CHAZEN三昧

アシュタンガヨガと禅のある毎日

時は駆け足(コラム再録)

1日の仏典クラスを終えて、ハタと気がついたのだが、それが12回目だった。つまり、オンラインになってから1年分のクラスを回し終えたということで、何を今さらとは思うが、過ぎていった月日を思って驚愕する。

思えば、シューがお空に上っていったのは第一回目の仏典クラスの前日だった。その最初のクラスで読んだところが「無常」というのだから、あまりにも出来すぎている。「正法眼蔵随聞記」の購読を始めたときと同じくらいの軽さでスタートしたクラスだったけれど、以来毎回ずっしりと参加者にも私自身にも響く内容で、それが「これを仏教者として伝えたい」という思いになっていった。具体的に考えたことはなかったのだけれどもね。

それもこれもシューが図ったことなのか? すべてが仏の道に通じていたというわけだ。

昨年の今ごろは中古車を探したり、荷物運んだり、新しいサンガの準備でてんやわんやだった。一方で、還暦のお祝いをしてもらったり、最後の最後まで、みんなにあたたかく見送ってもらった。なんとも清々しく神楽坂に別れを告げて、張り切って新生活を始めた私だったのに、わずか2週間足らずでやる気を失ったことも、ここにつながっていたのか?

犬のために移住したわけではないのに、あれは何だったのだろう。それでも毎日真っ黒になってがんばって、ビフォーを知っている不動産屋さんには「よくここまで片付けましたね」と感心されたけれど、もうやろうとも思わないしできないな。軽井沢時代も含めて、なぜあんなにがんばれたのか自分でもよくわからない。シューがいるといないとでは、まったく世界は変わってしまったのだった。どんな家族であれ、家族というものは、人を生かすためのとても大きな存在なのだと思う。

運命とは不思議なもので、すべてがこうなるように仕組まれていたのかと思えてくる。シューがいなくなってから、先のことを考えることはあったけれど、仏門に入ることは仮にも想定したことがなかったのにね。それがいったん「もしも」を想像してみたら、みごとにすべてがそれで片付くことに気づいたのだった。星覚さんにメールしたら、めでたいめでたいと手放しで祝福してくださった。

そうして、ひとつには、この気持ちが旬なうちに、そして、もうひとつは還暦越えての挑戦ゆえ、一日でも若いうちに修行に上がりたいと話を進めた。いつ死んでもいいと思って毎日生きているし、たぶん私は長生きしないと思ってはいるのだけれど、罷り間違ってあと20年以上生きるとしたら、残りの時間を無為に過ごしてはいられないとも思った。

時は知らぬ間に駆け足で過ぎ去っていく。ぼんやりしている時間をさらっていく。僧堂の堂長老師も早いうちに始めたほうがいいとおっしゃっていた。光陰虚しくわたることなかれ。

修行を終えてシャバに戻るのがいつになるのかわからないけれど、1年はたぶん瞬く間に過ぎていく。そのころには、みんな私のことなど忘れているかもしれない。それでも私は、安らぎとともにこの我が家に帰ってくることができる。サンガの存在があれば、誰もがみなここに帰ってくることができるのだ。

天龍寺にて

眠りえぬものに夜はながく つかれたるものに五里の路はながし
正法を知るなきおろかの者に 生死の輪廻はながからん