飯大盛り2膳を食べて、今日も歩いて図書館へ。

東本願寺のあたりから平安神宮のほうまで歩きます。京都はいたるところが神楽坂みたいで、歩くのが苦になりません。長い距離が歩ける身体であることに感謝しながら、てくてく歩きます。

通っているのは京都府立図書館で、専門的な本も充実しています。お山生活で図書館に飢えていた私には何よりのワンダーランド。原始仏典の全集が揃っていて、いくつか確認したいと思っていたものを読むうち、次のクラスのテーマが浮かんできて妄想が花開きます。うん、いつもの私に戻ったかも。

さて、今日も鴨川で鳥たちを観察していました。

きのうはユリカモメが着水するときの動きに見惚れたのですが、きょうは愛らしい動きのトリコに。

お行儀よく並んでるよ


一羽、また一羽と川に入っていくのですが、川に入ったユリカモメくんが黄色いアヒル人形みたいに流される姿がキュートすぎて、全員が飛び立つまで目が釘付けでした。

流されるコと見守るコたち


そして、足先だけ靴を履いたみたいに黄色いサギが、小さな魚を捕まえては食べる仕草にも目が離せません。

私には見えない魚をパッと捕まえるのはおみごと


いつの間に鳥が好きになったのでしょう。

そんなわけで、昨日と似た内容になりますが、コラム再録は昨年7月に書いたカラスの話です。

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明日もまた鴨川散歩決定です。楽しいような悲しいような......。

コラム再録 #3 仏教力

まだ京都におります。
待機生活も終わりが見えず、本物のホームレスに近づいてきました。「住所不定・無職」の身分ゆえ、電車にもバスにも乗らず、寺社めぐりなどもせず、ひたすら歩いて図書館へ行き、仏教書など読んで過ごしています。

京都の街を歩いていると、30代のころは来るたびにおいしいものを食べ、よい宿に泊まっていたなあと遠い目で思い出をたどることになります。ヨガを始めてからでさえ、それなりにええもん食べて、そこそこのホテルに泊まっていたのに、こたびはついにホームレスです。行き着くところまで行き着いたというわけです。

若いときの私は、40代以降は年齢なりの収入を得て、それ相応の生活ができるような気がしていたのですが、実際は反対でした。当時の私が今の私を見たら、みじめだと嘆くでしょうか、それとも内面の充実ぶりを喜ぶのでしょうか。

今日のコラム再録は、一昨年の11月に書いた「内面の充実=仏教の力」についてです。

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鳥を愛でながら鴨川沿いを歩く

コラム再録 #2 一汁一菜がよい

私の健康を支えていたライフスタイルはかなりオリジナルで、超朝型の1日2食。しかもその2食が時代と逆行するかのような炭水化物中心でした。長いこと試行錯誤を繰り返し、「侘び飯」がもっとも自分に合っているという結論に至ったのですが、ホームレス生活で「侘び飯」は難しく、いとも簡単に体調を壊すことになったというわけです。

お山の家を片付けているとき、試そうと思っていた漢方薬がごっそりそのまま残っていて、体調のよい毎日だったことを思い知らされたのですが、ホームレスになったとたん、片端からまた試すという始末。

風邪も治り、体調は戻りましたが、どうもいつものようには食べ物がおいしく感じられません。食べることの好きな私らしからぬ事態です。そんなこともあって土鍋のごはんが恋しく感じられたのだと思います。もし京都の朝ごはん屋さんで私の侘び飯定食を出したら、お値段¥2,700くらいはしまっせ。よろしおすか?

コラム再録は土鍋飯を。時系列ではなく、アトランダムでお届けします。

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うどんか蕎麦ばかりの毎日ですが、麺類が食べたいのは、出汁の効いた温かいつゆを欲しているのです。まだなくなっていなかったいつものお蕎麦屋さんでいただいた、いつもの「しっぽく」がありがたかったです。この大きなどんこ椎茸の旨みったら......。

この焼きかまぼこも一味違う


京都では年配の観光客をほとんど見かけません。外国からの若い人が多いせいなのか、はんなりした京都らしい食事よりも、ステーキとかハンバーグとかのこってりしたメニューが目につきます。

PERFECT DAYS......

予定では今ごろ修行道場入りしているはずなのですが、書類的な事情で京都にて足踏み待機中です。

京都では映画を観ました。ヴィム・ヴェンダースの「PERFECT DAYS」です。この映画のことを知ったのは、まだお山にいるときでした。観なくては、とは思いつつ映画どころではない日々でしたので、いつしか忘れていたのです。それが先日葉山の坐禅会に行ったとき、久しぶりに会った人たちがこの映画がいかに強く印象に残ったかについて話しており、シャバにいる間に観ておかなければと思ったのでした。

ヴィム・ヴェンダースというだけで語りたいことが山のようにあるのですが、それを語りだすと収集がつかないので脇によけておいて(ほんとうはそれを語りたいw)。ただ彼が役所広司が演じる主人公を禅僧になぞらえたことで、先月禅僧になったばかりの自分に、禅僧とはなんであるかという命題が与えられました。ヴィム・ヴェンダースの考える禅僧が「平山」のような人であるならば、禅僧とはかくも素晴らしい存在であるかといえるのですが、今の自分はその意味においての禅僧からむしろ遠く離れたように思えるのです。

つまり、禅僧になる前の私こそ「禅僧のように」生きていたと気づいたからなのでした。

お山での暮らしはまさに<PERFECT DAYS>でありました。失って初めて気づくという愚かなパターンではありますが、あれこそが私にとっての禅僧的な毎日だったのです。

暗いうちに起きて坐禅、読経、ちょっとしたアーサナ練習から始まる朝。一汁一菜の朝ごはんを作って食べて片付けて、掃除、洗濯。講義の準備と仏教の勉強で眠くなったら、外へ出て肉体労働。週に何度かは自転車で山を下り。お寺で坐禅と朝課、そして作務。そうしてウィークリーで続けていた山歩きという禅修行。

心身のコンディションはこれまでになくPERFECTでした。まるで自分が生まれついての純粋な人間だったような気がするほど、すべてがととのっていたのです。その<PERFECT DAYS>が実現できなくなって体調を壊したのはごく自然な成り行きでもありました。ホームレスの今、土鍋で炊いたごはんと手前味噌の味噌汁の、世界一簡素で世界一ぜいたくな「うちのごはん」がたまらなく恋しいです。最高においしいものが食べられる京都にいても、あのごはんのほかに食べたいものなどないと思えるほどに。

そう、そんな失われた<PERFECT DAYS>に執着する私はまったく禅僧から遠くなっています。禅僧というものは、選り好みをしないのです。今の私は、聴きすぎて伸びてしまったカセットテープのような<IMPERFECT DAYS>を生きています。

頭を剃らずとも禅僧的に生きることは可能である。
それが私が出家得度を考えたことがなかった理由ですが、この映画を観る限り、その見解は間違っていないように思えます。ならば、なぜ私は出家得度したのでしょう。

これからの修行生活で、私がどう「禅僧らしく」変化していくのか、はたまた変化しないのか。

まだ上山もしていないのですが、下山してからの新しい<PERFECT DAYS>について考えながら、古い町家のゲストハウスに泊まってみました。

波長の合う調度品があるだけで、居心地のよさが段違い


上山までまだ時間がありそうなので、明日から数回にわたり、昨年の「コラムの再録」で、お山でのPERFECT DAYSの一部を公開します。

十一面観世音めぐり

奈良に来てからメキメキ元気になりました。ごはんが食べられるようになったのが、いつもの私に戻った合図です。宿に着いてすぐ「うどん」とGoogleマップに入れたら、すぐ近所に釜揚げうどんの店があり、おいしい手打ち麺と出汁が細胞の隅々にまで沁み渡りました。

翌日はさっそくチャリで奈良市内の仏像めぐりに繰り出しました。期待に胸を膨らませて、今回初めて行ったのが奈良博物館の「仏像館」。

確かに美仏にお目にかかれたのですが


どうやら期待が大きすぎたようです。トーハクに行ったときのような気分の高揚がありません。さらに2箇所の寺院を回りましたが、ちょっと肩透かし、でした。

こうなったら......と、乗り心地のよくないママチャリを漕いで平城京趾まで行き、スケールの大きいタイムスリップ感を味わって、満ち足りた気分に持ち込み、雨が降り出してきそうなところをさらに唐招提寺まで足を伸ばしました。

というのも仏教伝来に思いを馳せるとき、必ず「若葉して 御目の雫 ぬぐはばや 」の句を思い出すのです。それで鑑真さまにご挨拶をしておこうと思いました。しかし、そこで句碑を見て気づいたことに、私はずっと「御目の雫」を「御目の涙」と間違って覚えていたのでした。「御目の涙」なんてダサい言葉を芭蕉が詠むはずないやん! と自分でツッコミながら、記憶というものがいかに曖昧で不正確であるかを思い知らされたのでした。

間違って覚えるなよ はせを


翌日は交通の便が悪いいくつかのお寺をレンタカーで回るという、今回のメインコースです。前回2011年に来たとき、次に来たら絶対車でまわろうと心に決めていたのでした。その大本命は「室生寺」。そもそも辺鄙なところにありますが、だだっぴろい駐車場に車が1台停まっているような静けさです。今回はオフシーズンのためか、どこのお寺もほとんど人がいない。東北はすごく人が多かったことを思うと、かなり意外です。「ザ・日本」である奈良のほうが静かなんて......。もちろん、人混み嫌いの私にはありがたいことで、ほぼ独占状態で仏様の美しいお姿を拝見できたのでした。

大本命だけあって、やはり室生寺の十一面観世音は最高でした。その後、長谷寺聖林寺とまわりましたが、個人的な好みは絶対的に室生寺の十一面観世音。それは論理的なものを超えて、ただそう感じるというだけの話なのですが。

女人高野といわれるだけあって、奥之院まで山深く上っていく感じもまた私のツボにはまります。

結局は人里離れた山が好きなのだった


こういう体験をすると、やはり仏像は、博物館ではなく本来置かれていた場所で拝見したいものだと感じます。単なる美術品ではないのですからね。

3つのお寺を回ってランチをいただいても、まだ時間に余裕があったので、翌日に予定していた法隆寺方面のお寺3箇所も車で回ってしまうことにしました。

三輪そうめんとたけのこご飯、吉野葛の葛餅のランチ


レンタカーは偉大なり、です。
前回、夏の暑い日に来て無限に長く思えた法隆寺の参道なども、車だとかなり楽でした。

これで13年越しの願いが叶い大満足です。日本にはまだ見ぬ素晴らしい場所が多くあり、行ってみたいところもたくさんありますが、私が心から願っていたのはこの奈良の旅だけと改めて気づいたのでした。

古いブログにその思いを見つけようと思ったのですが、意外と書いてない。極めてパーソナルなことだし、共感を得られる気がしなかったのかもしれません。唯一書いていたのが、手袋をなくしたときの話。

chayoga.exblog.jp


このとき買い直した手袋は今回の旅にも持って来ており、チャリで回ったときには大活躍してくれましたよ。

久しぶりにこってり私的な内容になりました。読んでくださってありがとうございます。

つづく

泣き虫旅がらす

前述のとおり、東北の旅は風邪で動けず&食べられず、ひたすら新幹線に乗るだけの残念なものになりました。なぜ東北かというと、宮沢賢治のことを思っていたからなのですが、体調不良と混んだ新幹線そして団体客の押し寄せる温泉地の不協和音で「すきとほる」はずの賢治ワールドは見えなくなってしまいましたとさ。

何もできないならば、景色だけ見て帰ろうと最後は松島に一泊。

部屋から朝日をのぞむ


仙台では、観光も食事もできない私のために某嬢がご自宅で梅醤番茶と葛りんごをつくってくれて、旅の病身には何よりのごちそうでした。

このお宅は、私が修行に出ている間の「ウチのコたち」の預かり先でもあります。

キリとメソメソ@仙台


港港にオンナがいる風の旅がらすは、福井では道元禅師ゆかりの寺社めぐりに連れて行ってもらい、仙台であたたかいもてなしを賜り、東京では練習生たちが会いに来てくれて、よよと泣き崩れたのでありました。

と、いつもなら大袈裟に脚色するちゃみこさんなのですが、実はこれリアルな姿なのです。体調不良とあっては、感情も波立ちますし、そもそもホームレスになってからというもの、完全にペースが乱れて、ふとシューのことなど思い出されて涙腺崩壊してしまうのです。新しい人生は、たったひとり見知らぬ異国を旅するように心もとないのでした。

得度式はこれまでの自分とお別れするお葬式であり、仏弟子として新しく生まれ変わるための儀式なのだそうですが、どうも今はまだ四十九日の間中有をさまようように、あの世にもこの世にも落ち着く場所がないのかもしれません。

とはいえ、宿泊先をホテルや旅館からゲストハウスに変更してから、だいぶペースを取り戻しつつあります。暮らすように宿泊できることで、やっと自分らしい旅の生活ができるようになりました。東北から鎌倉・東京を経て、ただいまは奈良に滞在中です。もちろんお目当ては仏像♡2011年に旅して以来、いつかゆっくり時間をかけて再訪しようと思っていたのが12年以上たってようやく願望叶ったわけです。

病み上がりで歩き回る自信がないため、今日は自転車で、明日はレンタカーを借りて美仏を巡る予定です。

つづく